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[ 162] 紫色の顔の友達を助けたい
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弁護側証拠採用決定―南淵明宏医師の名誉毀損敗訴判決、言い訳レター−今後も南淵証人弾劾証拠に永続的に活用可能
第三次試案 医療安全調査委員会 調査チームの「法律関係者」にヤメケンを入れるな!−ヤメケンの歪んだ視線―「起訴されれば有罪」と「国民」が「医師」を最終的に起訴!
「医学書院 医学大辞典」先天性心疾患の外科を担当しました。最終著者校正は牛込警察署内留置所の自殺予防特殊ペンで行いました。
「関東地方のある都市の大学院で研究に励んでいた青年医師がいた。彼は,病院に勤務しながら研究を続け,将来はアメリカに留学をして専門領域の実力を高め,その分野で活躍していこうと夢見ていた。昼間は病院勤務を続けながら大学院で研究に従事し,深夜にも研究室で実験データの整理などに追われる毎日を送っていた。
そのような生活を送っていた今から数年前の6月29日深夜未明、彼は実験データの整理をするため自家用車で自宅から研究室に向かっていた。その途中で尿意を催した彼は,小用を足すため幹線道路から一歩入った墓地沿いの裏道に車をとめた。そこに,ヘッドライトを消した怪しい乗用車がゆっくりと通りかかった。そのような場所と時刻であるから,なんとなく不安を感じた彼は,その怪しい感じの車をやり過ごそうと立ち小便をする振りをした。すると,その車が彼から数メートルのところに止まり,女性1名,男性1名が下りてきて,女性から「警察だけど,何やってるの?」と誰何(すいか)された。
実はその当時,現場付近では連続放火事件が発生しており,警察官が警戒に当たっていたのだった。そして,深夜人通りのない裏通りでひとり壁に向かって立ち小便の格好をしていた「怪しい」若い男性である彼は,この連続放火事件の犯人ではないかと疑いをかけられたのだった。
そのような状況の下,彼は結局,「午前4時30分頃,乗用車に乗車していた警察官2名に向かって,自己の陰茎を露出した上右手で自慰行為を行い,もって公然とわいせつ行為をした」として,公然わいせつ罪の容疑で現行犯逮捕されてしまった。要するに露出狂の変態男として逮捕されたのである。ただ,当初の警察の考えとして狙いはあくまで放火犯であり,別件逮捕ということだったのではないかと想像される。このように別件で逮捕・勾留され,放火犯ではないことが明らかになったにもかかわらず,被疑者が事実に基づいて否認を貫いた結果,これから述べるようなとんでもない事態に進展していったのである。この事件は,別件での身柄拘束,その身柄拘束下での取調がはらむ問題をもよく示している。
さて,彼は逮捕後ももちろん強く容疑を否認し心その結果どのような事態が生じたのか。彼は裁判官の決定により勾留され,7月18日に起訴されたが,その後も保釈は認められず,結局8月11日の合計44日間も身柄を拘束されたのである。これが,悪名高き「人質司法」でなくて何というべきか。
逮捕,勾留には容疑の存在と身柄拘束の必要性が要件とされる(刑訴法199条以下)。この場合そもそも,後に東京高等裁判所が認定したとおり「路上での自慰行為」など存在しない。仮にその点を措くとても,彼は身許の確かな青年医師で逃亡の虞はなく,しかも,被疑事実の性質からして,証拠を隠滅する方法などない。犯罪を裏づけるとされる証拠は逮捕した2名の警察官の供述だけだからである。そして、公然わいせつ容疑の具体的内容は「深夜人通りのまったくない墓地の塀にそった裏道で,たまたま通りかかった警ら中のパトカー乗車の警察官以外にひと気のない場所で,警察官に向かって公然と自慰行為をした」行為であるというのであるから,仮に事実どおりであっても社会的に実害のほとんどない行為であって,少なくとも長期の勾留の必要性など認められない事案である。
「そもそも人通りのない路地で早朝に壁に向かって陰茎を露出していたという態様自体がその意図にそぐわない」(後の東京高等裁判所による認定)から,捜査機関が容疑として主張する事実自体のなかに客観的な矛盾が内包されていたのである。
捜査機関が被疑者の身柄を拘束するためには裁判官の発する令状か必要である(憲法33条,刑訴法199条以下)。本件でも,もちろん裁判官の勾留許可状が発せられている。いかに憲法や刑事訴訟法で身柄拘束に必要な要件を定め,且つ,裁判官の令状が必要だと定めたとしても,この青年医師のような被疑事実で易々と裁判官が令状を発布してしまうのでは,憲法や刑訴法によって被疑者・被告人の権利を保障している実質は失われてしまう。仮に,捜査機関がその当事者的な立場から無理のある令状請求をすることがありうるとしても,裁判官が記録をしっかり検討し,身柄の拘束が真実必要な事案であるかどうか正しく判断し,また,事実関係や容疑として主張されている事実の矛盾に気づいていれば,このケースで44日間にもわたる身柄拘束が認められたり,正式裁判が請求されたりすることはあり得なかったはずである。
しかし,現実に行われている「人質司法」では,これから述べるように捜査機関が不当な身柄拘束を利用して無理に自白を迫ることは珍しいことではなく,その結果作り上げられる調書によって,起訴さらには有罪判決への道筋がつけられ,冤罪の可能一性が高まっていくのである。
この青年医師は,当然のことではあるが,事実無根の容疑に対して正面から戦った。深夜とはいえ路上で自慰行為を行って公然わいせつで逮捕され,有罪となったというのではまさに「破廉恥な変態医師」ということになり,彼の人生は崩壊する。だから戦うのは当然と言えるが,しかしそれは口で言うほど簡単なことではない。
まず,身柄を拘束されると,その翌日から勤務先病院との関係で支障が生じる。数日間であれば,体調不良と偽ることも可能かもしれないが,44日間ということになっては手当の仕様もない。同様に,大学院での研究活動についても,すぐに問題が生じ始める。そして,公然わいせつの現行犯として逮捕されたということになれば,世問では「警察官が虚偽の容疑で逮捕などするはずがないし,裁判官も根拠なく勾留状を発したりしない」と考えるから,彼の「有罪」は社会的に確定してしまう。そのような経過で彼が長年努力して作り上げてきた杜会関係は根底から崩壊し始める。
このケースでは,ある新聞がこの青年医師の実名を出して,「公然わいせつの現行犯で医師が逮捕された」と報じたから,彼はそれまでの社会的生活環境から事実上排除されてしまった。
そのような状況のもとで,警察官が自白を迫ってくる。「容疑を認めればすぐに釈放されるだろう」とか,「容疑を認めれば正式裁判請求されず略式罰金で済むだろう」などと言い,逆に,「容疑を認めないとずっと代用監獄から出られないぞ,おまえの一生はこれで台無しだ」などと脅したりする。これは,憲法38条に定める黙秘権の侵害に当たるが,現実にこのようなことが行われてきたことは,近時明らかになった鹿児島の選挙違反無罪事件や,富山での強姦事件で服役後に真犯人が判明して再審が開始され,再審では検察官による無罪の論告を経て無罪判決が確定した事件での取調状況に関して指摘されているとおりである。
この青年医師は,それでも捜査官に迎合しないで,自分は路上で自慰行為などしていないと否認を続けた。それは正しいことであったが,その結果勾留が長期化し,正式裁判が請求されるに至った。報復的な対応というほかない。すでに述べたとおり,検察官の起訴事実は矛盾に満ちたものであるばかりでなく,それを前提としてもほとんど社会的実害などない。そもそもこの被疑事実は,放火事件に対する別件であったはずなのである。であるのに,身柄を拘束したまま正式裁判請求に至るなど,およそ妥当な判断とは思われず,バランスを失しているというほかない。
この事件の第一審判決は,事件翌年の2月17日に下された。検察官の主張をそのまま認めた罰金8万円の有罪判決であった。
逮捕,それに続く長期間の勾留,さらに7ヵ月に及ぶ審理を経る中で,この青年医師はそれまでに努力して築き上げてきた人生をすべて失いそうになっていた。だから,彼にとっては,この判決は到底受け入れることはできないものであった。彼にとって重要なのは罰金の額ではないのである。冤罪を晴らそうとすること以外,彼の取るべき道はなかったということである。
私は.東京高等裁判所での控訴審から弁護を担当することとなった。彼と会い,彼の話を聞けば真実であるという説得力はあったが,しかし,長く刑事弁護の実務に携わってきた弁護士としての経験から,彼の期待に必ず応えられるという自信はなかった。警察官2名が現認したという公然わいせつ行為で有罪となったのである。警察官2名の目撃供述に信愚性がないことについて,裁判官を納得させる以外無罪を獲得する道はない。これは簡単なことではない。なにしろ「99%超は有罪」なのである。
私は,彼にこの国の刑事裁判の実情をよく説明したうえで,出来る限り努力をして無罪判決を目指そうと話し受任した。
東京高等裁判所には,事件から1年あまりが経過した7月20日に弁護人から控訴趣意書を提出し,控訴審の審理は8月7日から始まった。そして,控訴審判決は,翌年2月7日に下された。完全な無罪判決だった。逮捕から1年8か月が経過していた。
無罪の決め手は,弁護側が控訴審で取調を請求して認められた、逮捕時の女性警察官の証人尋問だった。この尋問により,現行犯逮捕手続書の記載内容に信用性がなく,また,逮捕時に男性警察官が現認したと述べる「被告人の自慰行為」についての目撃内容が,女性警察官の供述とは整合しないことがはっきりしたのであった。これにより,「青年医師が深夜路上で警察官2名に向かって自慰行為を行った」という検察官の主張を裏づける唯一の「証拠」は崩壊したのである。すでに触れたように東京高等裁判所は「そもそも人通りのない路地で早朝に壁に向かって陰茎を露出していたという態様自体がその意図にそぐわない」(人に向かって公然と自慰行為をしたいという欲求と、深夜人通りのない墓地裏の路上でそのような行為をしようとしていたという行為とが,互いにそぐわないということである)とし,さらに、現行犯逮捕手続書の記載内容について「その作成主体がだれであったかについて,事実とは異なる理解を招く記述であって,捜査官としては単に表現方法が不適切であったなどということで簡単に片付けられない問題」が存在しているばかりか,その内容についても,法廷での警察官2名の証言との間にとの間に齢齢が存在し,「一体誰の認識が反映されてこのような記載内容になったのかはまったく判然としない」ものであると認定した。そして,この事件の刑事手続の「方向性を決定づけているといっても過言ではない」,「犯行の現認状況に関する重要な事実についての記載が,一体誰の認識内容を記載したものであるのかが判然とせず,その作成経過が後の検証にも耐えられないなどという…刑事手続における現行犯人逮捕手続の重要性に照らすと,あってはならないこと」が行われていると明確に認定し,青年医師の完全な無罪を言い渡したのである。
この判断は素晴らしいものである。判決言い渡しの際,法廷で,青年医師が涙ぐんで喜んでいたことを思い出すし,依頼人である彼の人生の幾分かが回復できたことは言葉に表せないほど良かったと今でも感じる。
しかし,問題はそういうことではなく,市井の一青年医師であり,人生に夢を持って努力を続けていた彼が,どうして2年近くにもわたってこのような筆舌に尽くしがたい苦しみを味わわなければならなかったのかということである。
すでに述べたとおり,憲法や刑事訴訟法では,被疑者・被告人の権利が保障されている。しかし,実務においてそれらの保障や権利に命を吹き込む運用がなされなければ何の意味もないということが,この事件によく表れているのである。身柄拘束が許される要件,黙秘権の保障適正手続の保障,そして無罪推定の原則の尊重,これらを実質化しない限り,いくらでもこのような事件は繰り返されるであろう。
この青年医師は,まだ運が良かったといえるのかもしれない。控訴審で被告人や弁護人の言い分に耳を傾ける姿勢のある裁判官に巡り合ったこと,そしてなによりも,法廷での尋問で,唯一の有罪の裏づけであった警察官の供述の矛盾を明らかにすることができたこと。しかし,これらは努力をすれば必ず実現するとは限らない。実際,第一審の裁判官は,被告人の主張を一顧だにせず、同じ事件で検察官の主張を100%肯定し,有罪としているのである。
この青年医師は,あなたであったかもしれないし,あなたの兄弟であったかもしれないし,あなたの友人であったかもしれない'ずれにしても,あなたやあなたに近しい人であっても全くおかしくない。そのような普通の市民が,夜,たまたま通りかかった裏通りで・放火犯を警戒中の警察官に誰何されただけではなく、別件逮捕で「公然わいせつ行為」をでっち上げられ,44日間も身柄を拘束された。その挙句,身に覚えがないから懸命に否認すると「反省がない」として起訴されたばかりか一審判決で「路上で自慰行為をした」破廉恥な公然わいせつ犯として有罪を宣告されたのである。そのようなことがこの国で現実に起こっているのだということをぜひ認識していただきたいのである。
この青年医師のような立場に立たされた人は,間違いなく日本の刑事司法制度の被害者であり,犯罪被害者と対立する立場にないことははっきりしているだろう。市民がこの青年医師のような窮地に追し込まれないためにも,被疑者・被告人の権利を保障し、無罪推定の原則を確立していくべきなのである。
彼は,アメリカ留学の夢をこの事件で絶たれてしまったものの,「運良く」冤罪を晴らすことができたので、現在医師として活躍している。しかし,1年8ヵ月にわたって不当な刑事手続によって苦しめられ,人生を破壊されたことに対して国家が償ったのは、44日間の身柄拘束の後に無罪判決が確定したことに対して、元被告人の側から請求して初めて支払われた刑事補償金55万円のみである。」
この文章は、以前にも紹介した「市民的自由の広がり」 社団法人 自由人権協会編「第10章市民の生活と被疑者・被告人の権利」に掲載された、弁護士の坂井眞先生が書かれた文章です。
最近「私や大野病院事件の加藤先生が逮捕されたのは、『国民の声を受けて、警察が法を粛々と執行した結果で当然のことで、悪いのは法律だ』と指摘してくれた人がいました。旧過失論的な刑法を背景にいろいろと議論を進めていましたが、「警察が法を粛々と執行」したという証拠も根拠もありません。中学生が、警察官や検察官を全面的に信頼するかのようですが、読みやすいこの本を紹介したいです。警察官や検察官の批判を書いてきたが、人権派の弁護士さん達が一番検察の恥部を知っています。坂井先生の総論を次に引用させていただきます。
日本の刑事裁判では,有罪率が99%を超える。その背景には、起訴便宜主義(刑事訴訟法248条)のもとで,検察官が有罪立証の見込みが立たないと判断した事件をスクリーニングし,不起訴またまたは起訴猶予処分にしているという事情もあるのかもしれない。しかし,この数字はどう考えても異常というべきである。日本弁護士連合会のメディア問題調査団の一員としてオーストラリアのシドニーを訪れた際、ニューサウスウェールズ州検察局の高官が,彼の地では有罪の答弁をせずに陪審の判断を仰いだケースのうち,42.8%が有罪,49.5%が無罪の評決であるという状況について,「満足している」と述べ、公正な裁判が行われている現れだと説明したことが思い出される。
多数の目撃者がいるような場で傷害や殺人事件が発生し,被技者が現行犯として逮捕されたような場合は,少なくとも人違いの虞はない。しかし、その場合でも,なぜ被疑者がそのような行為に及んだかについて,証人がすべて目撃していてそれを証言できるというわけではない。正当防衛かもしれないし,緊急避難かもしれない。動機についてはそもそも目撃者が証言できるわけではない。まして,通常は現行犯ではなく,過去に起こった犯罪事実について,例えば「人が異常な死に方をしている」というような犯罪の結果を端緒として捜査が開始される。そして捜査機関は証拠を収集し,それが事故なのか殺人事件なのかも含めて判断し,犯罪であるとの結論に至った場合には,捜査機関が犯人であると考える者を起訴して法廷で捜査機関の考える犯罪事実を立証していく。この作業が警察と検察の任務である。
これは,簡単な作業ではない。テレビドラマのように,最初から筋書きが分かっているわけではない。あくまで、発見された「犯罪の結果」から,時間をさかのぼって犯罪行為の痕跡である証拠を拾い集めて、過去に起こった事実を立証していかなければならないのである。困難な作業であることも多いというべきであろう。
そのような困難な作業を経て,被疑者は起訴され刑事裁判が行われる。であるのに,その結果有罪率が99%超というのは,いったいどういうことか。刑事裁判は検察側と弁護側双方の言い分のどちらが正しいのかを判断する場のはずである。もちろん,有罪を当初から認めている事案も多く存在するが,それを考慮したとしても,一方当事者である検察官の主張がほぼ100%の確率で認められるというのは異常ではないか。日本の捜査機関が他国より際立って優秀であり,「神」に近い正確性を有しているというのであろうか。
99%超が有罪となるという事実は,刑事裁判官が、担当した事件の99%超の割合で有罪判決を書いているということを意味する。眼前で法廷に立つ被告人の99%超が有罪であるという毎日を送ることは、裁判官に影響を与えないのだろうか100回に1回も書くことのない無罪判決を書こうとした時に,裁判官は躊躇を覚えないだろうか。
99%超が有罪になるという事実は,公判を担当する検察官に影響を与えないのだろうか。検察官は,刑事裁判における当事者の一方であり、被告人を有罪とすることが基本的な任務である。樋察官が起訴した事件の99%超が有罪となる現実のもとで1%以下の確率でしか現れない無罪判決が自らの担当事件について下されることは,検察官にとってもっとも回避すべき恐ろしい事態ということになってしまわないだろうか。それは,無罪方向の証拠を隠してでも有罪判決を得ようという衝動をもたらし,真実発見という検察官のもうひとつの義務(刑事訴訟法1条)に反する事態,すなわち冤罪の発生を招くのではないか。
これらの危倶は,日本の裁判官や検察官が優秀であるとか,プロとして訓練されている,などということによって回避できるものではない。どのように優秀なプロであっても,人間である以上間違いを犯すことがあるのは否定できないからである。そして,刑事裁判で被告人に不利な方向で間違いが起きれば,冤罪によって被告人の人生が破壊されるのである。
このような重大な結果を回避するためは,裁判官や検察官の資質の問題としてではなく,システムとして冤罪の発生を防ぐ体制を作らなければならない。そのような観点から認められているのが,無罪推定の原則であり,刑事手続における被疑者・被告人の諸権利である。それらの保障によって,冤罪発生の防止が図られるはずなのである。
有罪判決が下されるまでは被告人は無罪と推定される。そして,有罪の判断を下すためは,合理的な疑いを容れない程度の立証が必要とされる。また,憲法では,第31条以下で,詳細に被疑者・被告人の権利が定められている。適正手続(デュー・プロセス)の保障,公平・迅速な公開裁判を受ける権利,証人に対する反対尋問権,拷問の禁止、弁護人依頼権,黙秘権,令状なしに逮捕や捜索押収を受けることのない権利等である。それらの原則や諸権利が法の定めどおり実現されていたら,有罪率99%超ということはありえないのではないか。「無罪推定の原則が認められ,被疑者・被告人の諸権利も保障されたうえでの有罪率99%超だから問題はない」,ということではないのである。それらの原則や諸権利が実現されていないことが,有罪率99%超という結果をもたらしているのである。
「1人の無睾をも罰することなかれ」ということの意味を市民一人ひとりが自らにひきつけて理解する必要がある。そのとき初めて無罪推定の原則のもつ価値の重さも実感できる。自らが冤罪で刑罰を受け、人生を破壊されることを想像してみる必要がある。自らは決して裁かれる側に身を置かないと無意識に考えている限り、この原則の価値は理解できない。
無罪推定原則を強調しすぎることによって・処罰すべき犯人を逃してしまうことにならないか,それで社会の治安は保たれるのか被害者は納得できるのかと考える人がいるだろう。しかし、そのように考える人は,自らがそのような理屈で冤罪によって処罰さ札築き上げてきた人生を破壊されることになった場合も、それで納得できるのだろうか。
社会の治安が保たれるべきこと,そして,被害者が保護されなければならないことは当然で旅だからこそ刑罰が法律で定められているのである。私刑(リンチ)は否定され,公刑罰制度が確立されたが、被害都保護や救済と,公刑罰とは無関係ではない。ぜなら公刑罰の目的として応報感情の充足が当然のこととして掲げられれるからである。
犯罪被害の悲滲さはしっかり認識されなければならないし、被害者は救済されなければならない。しかし,そのことと、現に被疑者とされまたは被告人とされた者が有罪であるかどうかはまったく次元の異なる問題である。犯罪の被害が発生している以上「誰か」が犯人である。(ブログ管理人はそうでない場合もあると思うが)しかし,その「誰か」が現在被疑者とされ被告人とされている者であるかどうかは,証拠の裏づけをもって、合理的な疑いを容れない程度に有罪立証がなされて初めて決することができるのである。捜査機関の主張する犯罪像が常に事実であるとも限らないこれも、証拠によって立証されて初めて確定する。そのような過程を経ることなく,被害の悲惨さを強調して,現在の手続において被疑者・被告人とされている者を犯人として扱うことは許されてはならない。それが無罪推定の原則の帰結である。
有罪率99%超という現実が存在し,そこで被害の救済,被害者の保護を強調すると,無罪推定の原則がおろそかにされやすい。なにしろ99%以上は被告人を犯人扱いしても確率的には誤りではないということになるからである。それが,さらに冤罪を生む契機となっていく可能性がある。冤罪でなくても,証拠によって裏づけられていない「犯人像」,「犯罪像」が独り歩きし,冷静さを欠いた非難が先行する虞が生じる。
まして,現実の日本の刑事手続において,無罪推定の原則や被疑者・被告人の権利は憲法や法律の定めどおりに実現されていない。そのような現実をみると,有罪か否かが決せられる前の段階において,被害者の救済を強調して被告人を犯人として扱うことの危険性はさらに明確になる。以下,実際に弁護人として担当した事件での経験を通して,形式上は憲法や法律で定められている被疑者・被告人の権利が,日本の刑事裁判手続では,現実に保障されているとは到底言えないということ,そして,一般の市民の誰もが偶然に被疑者・被告人となりうることを述べてみたい。そのような刑事裁判手続の実態を前提として,被疑者・被告人の権利の保障は,被害者保護の要請に反するものではなく,それとは別次元の問題であること,さらに,裁判員制度とそれを前提とした公判前整理手続についてどのような視点が必要か、についても触れてみることとする。」
これに対して、一審で認められなかった名誉毀損部分と肖像権侵害部分について私が附帯控訴[ii]しました。
控訴人(フジテレビ)は、亡くなった患者さんの家族を証人申請しましたが、これは却下され、次回弁論期日の7月4日に結審することが決定しました。
今日の期日の直前に、裁判所が証人申請を認めないように、「時機に後れた攻撃防御方法の却下」を「上申書」で主張しました。私は、他に多くの名誉毀損訴訟を弁護士さんにお願いしていますので、プロが作成した準備書面を沢山持っています。それを参考にしなければ、この主張をすることは出来ませんでした。
「裁判の進行は、裁判所の専権であることを重々承知しておりますが、以下・・・の事柄についてご意見を述べさせていただきます。」(この当たりは、弁護士さんでは恥ずかしくて書けないことでしょう。)
「・・・控訴審になっての証人申請は『時機に後れた攻撃防御方法』に当たります。原審原告(被控訴人、附帯控訴人)は本人訴訟であるのに対し、原審被告(控訴人、附帯被控訴人)は、大手メディアとして多数の名誉毀損訴訟を被告側で経験してきており、複数の弁護士を代理人として要していたのですから、原審でも証人申請は十分に行うことが出来たはずです。
真実性・相当性の主張は、名誉毀損訴訟における抗弁として最も典型的なものです。そもそもの問題として、テレビ局が人の社会的評価を低下するおそれのある放送する場合には、それに先立って十分な取材を尽くし、メディアとして真実性を確認してから公表に至るものです。この点を踏まえて、一般的にも、相当性の立証を行うための資料は、問題となる番組の放送時点までに入手できたものに限定されるのが通例です。したがって、問題となる放送を公表する時点において、メディア側には、真実性・相当性を主張するための基礎資料は揃っていて然るべきですから、メディアが真実性・相当性の主張を行う意向を有する場合、請求原因を記載した訴状を受領した後であれば、そのような主張のための証拠提出や証人申請は十分期待できます。つまり、第一審の第1回口頭弁論期日あるいはそれに先立つ答弁書の提出時において、その証人申請を具体的に行うこと、あるいは少なくとも、かかる主張を行う旨予告をすることは、十分に期待できるものです。一般的に真実性の立証に当たっては、相当性の立証の場合とは異なり、放送後の事情も斟酌することが可能ですが、本件において控訴人は、事後でなければ入手できない証拠に基づいて真実性の証明を行おうとはしておらず、やはり、後れて真実性の主張が出されたことを正当化できるものではありません。よって、控訴人による証人申請を、貴裁判所が、時機に後れた攻撃防御方法としても、却下することを求めます。」
この主張が認められたのかそれとも全く関係なかったかは不明ですが、結局のところ、裁判所は、証人申請を却下しました。些細なことですが、前哨戦には勝利した気分で天王山に向かうことになりました。一審勝訴していますが、法律論的にはかなり難しいレベルになってきました。
[i] さらに羞じも外聞もかなぐり捨てて、一審判決で100万円損害賠償についた仮執行宣言に対して強制執行停止申し立てにより75万円の担保を立てて強制執行を認めさせました。(仮執行宣言の強制執行などこちらは元々執行させる予定はなかったのですが。)
[ii] 控訴によって開始された控訴審手続を利用して、被控訴人が控訴審での審判範囲を拡張し、自己に有利な原判決の変更を求める攻撃的申立てをいう。 
[iii]事者が故意又は重大な過失により時機に後れて提出した攻撃又は防御の方法については、これにより訴訟の完結を遅延させることとなると認めたときは、裁判所は、申立てにより又は職権で、却下の決定をすることができる。
弁護側証拠採用決定―南淵明宏医師の名誉毀損敗訴判決、言い訳レター−今後も南淵証人弾劾証拠に永続的に活用可能
でお知らせしましたが、前回の公判日の前日に検察官から弁護側証拠の全てに「不同意」との連絡がありました。
なにしろ、日本心臓血管外科学会に所属もせずに、自分が全く使用したこともなければ文献も読んだことがない人工心肺や専門外の小児心臓手術に専門証人として出てきたくらいですから、今後も、検察側や民事裁判でも証人としてあるいは、被告として裁判に関わってくる可能性があるでしょう。そんな時には、是非、弁9をバンバン活用していただきたい。
ところで、法律家の方ならご存じのいわゆる「自由な証明の対象」[i]であることが、弁護側の意見の主旨でした。裁判長はこの「自由な証明の対象」について以前に、「他の週刊誌や単行本からの証拠は別として、弁1、弁2、弁8、弁9については、すでに公判で証人に提示しているので、証拠採用してもよいのでは。」旨話を検察官と弁護人に簡単に話しをして、特に論争されることもなく決定しました。
11月30日の無罪判決につきまして、おめでとうございます。当方のことを、「検察に迎合したお調子者」と評価されているかもしれません。
あえて今回の判決の意義を申し上げますと、まず、「個人の勝利」が挙げられると思います。裁判の内容や事件の性質は別として、孤立無援の状態で、ほとんど徒手空拳で裁判を戦い抜いた佐藤医師の根性は、誰もが目を見張ることでしょう.昨年の暮れ、検察から裁判の話を聞いたとき、そして初めて電話で話したとき、当方は孤軍奮闘する佐藤医師の熱気に圧倒されました。おそらく自分であったら、「もうどうでもええわ…」となっていたことでしょう。そうさせなかったパワーはどこにあるのか、誰もが尊敬するところでしょう。そしてそれは「無罪判決」として結実したようです。大学病院から「切られた」かたちで戦い抜いた佐藤医師を批判する人はいないと思います。報道も「操作した佐藤医師」ではなく大学病院に批判が向けられています。
おそらく佐藤先生には「自分としてはやるだけやったから結果はどうでもいい」と言う感じの、投げやりではない、充実感ゆえの達観した気分で判決を迎えたのではないでしょうか。テレビで見受けられた「高ぶらない」表情から、そんな心境が読み取れました。全部が自分に敵として向かってきている、当事者である大学組織が自分をのけ者にして忘れ去ろうとしている…、これに対する憤りは誰もが容易に理解できるものですが、実際に行動を起こす人はいないでしょうし、起こせる立場にいる人もいないと思います。今回の判決は一般論として、医療現場において「事故が事故として、結果だけで判断されず、しっかりと責任の所在が「組織にある」と認められたこと」で、組織が責任逃れすることはできないという前例を作ったことになりますが、それ以上に、一人の医師の孤軍奮闘振りには、杜会は無言で、畏敬の念を抱いていることは間違いありません。
地獄を見た奴は強い、地獄から帰ってきた奴には勝てない!見たくてみた地獄ではないでしょうが、これからの佐藤医師の人生にとって絶大なるパワーの源となることはまちがえありません。ご自分でも気がつかないでいる、自分の中に備わった無限のパワーがこれから先の将来、随所で威力を発揮することでしょう。楽しみにできるのではないでしょうか。そして、これからは今までの100万倍も充実した時間を過ごされることを確信する次第です。
「綾瀬循環器病院 佐藤一樹先生御机下」と題する書面は当審弁護人請求証拠番号1の写しです。これの下に署名がありますが,これは被告人の署名ですか。
封筒の写しは,当審弁護人請求証拠番号2の封筒の写しですけれども,こしれは当審弁護人請求証拠番号1の手紙を封入していた封筒でしょうか。
手紙のほうもいきますけれども,「前略」の後,「11月30日の無罪判決につきまして,おめでとうございます。」とありますが,この日付は平成17年12月1日ということで無罪判決の翌日に証人が被告人に出した手紙でしょうか。
佐藤医師が,私が一審で証人として出廷したときに,直接お顔を見たり,大変苦悩されている様子をこの前日め無罪判決でテレビ報道があって,非常に晴れやかな顔をされているということで,私は,佐藤医師に少なからず同情というものではなく,本日の法廷もそうですけれども,心臓外科医という1つ間違えば患者を死に至らしめる,そのようなともすればリスクの高い,あるいは殺伐とした仕事を行う同類として心から佐藤医師が個人的に喜んでいらっしゃるのではないかと思い,こういった手紙を書いて佐藤医師が更に今回のこの事件にまっわる,この時点の一審の判決までにあったいろいろなつらいことを糧にして,より大きな人間としてまた有能な心臓外科医として社会に貢献されることを願ってこのような手紙を書きました。
手紙の中で,今回の判決の意義として個人の勝利というのを挙げておられますけれども,端的に言って証人は佐藤医師は無罪だと思っていたんですか,その手紙を書いたときに。
無罪かどうかは,私自身が判断できるものではありません。裁判という形でそのルールに従って,ある事象では有罪となり,ある事象では無罪となる,これは裁判の意義や権威をぼうとくする意味では決してないのですけれども,一般民間人の私からしますと,ある裁判では例えば交通事故であれば無罪になったり有罪になったり,それと私自身,心臓外科医として長年人様の心臓を手術させていただいておりますが,自分自身で自分を裁くに至って,明らかに有罪の罪状を数多く積み重ねた罪人であることは間違いないと認識しております。私以外の世界中の心臓外科医も同じ気持ちで期待に琢えなかった患者さんのことを思い,また自分を責め,日々の精進の糧に,ときに奮い立ち,ときに自らの命を絶とうかなとも考えたり苦しい毎日を過ごしているものであります。佐藤医師は,本件を経験するにおいて刑事被告人となり,それが最終的にメディアも含め社会も含め,また最も大事なことなのでしょうが裁判という形でいろいろな人が佐藤医師の行状だけでなく佐藤医師を取り巻く社会を,というかその大学病院という状況を考え考慮し,最終的に出てきたのがこういった無罪判決であったというふうなことで,そういうふうな文章をここにしたためさせていただいたわけです。
端的に言って,その手紙を書いたときに佐藤医師は,無罪だと思って無罪判決が出てよかったなというふうに思っていたのか,本当は有罪かもしれないけれども無罪判決が出てよかったなというふうに思っていたのか,どういうふうに思っていたんですか。
どちらでもよくはありませんけれども,結果的に患者さんが亡くなり,それを人殺しだとののしる人がいて,あるいは人殺しだと判決を下す裁判官がいて,それは心臓外科医という立場で生きていく上では,ある程度仕方ないものなのかなというふうな認識を持っております。私自身が,いつこの佐藤被告人と同じ被告人の立場にならないとも限らないわけです。
立証趣旨:南淵が、自分の勤めている病院の医療過誤により死亡した元患者の遺族に協力したため解雇された」と発言したため、この発言が名誉毀損に該当するとして、南淵が勤務していた病院が南淵を訴えた裁判で、横浜地方裁判所が、南淵が退職したのは、病r院に無断で他の病院でアル言バイトをしたり、ベンツの供与を受けたりしたことが発覚したためであると認定し、南淵の上記発言は真実でなく、真実と信じるについて相当の理由もないとして、名誉毀損の成立を認めたことなど
▽医療法人の経営する病院に勤務する医師が無断アルバイトを理由に退職したにもかかわらず、医療過誤の事実を患者側に伝えて解雇されたなどと週刊誌の取材やテレビで発言した場合、病院の社会的評価を低下させたとして、医療法人の医師に対する損害賠償請求が認容された事例
一 Xは、複数の病院及び診療所を設置運営している医療法人であるところ、平成8年8月3日付で無断アルバイトが発覚してA病院を退職した医師Y(=南淵明宏)が、週刊誌の取材やテレビ番組などで、同病院の医療過誤により死亡した元患者の遺族に協力したため解雇されたなどと発言したため、右発言により名誉を毀損されたと主張し、Y(=南淵明宏)に対して、3500万円の損害賠償を請求した。
これに対し、Y(=南淵明宏)は、(一)Y(=南淵明宏)の発言内容は、真実であるか、真実と信ずるにつき相当の理由があるから、その発言には違法性がなく、また、Y(=南淵明宏)には名誉毀損の故意・過失がない、(二)Y(=南淵明宏)は、突然に解雇され、かつ、虚偽の事実を流布されたことにより名誉を毀損されたものであり、右発言は、これを回復・擁護するために必要なものであったから、違法性はない、などと主張した。
二 本判決は、(一)Y(=南淵明宏)が無断で他の病院でアルバイトをしたり、ベンツの供与を受けていることが発覚し、院長から退職を求められ、これを了解して退職したのにかかわらず、週刊誌の取材やテレビ番組などで、病院の医療過誤により死亡した元患者の遺族に協力したため解雇されたとの印象を与える発言は、真実であるとは認められず、また、そう信ずるに相当の理由も存在しない、(二)医療過誤事件での出廷する日が近づくと医療法人から執拗な嫌がらせがあり、病院側の代理人が何度も電話をかけてきたりしたとの発言は、真実とは認められず、また、そう信ずるにつき相当の理由も存在しない、(3)病院の医療過誤で患者が死亡しても、その死因などを説明することは病院ではタブーだった旨の発言も、それが真実と認められない以上、公正な意見・論評とは認められない、などと判断したうえ、右発言は、いずれもXの社会的評価を低下させる名誉毀損行為に当たり不法行為が成立するとし、Y(=南淵明宏)に対して、慰謝料400万円と弁護士費用40万円の支払を求める限度で本訴請求を認容した。
三 人の名誉は、古くローマ法の時代から人格権の中でももっとも重要な権利として不法行為法の保護を受けてきたが、名誉毀損と不法行為の成否については、摘示された事実が真実であると証明されたとき、あるいは真実と信ずるについて相当の理由があるときには、不法行為が成立しないとするのが確定した判例理論である(最一判昭41・6・23民集20・5・1118、本誌453・29)。
そこで、本件では、主として、もとA病院に勤務していた医師Y(=南淵明宏)の、同病院の医療過誤により死亡した元患者の遺族に協力したため解雇されたなどとする発言の内容が真実であるかどうかが争われたが、本判決は、関係証拠を検討の上、右発言内容は真実であるとは認められず、また、そう信ずるにつき相当の理由も存在しないと判断し、Y(=南淵明宏)の不法行為責任を肯認した。
本判決は、特に目新しい判断を示したものではないが、問題の医師は、人気漫画「ブラックジャックによろしく」に登場する心臓外科医のモデルで、「ブラック・ジャック解体新書」などの著書がある医師であるとして知られ、社会の関心を集めたケースであるので、事例的意義があるものとして紹介する。
本件は、原告が、平成12年11月26日発行の会報誌「考心」に掲載された被告(=南淵明宏)の寄稿文並びにそのころ被告(=南淵明宏)が取材を受けることにより掲載された同年12月24日発行の「読売ウイークリー」の記事及び平成13年3月7日放送の日本テレビ「きょうの出来事」の放送内容に、原告の設置運営する乙山病院(以下「原告病院」という。) における医療過誤により死亡した元患者の遺族に被告(=南淵明宏)が協力したため原告病院を解雇されたなど、原告の社会的評価を低下させる表現が含まれており、被告(=南淵明宏)は故意に原告の名誉を毀損したものであると主張して、被告(=南淵明宏)に対し不法行為に基づく損害賠償として3500万円及びうち3000万円に対する不法行為の日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払いを請求した事案である。
原告は、医療法人社団徳洲会グループに属する医療法人社団であり、神奈川県下において、原告病院を含む複数の病院及び診療所等を設置運営している。
被告(=南淵明宏)は、平成5年10月一日から平成8年8月13日まで原告病院心臓血管外科に勤務していた医師であり、現在は、医療法人社団丙川会の設置運営する丁原病院心臓病センターの心臓外科部長である。
ア 平成5年12月、被告(=南淵明宏)が主治医を務めていた戊田松夫(以下「戊田」という。)は、原告病院において冠状動脈バイパス手術及び僧帽弁置換術を施行され、手術時の出血量が多かったために、血小板輸血を受けた。戊田は、輸血後、移植片対宿主病(GVHD)を発症し、術後14日目に肺炎を併発し、呼吸不全により死亡した。
イ 戊田の遺族は、平成8年3月ころ、戊田の死亡は日本赤十字社及び原告病院医師の過失によるものであるとして、日本赤十字社及び本訴原告である医療法人社団愛心会に対し損害賠償を求める訴え(以下「GVHD裁判」という。)を横浜地方裁判所に提起した。
エ 平成12年11月17日、横浜地方裁判所は、GVHD裁判につき、日本赤十字社に対する請求を棄却し、本訴原告である医療法人社団愛心会に対し4000万円の支払を命じる判決を言い渡した。本訴原告は上記判決に対して控訴せず、上記判決は確定した。
「考心」は、被告(=南淵明宏)による心臓外科手術を受けた患者及びその家族らにより構成される「心臓手術後の生活を考える会」(略称「考心会」)の会報誌である。
(イ) 私が甲田市の徳洲会病院に赴任してまもなく、冠状動脈バイパス手術と僧帽弁置換術をお受けになったM氏が、術後十四日目に肺炎で亡くなられました。直接の死因は肺炎ですが、GVHDという輸血による合併症を発症した状態での死亡でした。
(ウ) S医師はその後、私がその甲田市の病院を突然に解雇された直後、その病院の常勤医師になりましたが、当時外部医療機関に勤務していたS医師がM氏を執刀したのは病院の方針でした。
(オ) 私は甲田市の病院の院長から「どうして事実を家族に話したんだ!おまえはそういうところがまだまだ未熟な人間だ!」と叱られました。
(カ) 当時、GVHDで患者が死亡しても、まともに死因などを説明する医師は日本にはいなかったようです。またそうすることはむしろ医師社会、特に営利や選挙活動を主体とする病院ではタブーだったのです。私は同じ年の7月に甲田市の病院から突然クビを言い渡されました。私が現在の病院に移ってしばらくして、異例なことですが、原告側の裁判の証人として私は出廷することになりました。
(キ)出廷する日が近づくと徳洲会からの執拗な嫌がらせが丁原病院に勤務する私や病院を襲いました。徳洲会弁護士のI氏からは何度も電話がかかってきました。
(イ) Mさんは狭心症のため、同病院で冠状動脈バイパス手術を受けた。同病院は、近隣の大学病院からも患者が紹介されてくるような、全国的にも心臓外科の最先端をいく病院として知られており、Mさんもほかの病院から転院してきた。主治医は、赴任したばかりの福山晴夫医師(仮名=42)で、実際に執刀したのは、当時、他の病院に勤務していた同病院顧問のS医師だった。
(ウ) 福山医師は意を決し、遺族に対してGVHDだったことを明かし、次の3点を説明した。�〕�血で起こるかも知れないGVHDという合併症のことは、85年ごろから医師の間では周知の事実だったこと�△修Δい辰心躙韻瞥�血成分(血小板)の投与に関与した自分にも責任があること��いったんGVHDになると有効な治療法はないが、日赤、あるいは病院が事前に放射線照射をしていれば、予防できた可能性が強い。だが、この病院は照射装置を備えていなかったこと。
(エ) 病院の院長は、福山医師に対して「どうして事実を家族に話したんだ!お前のそういうところが未熟なんだ」と、烈火のごとく怒鳴りまくったという。同年7月には、「君の手術は、だれも手伝わない」と院長から事実上の解雇宣告を受けた。
(オ) そして、その二年後。同じ神奈川県内の病院に移っていた福山医師は、原告側の証人として出廷することを申請された。出廷する日が近づくと、福山医師の周辺で、医療機器納入業者などが事実無根のイヤガラセ情報を流したり、病院側の代理人が何度も電話をかけてきたりしたそうだ。
日本テレビは、平成13年3月7日、「きょうの出来事」中で、「医療ミスで患者を死なせてしまった医師。遺族に全てを話し、病院を追われた彼は、ある決断をします。医師と患者、そして病院のあるべき姿とは。今日の特集です。」とのアナウンスの後に、「8年前、ある病院で患者の死亡事故がありました。原因は医療ミス。遺族に真実を告白した医師は病院を追われてしまいます。患者に対する責任を自らに問い続けた一人の医師を取材しました。」とのナレーションを入れ、被告(=南淵明宏)本人の説明する映像を交え、GVHD裁判及びこれに被告(=南淵明宏)が協力したことを紹介する内容の番組を放映した。上記番組中には、「ある日、甲野(=南淵)医師が出勤すると、机の上には何もなくなっていた。病院の院長は、『君の手術にはもう誰も協力しない。』と告げたという。事実上の解雇通告だった。」とのナレーションが入る部分があった。
(2) 上記各表現は真実であり若しくは真実と信ずるにつき相当の理由があるか。また、公共の利害に関する事実にかかり、公共の利益を図る目的でなされたものか。
(3) 被告(=南淵明宏)が、上記各表現を行い若しくは各表現の情報を報道機関に提供したのは、原告の行為によって損なわれた被告(=南淵明宏)自身の名誉の擁護・回復のためになされた必要範囲内の行為か。
(4) 「読売ウイークリー」掲載内容及び「きょうの出来事」放送内容につき、被告(=南淵明宏)による報道機関への情報提供行為との間に相当因果関係があるか。
(イ) 「私は甲田市の病院の院長から『どうして事実を家族に話したんだ!おまえはそういうところがまだまだ未熟な人間だ!』と叱られました。」
(ウ) 「またそうすることはむしろ医師社会、特に営利や選挙活動を主体とする病院ではタブーだったのです。」
(オ) 「出廷する日が近づくと徳洲会からの執拗な嫌がらせが丁原病院に勤務する私や病院を襲いました。徳洲会弁護士のI氏からは何度も電話がかかってきました。」
(イ) 「病院の院長は、福山医師に対して『どうして事実を家族に話したんだ!お前のそういうところが未熟なんだ』と、烈火のごとく怒鳴りまくったという。同年7月には、『君の手術は、だれも手伝わない』と院長から事実上の解雇宣告を受けた。」
(ウ) 「出廷する日が近づくと、福山医師の周辺で、医療機器納入業者などが事実無根のイヤガラセ情報を流したり、病院側の代理人が何度も電話をかけてきたりしたそうだ。」
上記のとおり、本件表現は、原告病院において医療過誤が発生したことを前提に、その患者側に協力した医師を叱責し、解雇し、かつ、上記医師が証人として出廷するにあたり嫌がらせ行為を行ったとの内容であるところ、医療過誤につき社会的関心が高まりつつあり、マスコミでも頻繁に取り上げられている社会状況下において、上記のような表現は、原告に対し、医療過誤があった場合に解雇・嫌がらせ等の手段を用いてでも過誤事実を隠蔽する医療機関であるというイメージを植え付けるものであって、原告の医療機関としての信用及び名誉を著しく毀損するものである。よって本件表現は原告の社会的評価を下落させるものであり、名誉毀損行為にあたる。
「考心」では、被告(=南淵明宏)がGVHD裁判が原因で解雇されたことを明確に述べた部分はなく、このような意味において原告の社会的評価が低下することはない。
また、本件表現のうち、「考心」掲載文においては被告(=南淵明宏)は原告病院につき「甲田市の病院」と記載してその名称を明らかにせず、「きょうの出来事」の放送においても原告病院の名称及び原告病院を特定しうるような情報は放送されず、「読売ウイークリー」掲載記事においても、原告病院の名称は明らかにされず、被告(=南淵明宏)名すら仮名であって、その掲載内容中に原告病院につながる情報はなかった。
以上のとおり、本件表現により原告病院を特定することはできず、そうである以上本件表現によって原告の社会的評価が低下することもありえないのであるから、本件表現は名誉穀損にあたらない。
ア 本件表現のうち事実を摘示した部分については、真実であり、または被告(=南淵明宏)が真実と信ずるにつき相当の理由がある。
すなわち、�(蠹弔琉簑欧紡个靴道�実をありのままに話したことで原告病院長の強い叱責を受けたこと、��被告(=南淵明宏)が原告病院長から「君の手術は誰も手伝わない」等と告げられたり、机を無断で片づけられたりしたことにより、やむをえず原告病院を退職したこと、�0緡典ヾ鑁柴�業者に対して圧力がかかったり、GVHD裁判の証人として出廷する前に病院側代理人から何度も電話がかかってきたりしたこと、�と鏐�(=南淵明宏)が、戊田の遺族に協力したことで原告病院を事実上解雇された(すなわちクビになった)ことは真実であるし、また、そうでなくとも、真実であると信ずるにつき相当の理由がある。特に上記�い砲弔い討蓮⊂綉��,覆い鍬�の事実や、原告が被告(=南淵明宏)の退職理由として挙げる兼職行為が原告において禁止されていた事実や丙山梅子の冠状動脈バイパス手術においてビデオ撮影のために再切開再吻合を行った事実がなく、被告(=南淵明宏)が原告病院を退職しなければならない理由が見当たらないことに照らすと、真実であると被告(=南淵明宏)が信ずることには相当な理由があるものである。
また、本件表現のうち「またそうすることはむしろ医師社会、特に営利や選挙活動を主体とする病院ではタブーだったのです。」との部分については、上記の真実である事実及び真実であると信ずるにつき相当の理由がある事実に基づいた被告(=南淵明宏)自身の公正な意見ないし論評である。
イ 社会一般の人々にとって、医療現場の事実隠蔽体質の有無は、適切な医療を受けるために医療の質を問う前提として、大きな関心事であるから、本件表現行為は公共の利害に係る事実に関する記述・発言である。
また、被告(=南淵明宏)は、患者に対して説明義務を尽くし、患者に対する医療の透明性を確保し、ひいては医療の質を向上させようとする被告(=南淵明宏)の信念に基づいて寄稿文を作成し、または報道機関への情報提供を行ったから、これらに基づく本件表現は公益を図る目的でなされたものである。
ウ 以上により、本件表現には事実の公共性、目的の公益性及び真実性があり違法性がなく、また、そうでなくとも、真実と信ずるにつき相当の理由があるから被告(=南淵明宏)には名誉毀損の故意・過失がない。
イ 本件表現のうち事実を摘示した部分は全て虚偽である。すなわち、�“鏐�(=南淵明宏)が戊田の遺族に対して戊田の死因等を話したことにつき、原告病院長が「どうして事実を家族に話したんだ」などと被告(=南淵明宏)を叱責したことはない。原告病院長は、平成5年12月ころ、被告(=南淵明宏)から、戊田の遺族に対して説明を行ったこと及び訴訟にはならないと思うとの報告を受けた際に、見通しが甘い旨告げたことがあるのみである。また、��被告(=南淵明宏)に退職を迫る方策として原告病院長が「君の手術はもう誰も手伝わない。」旨述べたり、被告(=南淵明宏)の机の上を突然何もない状態にしたりしたこともない。被告(=南淵明宏)が後述する丙山梅子の手術における再吻合の事実を疑われ、原告病院長に問いただされた際に、原告病院長が「そんなことをしていると誰も君の手術を手伝わなくなるぞ。」と話したことや、被告(=南淵明宏)が辞表を提出した後、被告(=南淵明宏)が事実上使用していたカンファレンスルーム机上の原告病院備品類を被告(=南淵明宏)の同僚らが整頓したことがあるのみである。また、�8狭霽賊…垢�GVHD裁判の進行状況を全く知らず、被告(=南淵明宏)が証人として証言することも知らなかったのであるから、原告が被告(=南淵明宏)に対してGVHD裁判に関して何らかの働きかけを行うことはありえず、従って、被告(=南淵明宏)がGVHD裁判で証人として出廷するにあたり、原告が何らかの圧力を被告(=南淵明宏)に対して加えた事実も一切ない。さらに、�と鏐�(=南淵明宏)が戊田の遺族に協力したことで原告病院を解雇されたという点も事実に反する。被告(=南淵明宏)は、原告病院で禁止されている兼職行為を行っていることにつき再三注意を受けたにもかかわらずこれをやめなかったこと、兼職先からベンツの供与を受けていたことが発覚したこと、及び、丙山梅子の手術において動脈グラフト四カ所のうち一本を吻合中株式会社ゲッツブラザーズ(以下「ゲッツブラーズ」という。)に提供する予に気付き、吻合部分を再切開した上再吻合し、これについて同僚らに非難されたこと等により原告病院にいたたまれなくなって原告病院を自ら退職したものである。
なお、�,覆い鍬い了�実は被告(=南淵明宏)自身が経験した事実そのものであり、真実か否かは被告(=南淵明宏)自身が熟知している事項であるから、真実と信ずる相当な理由が存在することはありえない。
ウ 本件表現は、被告(=南淵明宏)が解雇された理由について摘示するものであるところ、これは被告(=南淵明宏)の個人的な問題であり、事実の公共性は認められない。
また、被告(=南淵明宏)は、GVHD裁判の意義を利用して被告(=南淵明宏)の退職理由にすり替えることにより、被告(=南淵明宏)を正当化・美化する目的で名誉毀損行為を行ったものであり、目的の公益性は認められない。
被告(=南淵明宏)は、原告により突然に解雇され、かつ、虚偽の事実を流布されたことにより、名誉を段損されており、本件表現はこれを回復・擁護するために必要なものであった。よって本件表現に違法性はない。
被告(=南淵明宏)は、原告病院を退職せざるをえなくなったことを隠蔽・正当化するために本件表現を行ったものである。
「読売ウイークリー」及び「きょうの出来事」の報道内容は、「考心」とほとんど同一であることから、被告(=南淵明宏)による報道機関への発言及び主張が上記報道内容に直結したものと認められ、被告(=南淵明宏)による情報提供行為と「読売ウイークリー」及び「きょうの出来事」の報道内容との間には相当因果関係が存在する。
なお、報道機関について当該報道のもととなる情報提供を行った者が、当該情報提供について独自に名誉毀損責任を負うことは十分にあり得ることであり、その場合に、報道機関のみを被告(=南淵明宏)とするか、報道機関とともに情報提供者を被告(=南淵明宏)とするか、あるいは情報提供者のみを被告(=南淵明宏)とするかは、原告による被告(=南淵明宏)選択の問題であって、名誉毀損責任の成否に影響を与えるものではない。
本件において、被告(=南淵明宏)が報道機関に対して提供した情報は、争点��記載の被告(=南淵明宏)の主張するア�,覆い鍬�の事実のみであり、��GVHD裁判が退職に影響していることについては不確かな情報として語ったに過ぎないし、「読売ウイークリー」の表現に含まれている「医療機器納入業者などが事実無根のイヤガラセ情報を流した」との事実については、述べたこと自体ない。よって、「読売ウイークリー」及び「きょうの出来事」の報道は被告(=南淵明宏)の情報提供に基づくものではなく、被告(=南淵明宏)の情報提供行為との間に因果関係はない。
また、「読売ウイークリー」及び「きょうの出来事」については、報道機関は被告(=南淵明宏)に対する取材のほか、種々の取材を行った上で、報道すべき事実を取捨選択し、構成し、かつ、脚色しているのであって、「読売ウイークリー」及び「きょうの出来事」の報道は、各報道機関の責任において独自に行われたものであるから、取材源である被告(=南淵明宏)の情報提供行為と「読売ウイークリー」及び「きょうの出来事」の報道内容との間に相当因果関係はないものである。
本件表現行為によって原告が被った損害は、本件表現行為の内容が虚偽であること、その影響の大きさ、動機と態様の悪質性等に鑑み、金3000万円を下回らない。
また、原告は、本訴の提起及び追行を原告訴訟代理人らに委任し、その着手金及び報酬として合計5〇〇万円の支払を約したところ、これも本件表現行為に基づく損害に含まれるものである。
「読売ウイークリー」及び「きょうの出来事」では原告の特定すら困難であり、また、「考心」はごく規模の小さい限定された親睦会の会報誌であるから、本件表現により原告に損害が生じたとは考えられず、かつ、本件表現の前後を通じ、原告病院の入院患者数や売り上げが落ちた事実がないことは原告病院長も自認している。よって原告には本件表現により何らの損害も生じていない。
ア 上記第二の一「前提となる事実」(4)のとおり、平成12年11月26日付け「考心」掲載文は、原告が名誉段損にあたると主張する表現を含んでおり、かつ、一般の読者が普通の注意と読み方をもって上記表現に接した場合、原告が医療過誤を起こした上、その事実を隠蔽する方針を採り、この方針に従わず医療過誤の事実を患者の遺族に説明した医師を叱責し、かつ解雇し、当該医師の医療過誤訴訟における証言により医療過誤の事実が明らかになることを嫌って執拗な嫌がらせ行為を行ったとの印象を持つものであって、医療機関である原告にとってその社会的評価を低下させるものであると認められる。
イ この点につき、被告(=南淵明宏)は、「考心」において解雇の原因とGVHDの件を明確に関連づける表現はないと主張するが、「考心」掲載文のテーマが「GVHD裁判」であるにもかかわらず、被告(=南淵明宏)が解雇された事実が3箇所にわたって掲載されていること、「死因を説明する医師は日本にはいなかった。」との記載の後に、「そうすることは」「病院ではタブーだったのです。」との記載が続いており、死因を説明したことを病院長から叱責されたとの事実の摘示の後に「突然クビを言い渡された」との記載が続いていること、GVHD裁判の意義を述べた記載の後に「私はクビになりましたが」との記載が続いていることからすれば、原告が名誉毀損にあたると主張する記載部分が、他の部分と相侯って、上記アの印象をその読者に与えるものであることは明らかであって、被告(=南淵明宏)の主張は採用できない。
また、被告(=南淵明宏)は、「考心」掲載文中で原告の名称は明らかになっておらず原告を特定できないから原告の社会的評価は下落しえないと主張とするが、「考心」掲載文中には「甲田市の徳洲会病院」「徳洲会」との記載があり、これにより原告が明らかに特定されているから、この点についての被告(=南淵明宏)の主張も採用できない。
上記第二の一「前提となる事実」(5)のとおり、平成12年12月24日付け「読売ウイークリー」掲載記事は、原告が名誉毀損にあたると主張する表現を含んでおり、一般読者の普通の注意と読み方を基準として上記表現を解釈した場合、上記表現は、表現中に記載された病院につき、「考心」におけると同様の印象を読者に与え、その社会的評価を低下させるものであると認められる。
そして、「読売ウイークリー」掲載記事には、「神奈川県甲田市の総合病院」「近隣の大学病院からも患者が紹介されてくるような、全国的にも心臓外科の最先端を行く病院」との記載が含まれており、当時甲田市内に心臓外科手術をする総合病院は原告病院以外になかったことから、不特定多数の読者が上記記載により原告病院を特定可能であったと認められるから、「読売ウイークリー」の上記表現は、原告に対する名誉毀損にあたるものである。これに反する被告(=南淵明宏)の主張は採用できない。
上記第二の一「前提となる事実」(6)のとおり、平成12年3月7日放送の「きょうの出来事」放送内容は、原告が名誉毀損にあたると主張する表現を含んでおり、上記表現は、一般視聴者が普通の注意と関心をもって上記放送内容を視聴した場合に、放送中に指摘された病院につき、医療ミスについて遺族に真実を告白した医師をこのことを理由に解雇したとの印象をもつものであり、原告の社会的評価を低下させるものであると認められる。
そして、「きょうの出来事」においては、被告(=南淵明宏)の実名及び被告(=南淵明宏)の映像が放映され、上記病院につき、「8年前」「被告(=南淵明宏)が当時いた病院」との情報が提供されており、被告(=南淵明宏)が複数の大学の講師を務め、講演を行うことも多く、新聞・週刊誌等に名前が出ることもあるなど、心臓外科分野において著名な医師であることや、被告(=南淵明宏)が経歴を公表していることから、上記の情報により、不特定多数の視聴者が原告病院を特定可能であると認められ、「きょうの出来事」の上記表現は原告に対する名誉毀損にあたるものである。これに反する被告(=南淵明宏)の主張は採用できない。
<証拠略>によれば、被告(=南淵明宏)とGVHD裁判との関わりや、被告(=南淵明宏)が原告病院を退職するに至るまでの経緯及びその前後の事情は以下のとおりであったことが認められる。
(ア)平成5年12月、被告(=南淵明宏)が主治医を務めていた戊田が原告病院において冠状動脈バイパス手術及び僧帽弁置換術を受け、出血量が多かったために血小板輸血を受けた数日後から、手術創の周囲が発赤し始めた。このため、被告(=南淵明宏)は、GVHD発症を疑い、原告病院の乙野竹夫院長(以下「乙野院長」という。) にこのことを報告するとともに、同院長の了解のもとに日本赤十字社に確定診断を依頼しその結果、GVHD発症が確定した。被告(=南淵明宏)は、乙野院長にその旨報告し、戊田の家族に対しても病名及び症状について説明した。戊田は、術後14日目に肺炎を併発し、呼吸不全により死亡した。
(イ)戊田の死亡後、被告(=南淵明宏)は、戊田の遺族に対し、戊田の死因がGVHDであることや、放射線照射を行わない血小板を輸血するとGVHDを発症する可能性があるが、輸血用血液の供給元である日本赤十字社でも原告病院でも輸血用血小板について放射線照射を行っていなかったことを説明した。また、被告(=南淵明宏)は、医療現場の実態からして、このような放射線照射を行う責任は日本赤十字社にあり、原告病院にはそのような責任はないとの見解を有しており、戊田の遺族に対してもこのような見解に基づいた説明をした。戊田の遺族らは、被告(=南淵明宏)の了解を得て、このような被告(=南淵明宏)の説明をテープに録音した。
(ウ)被告(=南淵明宏)は、戊田の遺族に対して上記のような説明を行ったことを乙野院長に報告するとともに、輸血用血液に放射線照射を行うべき責任は日本赤十字社にあり原告病院にはないことを遺族に説明したので訴訟にはならないと思うとの意見を述べた。
(エ)乙野院長は、原告病院においては、医療過誤の可能性のある事案に関しては、医師の報告を受け、病院としての対処方針を決定し、この方針に従って対応することとしているので、被告(=南淵明宏)の行動は病院としての対処方針が決定されない段階で、遺族に対し被告(=南淵明宏)の独断で説明を行った点で原告病院の方針に反するものであることを指摘し、この点につき被告(=南淵明宏)を叱った。また、被告(=南淵明宏)が輸血用血液に放射線照射を行うべき責任は日本赤十字社にあり原告病院にはないことを遺族に説明したので訴訟にはならないとの意見を述べたことについては、そのように甘いものではなく、被告(=南淵明宏)の考えは未熟であると述べた。
(オ)その後、乙野院長らと被告(=南淵明宏)の間でGVHDによる戊田の死亡の件が話されることはなかったが、平成8年3月に至って、戊田の遺族らが原告と日本赤十字社を相手どって訴訟を提起し、その訴状が原告病院に届けられた際に、乙野院長は被告(=南淵明宏)を呼んで、やはり被告(=南淵明宏)が考えたように甘いものではなかったと告げた。ただし、乙野院長は、当時、輸血用血液に放射線照射を行うことは大学病院を含めてほとんど全く行われていなかったことから、原告病院の固有の問題というよりも、日本赤十字社や輸血を行う病院全体の問題であると考えており、また、放射線照射を行うことによりGVHDによる患者の死亡を防ぐことができるなら望ましいことでもあると考えていて、この訴訟対策にはほとんど関与しなかった。
(イ)原告病院においては、手術経過につき手術室上方からビデオ撮影を行うことを常としていたが、被告(=南淵明宏)は、これとは別に、自己の行う心臓外科手術について手術経過の詳細を鏡視下スコープカメラを用いてビデオ撮影することとしていた。また、被告(=南淵明宏)は、原告病院に医療機器を納入する業者であるゲッツブラザーズとの間で、報酬90万円で被告(=南淵明宏)の執刀する動脈グラフトを使用した心臓外科手術手技ビデオ30本を製作して同年3月末日までに同社に提出するとの内容の業務委託契約を締結していた。
(ウ)被告(=南淵明宏)は、丙山手術についても、鏡視下スコープカメラを用いてビデオ撮影することとして、手術中のビデオ操作を丁川医師及び乙原技師に行わせた。丁川医師及び乙原技師は、手術の重要部分のみビデオ撮影を行うこととし、丁川医師が指示して乙原技師がビデオの撮影スイッチの操作を担当した。
(エ)丙山手術は、バイパスグラフトと冠状動脈を四箇所にわたり吻合することを主内容とする難度の高い手術であったところ、被告(=南淵明宏)が上記のうち一箇所の吻合をすべくグラフトと動脈を糸で縫合していた際、乙原技師は上記ビデオの撮影スイッチがオフになったままであることに気づいた。グラフトと動脈の吻合作業は、丙山手術のうち、非常に重要な部分であったので、丁川医師は、被告(=南淵明宏)に対し、「すいません、撮れてませんでした。」と告げた。被告(=南淵明宏)は、丁川医師の顔を見て、えっという表情を浮かべ、いらいらした様子を見せながら縫合をさらに2、3針進めた後、縫合する手を止め、数秒間考える様子を見せた後、縫合していた糸を切ったが、一度針をかけて糸を通した冠状動脈の辺縁はぼろぼろの状態となっていた。その後、被告(=南淵明宏)は、グラフトと動脈の再度の吻合を行った。
(オ)丙山手術終了後、助手を務めていた丁川医師や戊原医師らは、被告(=南淵明宏)が上記のとおり吻合の途中で縫合の糸を切って吻合をやり直したことにつき、確信は持てないものの、ビデオ撮影がされていなかったことから改めてビデオを撮影するため吻合をやり直したのではないかとの印象があったため、同人らや原告病院心臓外科において同人らとチームを組んでいた丙田医師や丁野医師らとの間で、もし本当にそのような事実であったとすれば残念だと話し合った。なお、丙山は手術後5日目に死亡したが、その死因は脳出血によるもとされた。
(カ)乙野院長は、丙山手術に立ち会った医師らが上記のように話し合っていることをほどなく知り、被告(=南淵明宏)に事情を聞いたが、被告(=南淵明宏)は、最初の縫合は吻合の具合が悪かったために糸を切り、吻合をやり直したと説明し、以後はこのような誤解を受ける行為は決して行わないと述べたことから、乙野院長も、それ以上にこの問題について調査したり、被告(=南淵明宏)の責任を問う動きを見せることはなかった。
(ア) 被告(=南淵明宏)は、平成7年末ころ、年内に緊急に心臓外科手術の必要な患者について、原告病院に搬送して手術を行う順番を待っていたのでは年を越してしまうので、被告(=南淵明宏)が手術の助手となる医師や手術用の人工心肺装置を操作する技師らを含む手術チームを伴って丁原病院に赴いて手術を行うことを認めてほしいと乙野院長に申し出た。乙野院長は、この件については緊急の必要性があるとのことで許可したが、あくまでもこの件に限ってのことであって、以後、恒常的に被告(=南淵明宏)が他の医師や技師らを伴って丁原病院に出かけて手術を行うことを許可したわけではなかった。
(イ)ところが、被告(=南淵明宏)はその後も、乙野院長らの許可を得ないまま、原告病院で心臓外科手術を行わない日となっていた木曜日に頻繁に手術チームと連れて丁原病院に出かけて手術を行っては一回あたり約10万円の謝礼を受け取るようになった。また、このような手術に加わった他の医師や臨床工学士らも丁原病院から謝礼を受け取っていた。
(ウ) 乙野院長は、平成8年4月ころ、被告(=南淵明宏)が原告病院の勤務時間中にこのように頻繁に原告病院の手術チームを連れて丁原病院に出かけて心臓手術を行っていることを知り、被告(=南淵明宏)や他の医師らに対してこのようなアルバイト行為を止めるように強く注意した。これに対し、被告(=南淵明宏)も他の医師らも以後はこのようなことは止める旨述べ、実際に被告(=南淵明宏)以外の医師や技師らはこのようなアルバイト行為を取りやめたが、被告(=南淵明宏)は、その後も単身で病院に出かけて同病院で手配した医師や技師らとともに心臓外科手術を行うことを続けていた。
(エ) 同年6月ころから、原告病院の職員用の駐車場に駐車の登録のなされていないベンツが駐車されていることが問題となり、被告(=南淵明宏)がこれに乗っていたことから、職員が尋ねたところ、被告(=南淵明宏)は自分で買ったものであると答えていた。
その後、同年7月23日に原告病院の事務担当者がこの車の登録事項等通知書を取り寄せたところ、丁原病院を設置運営している医療法人社団丙川会が同年4月25日に登録した車であり、約680万円もするものであることが判明した。そこで、乙野院長が同年8月3日ころに被告(=南淵明宏)を呼んで、被告(=南淵明宏)はアルバイト行為をまだ継続しているのではないか、また、アルバイト先である丁原病院からベンツを供与されているのではないかと問いただしたところ、被告(=南淵明宏)は、当初は、アルバイト行為はもうしておらず、ベンツは自分で買ったものだと主張していたものの、上記登録事項等通知書を示されると、態度を改め、丁原病院でアルバイト行為を継続していること及びアルバイト先である丁原病院からベンツを供与されていることを認めて陳謝した。
そして、被告(=南淵明宏)は、今後は丁原病院に出かけて心臓外科手術を行うことを止め、ベンツも返還すると申し出たが、乙野院長は、アルバイト行為をやめるよう注意したにもかかわらずその後も恒常的に他の病院にでかけてアルバイト行いベンツの供与まで受けていた以上、一緒にやっていくことはできないので辞めてもらいたい旨を告げた。すると、被告(=南淵明宏)は、一旦は、「訪問看護でも何でもしますから原告病院において下さい。」などと述べ、涙を流して土下座するなどしたが、乙野院長が、乙野院長個人の判断だけでなく、従前の丙山手術のこともあり、今回のアルバイト問題とあわせて、他の医師や職員らの信頼が失われているので他の医師や職員らとチームワークを組んで仕事をすることができない旨を告げると、被告(=南淵明宏)も退職を受け入れた。
(オ) 被告(=南淵明宏)は、週明けの同月5日、乙野院長に辞表を提出したが、この辞表には、「私こと、甲野太郎(=南淵明宏)は、一身上の都合により、医療法人社団愛心会乙山病院心臓血管外科部長の職を辞任させていただきたく、ここに請願いたします。尚、後任には丙田春夫医師を強く推薦させていただきます。」と記載されていた。
(カ) なお、そのころ、被告(=南淵明宏)が使用していた机から、上記の通り被告(=南淵明宏)がゲッツブラザーズとの間で締結していたビデオ制作に関する業務委託契約書が発見されたことから、乙野院長は、はゲッツラザーズの担当者を原告病院に呼び出し、原告病院に断りなく被告(=南淵明宏)との間でこのような業務委託契約を締結していたことを責め、ゲッツプラザーズは、以後六か月間、原告病院に対する心臓血管外科製品の納入を自粛することとなった。
(ア) 被告(=南淵明宏)は、原告病院を退職した後、同年9月から丁原病院に勤務するようになり、同病院に心臓外科を開設し、心臓外科手術を続けている。
(イ) 被告(=南淵明宏)が原告病院を退職してから約一年半が経過した平成10年1月27日、GVHD裁判の第10回弁論期日において、同裁判の原告であった戊田の遺族らは、被告(=南淵明宏)を証人として申請し、同年7月28日、同裁判の第四回準備的口頭弁論期日において採用され、同年10月30日、同裁判の第11回口頭弁論期日において被告(=南淵明宏)の証人尋問が実施された。被告(=南淵明宏)は、戊田に対する手術の経過、輸血当時のGVHDに対する認識、原告病院にGVHDを予防する放射線照射装置がなかったことや、輸血用血液に対する放射線照射は血液供給元である日本赤十字社が行うべきであると被告(=南淵明宏)自身は考えていること等を証言した。
(ウ) この間、同年4月15日、ゲッツブラザーズの担当者から、被告(=南淵明宏)に対し、「先生にHeart port訪問/見学をしていただいた件が乙山の戊山技師に伝わり、院内で『ゲッツは何事につけ秘密に裏で行動する会社である。』との批判を受け、やっと一部使用再開していただいた人工弁にも影響すると、営業サイドから相談が持ち込まれました」との内容のメールが送信されたことがあったが、このことが、被告(=南淵明宏)がGVHD裁判で証人申請されていたことと何らかの関連があると認めるべき証拠はない。
(エ)また、同年10月ころ、被告(=南淵明宏)がGVHD裁判において証言を行う前に、丁原病院心臓病センターに徳洲会の弁護士のイケグチと名乗る人物から四回ほど電話があり、被告(=南淵明宏)の秘書が電話を受け、被告(=南淵明宏)に取り次ごうとしたが、被告(=南淵明宏)は電話に出なかった。したがって、この電話がいかなる用件についてであったのかは被告(=南淵明宏)は把握していない。
(2) 上記認定事実に照らして、本件表現の真実性及び真実と信じるについての相当の理由の有無につき以下に順次検討する。
ア 上記認定のとおり、�(神�5年12月、被告(=南淵明宏)が戊田の遺族に対してGVHD発症の原因や日本赤十字社や原告病院の責任の所在等について説明した旨乙野院長に報告した際、同院長が、原告病院においては、医療過誤の可能性ある事案に関しては、医師の報告を受け、病院としての対処方針を決定し、上記方針に従って対応する方針を決定し、上記方針に従って対応することとしているのに、被告(=南淵明宏)の行動は病院としての対処方針が決定されない段階で、遺族に対し責任の所在にも及んだ説明を行った点で、原告病院の方針に反するものである点を指摘し、この点につき被告(=南淵明宏)を叱ったこと、��被告(=南淵明宏)が輸血用血液に放射線照射を行うべき責任は原告病院にはないことを遺族に説明したので訴訟にはならないとの意見を述べたことについては、そのように甘いものではなく、被告(=南淵明宏)の考えは未熟であると述べたこと、��その後、平成8年3月に至って、戊田の遺族らが原告と日本赤十字社を相手取って訴訟を提起し、その訴状が原告病院に届けられた際に、乙野院長が被告(=南淵明宏)を呼んで、やはり被告(=南淵明宏)が考えたように甘いものではなかったと告げたことは、いずれも事実である。しかし、このような乙野院長の発言は、GVHD発症の原因を遺族に隠蔽すべきであるとの立場に立って、被告(=南淵明宏)がGVHD発症の原因を遺族に説明したこと自体を叱責したり、未熟な人間であると非難したものでなかったことは明らかである。従って、本件表現中の、「私は甲田市の病院の院長から『どうして事実を家族に話したんだ!おまえはそういうところがまだまだ未熟な人間だ!』と叱られました。」との記載(「考心」)及び「病院の院長は、福山医師に対して『どうして事実を家族に話したんだ!お前のそういうところが未熟なんだ』と烈火のごとく怒鳴りまくったという。同年7月には、『君の手術は、だれも手伝わない』と院長から事実上の解雇宣告を受けた。」との記載(「読売ウイークリー」)はいずれも真実ではなく、また、そう信ずるにつき相当の理由も存在しないものである。
なお、被告(=南淵明宏)本人尋問の結果中には、上記の事実が真実であるとの被告(=南淵明宏)の主張に沿う供述部分があるが、戊田の生存中、すでにGVHD発症の事実については、戊田の家族に話しており、その段階では原告病院長に何もいわれなかったとしながら、戊田が死亡した後にGVHDで戊田が死亡したことにつき戊田の遺族に話したことで激しく叱責されたとするのは不自然である上、証人乙野竹夫の証言に照らしても採用できない。
イ 次に、被告(=南淵明宏)が原告病院を退職するに至った経緯は、上記認定事実のとおりであり、被告(=南淵明宏)は原告病院の許可を得ないまま、原告病院の勤務時間中に頻繁に他の医師やその他の手術チームを連れて丁原病院に出かけて手術を行って謝礼をもらっており、このことを知った乙野院長がこのような行為をやめるように強く注意した後も、被告(=南淵明宏)一人で丁原病院に出かけて心臓外科手術を行うことを恒常的に続けたばかりか、丁原病院からベンツの供与まで受けていたことが発覚したことから、丙山手術について他の医師らの疑いを招いていたこととあわせて、乙野院長から退職を求められ、被告(=南淵明宏)もこれを了解して退いたものである。従って、本件表現中、他の表現とあわせることによって被告(=南淵明宏)がGVHD裁判に関して戊田の遺族に協力したことを原因として原告病院から解雇されたとの印象を与える表現である「私がその甲田市の病院を突然に解雇された」「私は同じ年の七月に甲田市の病院から突然クビを言い渡されました。」「(私はクビになりましたが)。」(「考心」)、「『君の手術は、だれも手伝わない』と院長から事実上の解雇宣告を受けた。」(「読売ウイークリー」)及び「遺族に全てを話し、病院を追われた彼は」「遺族に真実を話した医師は病院を追われてしまいます。」「ある日、甲野(=南淵)医師が出勤すると、机の上には何もなくなっていた。病院の院長は、『君の手術にはもう誰も協力しない。』と告げたという。事実上の解雇通告だった。」(「きょうの出来事」)との各表現は真実であるとは認められず、また、そう信ずるにつき相当の理由も存在しないものである。
この点について、被告(=南淵明宏)本人尋問の結果中には、被告(=南淵明宏)の退職当時の状況に照らし、被告(=南淵明宏)が退職する理由がGVHD裁判の件を除いて他に存在しないから、被告(=南淵明宏)がGVHD裁判に関して戊田の遺族に協力したために原告病院を解雇されたとの表現は真実であり、または真実であると信ずるにつき相当の理由があるとする供述部分がある。しかし、被告(=南淵明宏)が退職した理由は上記認定のとおりであり、また、被告(=南淵明宏)が戊田の遺族に対してGVHDの発症やその原因について説明してから被告(=南淵明宏)の退職の時期までは二年半以上が経過していることや、被告(=南淵明宏)の退職の前後に原告病院の側からGVHD裁判に関して被告(=南淵明宏)を責めたり、同裁判について戊田の遺族に協力しないでもらいたいなどという言動が一切なされていないことに照らしても採用しがたい。
ウ 次に、上記事実によれば、�(神�9年8月ころ、原告病院への医療機器の納入業者であるゲッツブラザーズが原告病院の知らないうちに、被告(=南淵明宏)との間で報酬90万円で心臓外科手術手技のビデオ製作・提供に関する業務委託契約を締結していたことが発覚し、原告病院からこのことを責められたことから心臓血管外科製品の納入を一時自粛していたこと、�△修慮紂∧神�10年4月ころ、ゲッツブラザーズから被告(=南淵明宏)に対し、上記(1)のエの(ウ)の内容のメールが送信されたことがあったこと、�H鏐�(=南淵明宏)がGVHD裁判の証人として出廷する前の時期に被告(=南淵明宏)に対して徳洲会の弁護士と名乗る人物から四回ほど電話がかかってきたことがあったことは、上記(1)に見たとおりである。しかし、上記�,了�実は、被告(=南淵明宏)がGVHD裁判の証人として申請さるよりも約一年半も前のことであり、被告(=南淵明宏)が証人として出廷することとなんらの関係のないことはその時期の点に照らしても明らかである。また、上記�△了�実もメール内容に照らしても被告(=南淵明宏)がGVHD裁判の証人として出廷することと何らかの関係があるものとは見られず、他にこの点を認めるべき証拠もない。更に、上記��の点についても、被告(=南淵明宏)は結局電話には出ていないのであって、上記電話がどのような用件であったかは不明であり、嫌がらせのための電話であったとは決めつけることは到底できないものである。
そうすると、本件表現のうち、「出廷する日が近づくと徳洲会からの執拗な嫌がらせが丁原病院に勤務する私や病院を襲いました。徳洲会弁護士のI氏からは何度も電話がかかってきました。」(「考心」)、「被告(=南淵明宏)からの数々の圧力」「出廷する日が近づくと、福山医師の周辺で、医療機器納入業者などが事実無根のイヤガラセ情報を流したり、病院側の代理人が何度も電話をかけてきたりしたそうだ。」(「読売ウイークリー」)との表現は真実であると認められず、また、そう信ずるにつき相当の理由も存在しないものである。
エ また、上記各表現が真実であると認められない以上、これらが真実であることを前提とした被告(=南淵明宏)の意見である「またそうすることはむしろ医師社会、特に営利や選挙活動を主体とする病院ではタブーだったのです。」(「考心」)との表現は、公正な意見・論評であるとは到底認められない。
オ 以上によれば、その余の本件表現の公益性や公益目的等の点について判断するまでもなく、本件表現が違法性を阻却される余地はなく、また、被告(=南淵明宏)に名誉毀損の故意または過失がなかったと認める余地もないものである。
上記二の(1)に認定した各事実に照らし、被告(=南淵明宏)が原告を突然に解雇され、かつ、虚偽の事実を流布されたものと認めることはできず、被告(=南淵明宏)が原告により違法に名誉を毀損されたと認めるに足りないから、本件表現が被告(=南淵明宏)の名誉を回復擁護するために必要なものであったとはいえず、これを理由に本件表現につき違法性が阻却されることはない。
(1)上記第二の一の「前提となる事実」(4)に見たところと〈証拠略〉をあわせると、「読売ウイークリー」掲載内容及び「きょうの出来事」放映内容と、「考心」掲載内容は、被告(=南淵明宏)がGVHD裁判に協力したため解雇されたとの印象を読者または視聴者に与える点で共通しており、また、「考心」掲載の病院長の叱責文言と、「読売ウイークリー」掲載の病院長の叱責文言は酷似していること、「読売ウイークリー」掲載の事実上の解雇通告文言と「きょうの出来事」放映の病院長の「事実上の解雇通告」文言は酷似していることが認められる。そして、「考心」掲載文が被告(=南淵明宏)の寄稿文すなわち被告(=南淵明宏)が「考心会」に対し提供した情報そのものであることから、被告(=南淵明宏)が読売新聞社及び日本テレビに対して提供した情報も「考心」寄稿文とほぼ同一の内容であったことが推認される。
そうである以上、「読売ウイークリー」及び「きょうの出来事」で、被告(=南淵明宏)がGVHD裁判に協力したため原告病院を解雇されたこと等を内容とする報道がなされたのは、被告(=南淵明宏)の情報提供に基づいてなされたものであると認められ、被告(=南淵明宏)の情報提供行為と「読売ウイークリー」掲載内容及び「きょうの出来事」放送内容との間には因果関係が存在するものと認められる。また、「きょうの出来事」には、上記第二の一「前提となる事実」(6)のとおり、被告(=南淵明宏)本人が説明する映像が放送されており、この点からも「きょうの出来事」放映内容が被告(=南淵明宏)の情報提供に基づいて製作されたことが認められる。
なお、「読売ウイークリー」には「医療機器納入業者などが事実無根のイヤガラセ情報を流した」とする部分があり、上記部分は「考心」にはなく、被告(=南淵明宏)が提供した情報と相違した報道がなされたと認められるが、これは被告(=南淵明宏)の提供した「被告(=南淵明宏)に関わりのある医療機器納入業者に対し圧力をかけられるなどの嫌がらせを受けた」との情報を取り違えて報道したものと容易に認められるのであって、被告(=南淵明宏)の提供した情報を元にした報道である点及び被告(=南淵明宏)による情報提供がなければ報道されることはなかった点では他の部分と変わらないのであり、かつ、GVHD裁判の証人として出廷するに際し被告(=南淵明宏)に対して圧力がかけられたとの印象を与える点において、上記部分は、被告(=南淵明宏)により提供された情報がそのまま報道されていた場合と変わりないのであるから、この部分についても被告(=南淵明宏)による情報提供行為と報道との間に因果関係を認めることができる。
(2)そして、被告(=南淵明宏)提供にかかる上記情報は、�“鏐�(=南淵明宏)の個人的経験にかかる事実に関するものであり、被告(=南淵明宏)により提供されなければ報道機関がこれを知り、報道することはなかったと認められること、��提供された情報は、医師である被告(=南淵明宏)自身が主治医として関わった患者の死亡事故や裁判に関するものであり、その内容にも照らしても、このような情報提供を受けた報道機関にとってこれが虚偽の情報であると疑う余地の乏しいものであった上、情報の性質上、被告(=南淵明宏)からの情報提供を受ける他にこれを裏付ける取材を行うことが困難なものであったこと、��情報の内容自体、医療事故及びこれに対する医療機関の姿勢についての関心が高まりつつあった社会風潮と合致するものであり、一旦報道機関に提供されれば、報道機関が報道することが強く予測されるものであったことが認められることに照らすと、被告(=南淵明宏)による上記情報提供行為が「読売ウイークリー」及び「きょうの出来事」の本件表現部分につながることは通常予想が可能と認められるものである。
そうすると、被告(=南淵明宏)による情報提供行為と「読売ウイークリー」及び「きょうの出来事」の本件表現部分との間には相当因果関係が存在すると認められる。
(3)なお、この点に関し、被告(=南淵明宏)は、「読売ウイークリー」及び「きょうの出来事」における本件表現部分は報道機関の独自の責任において報道されたものであり、被告(=南淵明宏)による情報提供行為との間に相当因果関係は認められないと主張するところ、確かに、雑誌記事及びテレビ番組の編集は報道機関に委ねられているから、報道機関に対し情報提供を行った場合に、編集により取捨選択され、報道されない可能性も一般的には認められるが、本件においては、上記のとおり提供された情報自体がそのまま報道される可能性の高い性質のものであるので、報道機関が介在することにより相当因因果関係が否定されることはないものであり被告(=南淵明宏)の主張は採用できない。
(1) 本件表現が、いずれも原告の社会的評価を低下させる名誉毀損行為にあたることは上記一に見たとおりであるが、これらの表現がなされた形態は、被告(=南淵明宏)の執筆した文章によるもの(「考心」)、被告(=南淵明宏)の情報提供行為に基づいて週刊誌の記事として掲載されたもの(「読売ウイークリー」)、被告(=南淵明宏)の情報提供行為に基づいてテレビで放送されたもの(「きょうの出来事」)とそれぞれ異なっており、また、その発表された時期も相当異なっていることから、これらを一個の不法行為と見ることはできない。
なお、被告(=南淵明宏)は、本件表現がなされた時期を境に原告病院の入院患者数や収益が低下するなどの経済的損失を原告が受けたことはなかったことから、原告には損害が生じていないと主張するが、本件表現によって原告の名誉が損なわれたことによる損害は、その名誉毀損のなされた時期を境にして直ちに現れる収入の差額に尽きるものではなく、信用及び名誉を毀損されたことによる無形の損害も含まれるものであるから、被告(=南淵明宏)の主張は採用することができない。
上記第二の一及び第三の一のとおり「考心」掲載文には、原告が医療過誤の事実を隠蔽しようとしたこと、被告(=南淵明宏)が医療事故の事実を患者に説明したことを叱責した上で解雇したこと、被告(=南淵明宏)がGVHD裁判で証言するにあたり嫌がらせを執拗に行ったこと等が直接的な表現で記載されており、かつ、「(死因などを説明することは)タブーだったのです。」など、原告が医療過誤の事実を隠蔽することを常としているかの如き記載もあり、これらの表現は、医療機関である原告の信用及び名誉を著しく毀損するものであると認められる。
他方で、〈証拠略〉によれば、「考心」は被告(=南淵明宏)による心臓手術の執刀を受けた患者及びその家族で構成される被告(=南淵明宏)を中心とした団体であり、平成13年において会員数、約四〇〇名からなる比較的小規模な団体の会報誌であり、上記表現が流布する範囲は限られていると認められることや、その他の本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、「考心」掲載文に関する原告の慰謝料と、「考心」掲載文に関する原告の慰謝料は100万円が相当である。
上記第二の一及び第三の一のとおり、「読売ウイークリー」掲載記事は医療機関たる原告の信用及び名誉を毀損する表現を含んでおり、かつ、「読売ウイークリー」は全国に頒布されている週刊誌であり、購読者数も少なくないと考えられるが、他方で、同記事中において原告名が明示されてはおらず、被告(=南淵明宏)名も仮名であることが認められるのであって、これらの事実のほか本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、「読売ウイークリー」掲載記事に関する原告の慰謝料は150万円が相当である。
含んでおりかつ、上記表現はテレビ放映という方法を採ってなされたものであり、視聴者に対し強い印象を与えるものであると考えられる上、「きょうの出来事」は全国的に放送されているテレビ番組であり、視聴者数も多いと考えられるものであるが、他方で、上記番組中で原告名は明示されていないのであって、これらの事情のほか本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、「きょうの出来事」放送内容に関する原告の慰謝料は150万円が相当である。
<証拠略>によれぱ、原告は本件訴訟の追行を原告訴訟代理人に委任したことが認められるところ、本件事案の内容、審理経過と、「考心」掲載文に関する原告の慰謝料過、認容額等に照らすと、弁護士費用とし
これは,当審弁護人請求証拠番号9の判例時報1875号の抜粋の写しです。横浜地裁の平成16年8,月4日という判決ですけれども,判決がその次のページにありまして,その前に四角で囲った解説の。
しかし,同一性の確認というのは,それは,本人が作成したものかあるいは本人が何らか関与したものでなければ,そういう同一性の確認というのはできないはずです。
ここに記載されている被告が証人であるということを明らかにするために示すものであり,異議は理由がないと。
これがどのような形でこういった文書になっているのか,側面に「判例時報」というふうに書いてあるわけですけれども,実際にこれが甲野太郎というふうになっている。
ええ。いや,ですからこれはこの判例時報をお書きになられた方に聞けばすぐ分かることではないでしょうか。
それはそれで結構ですが,その事件は,勤務医が自分の勤めている病院の医療過誤により死亡した元患者の遺族に協力したために解雇されたと発言したため,病院がこの勤務医を名誉毀損で訴えたんですね。
判決では,この勤務医が無断で他の病院でアルバイトしたりベンツの供与を受けていることが発覚したために退職を求められ,本人もこれを了承して退職したと認定し,勤務医の発言は真実ではなく真実と信じるについて相当の理由もないとして名誉毀損の成立を認めたと,そういう判決なんですが,ごくごく概略を説明いたしましたが,そのことと横浜地裁で平成16年の8月4日の判決であるといったこと,そのことを考えて,そこに記載されている被告というのはあなたのことですか。
その仮名処理というには裁判長おっしゃるとおりそれなりの理由があると思うんですけれども,そもそも私のような一般の人間が裁判にかかわって証言するにおいて,被告人だけでなく証言する人間もそれなりに裁かれる,そのような面持ちを禁じ得ないのでありまして,本日も今日ここに向かうに至り,確かに佐藤医師が被告人ではありますけれども,私自身も日ごろの行状を裁かれるというつもりでここの法廷には参っておりますけれども,また私もこれまで49年間人間として生きてきて,多くの間違いを犯し,その間違いに気付かずいまだに過ごしていることもあろうと思いますけれども,その間違いうんぬんそれぞれが,こういった形の裁判において,それぞれ白日の下にされていくべきものなのかということにつき,私個人の利益うんぬんを考えるのではなく,こういった裁判における証言者の立場というものをある種考える意味で,この判例時報の挙げられた甲野太郎が仮に私だとして,それが今まで私自身,一審それからこの控訴審において今回で4回目,1回に3時間以上何も持たず何もメモできず尋問され,本日に至っては随分前のあなたこう言ったじゃないですか,これはどうですかと,いちいち私がまるで罪人のごとく,それはいいんですけれども,尋問される,そういったものに僕としては耐えてきたつもりなんですけれども,とにかくそういったことで証人の証言力に信憑性がないというそういう目的,弾劾証拠とでも言うのでしょうか,そういうことでこういったことをお出しになるのであれば,もっと最初の時点で,私がこの少なくとも控訴審においての時点でかかわる前に,本件における中立な証言を述べられる価値なしというふうな異議を申し立てていただければよかったのではないかなと思うんですけれども。
これは,当審弁護人請求毎拠番号8の週刊医学界新聞の抜粋の写しです。これも発言の有無の確認だけをいたします。医学書院というところからとった週刊医学界新聞というところですけれども,東京医科大学の方が証人巨という名前が出ている人に対してインタビューしていると,その結果が記載されているんですけれども,それの2ページ目を見ると,写真の下のところに発言が載っていて、証人が、この「手術室にゼニと名声が埋まっている」という発言をしたというふうな記載になっているんですけれども,証人御自身の発言ですか。
僕が発言したことになっていて,こういった形でパブリッシュされるということに僕自身が承諾したというのは事実です。
したがって、弁1ないし弁9は、いずれも検察官申請証人の信用性にかかる証拠であり、罪となるべき事実及びこれに準ずる事実とは関係がなく、自由な証明の対象になるものである。
「『自由な証明で足りる』とは、刑訴法319条以下の規定に照らしての証拠能力を備えた証拠による必要はないという意味である」(前掲最高裁判例解説同頁)から、自由な証明の対象となる弁1ないし弁9は、検察官の同意なしでも、証拠として採用可能である。
第三次試案 医療安全調査委員会 調査チームの「法律関係者」にヤメケンを入れるな!−ヤメケンの歪んだ視線―「起訴されれば有罪」と「国民」が「医師」を最終的に起訴!
無実の罪に問われている被告人や冤罪者にとっての最大の敵は検察、検察官である。私は、検察官を「法律家」ではなく「法律屋」とう範疇に入れる。役人個人としての仕事のためには、「国家への奉仕」はおろか自分自身の「尊厳」や「勇気」「良心」「信念」を捨ててでも役人業務を遂行する。
日野原重明先生[i]のお話によれば、持っている能力を社会の繁栄と人々の幸福のために活かすと神に誓うから『プロ』であるという精神が垣間見える職業は、「神職者」、「法律家」、「医師」で、専門職能集団の中でもトップのプロフェッショナルな集団ということであるが、私が見てきた検察官は、「法律家」ではない。
厚生労働省が2008年4月3日に発表した第三次試案「2 医療安全調査委員会(仮称)について」【委員会の設置】(13)「中央に設置する委員会、地方委員会及び調査チームは、いずれも、医療の専門家(解剖担当医、(病理医や法医)や臨床医、医師以外の医療関係者(例えば歯科医師・薬剤師・看護師))を中心に、法律関係者及びその他の有識者(医療を受ける立場を代表する者等)の参画を得て構成することとする。」とある。
そもそも、医療事故調査委員会が、「何を何処までやるか」の目的の議論も曖昧なままであるのだから、委員の選任自体が問題である。医療事故そのものの真実」の解明をするまでの段階に医療関係者以外の必要性はないと考える医療関係者が多数であると思われる。
その前提をおいても、なぜ、医療関係者に関しては事細かな説明があるのに、「法律関係者」は、漠然とした表現のみで具体的な職種やどのような立場なのか、医師とってステイク・ホルダーなのか等の説明が全く無いことに注意しなくてはならない。一般の国民からみると「法律関係者」といわれても何がなんだかわからないが、なんとなく法律に詳しく、法律的に公正な視線を持つ人を指すように感じてしまうのではないだろうか。
この「法律関係者」が、ヤメハン(元判事、元裁判官)ならまだ納得いく。だが、「ヤメケン」(元検事)は絶対に入れるべきでないと私は主張する。「ヤメケン」は「弁護士」「大学教員」「法律専門家」等の一見中立的良心的な「法律家」としての名刺を持つことがあるのでやっかいだ。百歩譲って、この「法律関係者」に「ヤメケン」が選ばれるのであれば、「医療側に立つ法律家(多くは弁護士)」を同じ人数入れることをルールとするべきである。
「医療事故の責任」事故を罰しない、過誤を見逃さない新時代へ 神谷惠子編著 (毎日コミュニケーションズ)という書籍を購入したところ、本件刑事事件に関する評価がいろいろ掲載されていた。164頁に「事件No.96 事件分類:医療機器欠陥 事件名:『東京女子医大病院人工心肺事件』」の「内容」が誤っていることは以後、別に論じるとして、6頁にあるヤメケン飯田英男氏の著書『刑事医療過誤�供戮�らの引用を見てみよう。
起訴された被告人は、有罪が確定するまで、「無罪」である。しかし、この表の作成者の基本的姿勢は、『推定無罪の原則』に真っ向から対立する態度である。冤罪で起訴された被告人は、裁判で、「無罪になる」のではなく、「もともとの『無罪』」が裁判上決定するのだ。この表の、「業務上過失致死」の「Dr」は赤文字でしめされたように「0人」!。一審が無罪だったのにかかわらず、「確定していないから有罪の範疇に入るので、無罪は、0人、よって有罪率は100%」という論理になっている。そもそも、書籍の題名自体が、「刑事医療過誤」で過失を前提としている。
本件掲示事件は、「無罪」が一審で言い渡される前から、メディアも、遺族も無罪を予想していた。ついでに言えば、検察自体も無罪を 予想していた。「東京女子医科大学事件」「東京女子医大心臓手事件」「東京女子医大人工心肺事件」等という報道や発表をみたことはあった。さらに、無罪判決後は、「東京女子医大人工心肺フィルター目詰まり事件」と原因に関わる命名をした発表の存在に対し、「操作ミスではない。」という判決を受けて、「東京女子医大人工心肺操作ミス事件」と命名できるメンタリティーに呆れ返る。さすが、ヤメケン。染みついた検察官魂はやめても抜けない。
大変気になるのは、この飯田氏の著作『刑事医療過誤�供戮�、医療事故に関する発表、書籍、HP上の文章などで多く引用されていることである。これは、執筆者の立場が、医療関係者、法律関係者に限らない。おそらくこれまでに、医療事故に関する専門書が少なかったことが、この書籍に依存せざるをえない部分があることにも関連していると思われるが、この書籍は増補版まで出版されている。amazonでは、オリジナル版は入手できないくらいとのことなので、売れているとうことだろう。
経歴が凄いとか、医療事故事件に詳しいとか、医療過誤事件の権威であるなどとい理由を一人歩きさせて、ヤメケンの記述することを鵜呑みにしないでほしい。ある法律家も、ある有名な被告人もいっている「ヤメケンは弁護士を名乗っても所詮検事。」
飯田氏は本件事件の経緯で最も悪名高き、東京女子医大「学内調査委員会報告書」に対する、「外部評価委員会」の委員だった。この「外部評価委員会」については、「医療の質の保証」―ブリストルの遺産−古瀬 彰 元東京大学心臓血管外科教授 『胸部外科』59巻9号「第6章 わが国において心臓手術の質が問われた事件」「第7章 心臓外科医療の質の評価」で、「心臓外科あるいは体外循環の専門家が委員として入っていない」「不十分」「委員会の設置主体が大学」「外部委員の選定が大学」であることなどが、言葉としては良く抑制的であるが、内容的には徹底的かつ痛烈に批判されている。
自分の刑事事件での経験がある私にとって、厚生労働省が設置を考えている「医療事故調査委員会」は、第二試案以前から、その報告書の効力については、冷ややかな考えを持っていた。本件での、東京女子医大が作成した「学内調査委員会報告書」と三学会(日本心臓血管外科学会、日本胸部外科学会、日本人工臓器学会)の作成した「三学会調査報告書」は、検察側と弁護側の相対する「証拠」として双方が申請したが、双方がともに判決直前まで「不同意」としていた。それを判決直前に裁判官の訴訟指揮もあり、双方が「同意するが、その信用性を争う」ことになった。
確かに報告書が、医療者にとって有利な内容であれば、「事件性無し」ということで、書類送検見送りや不起訴になる可能性が高くなる。
だが、予想されるように報告書が医療者にとって不利な場合は、起訴される可能性も強くなる。しかし、刑事訴訟法317条「事実の認定は証拠による」のである。これまで、ブログには、「大野病院事件初公判」をはじめとしてこのことを散々書いてきたが、仮に現行法で、「医療事故調査委員会」報告書が検察側に有利だったら、検察側が証拠申請して、これに弁護側が「不同意」。となることが予想される
ところが、民事訴訟ではそうは行かない。原告にとって有利なものは、たとえ真実でなくとも、被告の不利になるものであっても「不同意」することはできない。簡単にいえば、何でもかんでも証拠として採用される。
それどころか、2008年4月号の日経メディカルが指摘するように、「医療裁判では、院内の事故調査報告書など、事故に関して作成した文書の提出を裁判所から命じられることがあります。」
前述の通り、私はこの第三次試案の報告書の効力については、冷ややかな態度で、少し馬鹿にしていました。しかし、医師達の間では、4月上旬にコメントのあった河上和雄弁護士(ヤメケン)の意見「最初から過失の重大さの判断を勝手に法的権限のない事故調が行って、捜査機関に通知するかしないかを決めるのは、司法の権限を侵すので問題だ」という話が印象的だったようです。こんなことは、刑事裁判の被告人にとっては、当たり前の話ですが、これを引用する医師達が多い様子。「現在の法の枠組みでは、事故調はあくまでも捜査機関のアドバイス機関に過ぎない。」ので、現状では、刑事裁判の「証拠」と提出されても、単なる「証拠申請されたが不同意の証拠」として、藻屑となる可能性が大です。
この意見を「流石元最高検公判部長、識者の意見」などと関心して、以後もこの方の意見を盲目的に信じることなく、ひとつひとつ注意深く対峙する必要がでてくると思います。
これは、ものすごく大事な話です。簡単に言えば、「検察審査会法(改正)施行」は、既に公布され2009年5月27日までに施行されるが、『一応、医学的な専門知識を素人ながら勉強した検察官』が不起訴にした後、最終的には『医学も科学も全く知識がない委員からなる』検察審査会の審査で、起訴相当と判断されると『必ず起訴』される(指定弁護士による起訴)」というルールが出来上がってしまった。」といういことです。
検察審査会は,衆議院議員選挙人名簿の中から,若干の除外事由は有りますが,くじで無作為に選ばれます[ii]。国民です。医療事故の場合、国民はどうしても患者側の視点に立つためか、「起訴相当」または、「不起訴不当」とされるケースが多くなっているようです。(棚瀬弁護士は、「不起訴相当の議決を経験したことがない」そうです!)
「事故調報告書」が医療側に問題ない、検察が「不起訴」としても、検察審査会で「不起訴不当」「起訴相当」結果的に指定弁護士による起訴、メディアが煽る、刑事公判開始で大事。目に見えるようです。
日野原:「Profession」という言葉には、神に告白(Profess)する、約束する、契約するという意味があります。神学と法学と医学のプロフェッションには、明らかにその精神が垣間見える。底通するのは、学問を修めるにとどまらず、持っている能力を社会の繁栄と人々の幸福のために活かすと神に誓うから「プロ」であるという精神。欧米で、神職者、法律家、医師が、専門職能集団の中でもトップのプロフェッショナルな集団とされてきた理由はそこにあります。そして、使命感を持った人が公言し、神と約束しているわけですから、第三者が彼らの仕事の内容を批評するのも当然のこと。
検察官側の主尋問に対して、今回の証人である心臓外科医が医学的にまっとうなお答えをしているのに、それが被告にとってちょっとでも有利な内容(被告に過失はないので当然ですが)であるときの検察官の口癖、
検察官  「・・・ちょっと,質問をもう1度聞いていただけますでしょうか。ちょっと混乱されているのかなというふうに思いますので,もう1度お尋ねします。」
検察官から公判日の前日になって、弁護側が控訴審開始後に提出していた証拠の全てに「不同意」するという「証拠調べ請求に対する意見書」を送付してきました。公判の前日では、それに対して弁護側が会議を開いて話し合いをすることもできません。
あえて今回の判決の意義を申し上げますと、まず、「個人の勝利」が挙げられると思います。裁判の内容や事件の性質は別として、孤立無援の状態で、ほとんど徒手空拳で裁判を戦い抜いた佐藤医師の根性は、誰もが目を見張ることでしょう.昨年の暮れ、検察から裁判の話を聞いたとき、そして初めて電話で話したとき、当方は孤軍奮闘する佐藤医師の熱気に圧倒されました。おそらく自分であったら、「もうどうでもええわ…」となっていたことでしょう。そうさせなかったパワーはどこにあるのか、誰もが尊敬するところでしょう。そしてそれは「無罪判決」として結実したようです。大学病院から「切られた」かたちで戦い抜いた佐藤医師を批判する人はいないと思います。報道も「操作した佐藤医師」ではなく大学病院に批判が向けられています。
おそらく佐藤先生には「自分としてはやるだけやったから結果はどうでもいい」と言う感じの、投げやりではない、充実感ゆえの達観した気分で判決を迎えたのではないでしょうか。テレビで見受けられた「高ぶらない」表情から、そんな心境が読み取れました。全部が自分に敵として向かってきている、当事者である大学組織が自分をのけ者にして忘れ去ろうとしている…、これに対する憤りは誰もが容易に理解できるものですが、実際に行動を起こす人はいないでしょうし、起こせる立場にいる人もいないと思います。今回の判決は一般論として、医療現場において「事故が事故として、結果だけで判断されず、しっかりと責任の所在が「組織にある」と認められたこと」で、組織が責任逃れすることはできないという前例を作ったことになりますが、それ以上に、一人の医師の孤軍奮闘振りには、杜会は無言で、畏敬の念を抱いていることは間違いありません。
地獄を見た奴は強い、地獄から帰ってきた奴には勝てない!見たくてみた地獄ではないでしょうが、これからの佐藤医師の人生にとって絶大なるパワーの源となることはまちがえありません。ご自分でも気がつかないでいる、自分の中に備わった無限のパワーがこれから先の将来、随所で威力を発揮することでしょう。楽しみにできるのではないでしょうか。そして、これからは今までの100万倍も充実した時間を過ごされることを確信する次第です。
立証趣旨:東京女子医大事件の手術について、技士が呼ばれて駆けつけるまで約15分間あるいはそれ以上、12歳の女の子の血液の循環は停止してしまったのではないかと想像します。/その結果、脳障害などが起こり、死亡につながりました。15分間、血液の循環が停止することで脳は確実にやられてしまいますが、他の部分はほとんど影響を受けないはずです。そうなると、例外もあるかもしれませんが、2〜3日で亡くなることはまずありません。この点からすると、循環が停止していたのは、15分よりはるかに長く、30分以上だったのではないかと思います」(90頁)と述べていることなど
立証趣旨:南淵が、東京女子医大事件の病院の内部調査について「その後、病院の内部調査で、医療ミスの可能性とカルテの改ざんについては病院側も認めたが、残っている記録のお粗末さもあり、真相の解明にはほど遠いものとも指摘されている」(144頁)と述べていることなど
立証趣旨:南淵が、「心臓の筋肉は常に;有酸素運動"なんですよ。冠動脈が詰まって酸素がこなくなると10秒ほどで心室細動に陥ります」と発言していることなど
立証趣旨:南淵が、「各学会が認定する専門医の資格も技能も一切問われません。うわべを整えて、『ハーイ』って手を挙げたものが、『じゃ、あんた、専(門医』」と発言していることなど
立証趣旨:南淵が「最先端でも高度でもないごくごく普通の心臓外科手術を、私は同僚たちと行っている」と発言していることなど
立証趣旨:南淵が、自分の勤めている病院の医療過誤により死亡した元患者の遺族に協力したため解雇された」と発言したため、この発言が名誉毀損に該当するとして、南淵が勤務していた病院が南淵を訴えた裁判で、横浜地方裁判所が、南淵が退職したのは、病r院に無断で他の病院でアル言バイトをしたり、ベンツの供与を受けたりしたことが発覚したためであると認定し、南淵の上記発言は真実でなく、真実と信じるについて相当の理由もないとして、名誉毀損の成立を認めたことなど
▽医療法人の経営する病院に勤務する医師が無断アルバイトを理由に退職したにもかかわらず、医療過誤の事実を患者側に伝えて解雇されたなどと週刊誌の取材やテレビで発言した場合、病院の社会的評価を低下させたとして、医療法人の医師に対する損害賠償請求が認容された事例
一 Xは、複数の病院及び診療所を設置運営している医療法人であるところ、平成8年8月3日付で無断アルバイトが発覚してA病院を退職した医師Yが、週刊誌の取材やテレビ番組などで、同病院の医療過誤により死亡した元患者の遺族に協力したため解雇されたなどと発言したため、右発言により名誉を毀損されたと主張し、Yに対して、3500万円の損害賠償を請求した。
これに対し、Yは、(一)Yの発言内容は、真実であるか、真実と信ずるにつき相当の理由があるから、その発言には違法性がなく、また、Yには名誉毀損の故意・過失がない、(二)Yは、突然に解雇され、かつ、虚偽の事実を流布されたことにより名誉を毀損されたものであり、右発言は、これを回復・擁護するために必要なものであったから、違法性はない、などと主張した。
二 本判決は、(一)Yが無断で他の病院でアルバイトをしたり、ベンツの供与を受けていることが発覚し、院長から退職を求められ、これを了解して退職したのにかかわらず、週刊誌の取材やテレビ番組などで、病院の医療過誤により死亡した元患者の遺族に協力したため解雇されたとの印象を与える発言は、真実であるとは認められず、また、そう信ずるに相当の理由も存在しない、(二)医療過誤事件での出廷する日が近づくと医療法人から執拗な嫌がらせがあり、病院側の代理人が何度も電話をかけてきたりしたとの発言は、真実とは認められず、また、そう信ずるにつき相当の理由も存在しない、(3)病院の医療過誤で患者が死亡しても、その死因などを説明することは病院ではタブーだった旨の発言も、それが真実と認められない以上、公正な意見・論評とは認められない、などと判断したうえ、右発言は、いずれもXの社会的評価を低下させる名誉毀損行為に当たり不法行為が成立するとし、Yに対して、慰謝料400万円と弁護士費用40万円の支払を求める限度で本訴請求を認容した。
三 人の名誉は、古くローマ法の時代から人格権の中でももっとも重要な権利として不法行為法の保護を受けてきたが、名誉毀損と不法行為の成否については、摘示された事実が真実であると証明されたとき、あるいは真実と信ずるについて相当の理由があるときには、不法行為が成立しないとするのが確定した判例理論である(最一判昭41・6・23民集20・5・1118、本誌453・29)。
そこで、本件では、主として、もとA病院に勤務していた医師Yの、同病院の医療過誤により死亡した元患者の遺族に協力したため解雇されたなどとする発言の内容が真実であるかどうかが争われたが、本判決は、関係証拠を検討の上、右発言内容は真実であるとは認められず、また、そう信ずるにつき相当の理由も存在しないと判断し、Yの不法行為責任を肯認した。
本判決は、特に目新しい判断を示したものではないが、問題の医師は、人気漫画「ブラックジャックによろしく」に登場する心臓外科医のモデルで、「ブラック・ジャック解体新書」などの著書がある医師であるとして知られ、社会の関心を集めたケースであるので、事例的意義があるものとして紹介する。
本件は、原告が、平成12年11月26日発行の会報誌「考心」に掲載された被告の寄稿文並びにそのころ被告が取材を受けることにより掲載された同年12月24日発行の「読売ウイークリー」の記事及び平成13年3月7日放送の日本テレビ「きょうの出来事」の放送内容に、原告の設置運営する乙山病院(以下「原告病院」という。) における医療過誤により死亡した元患者の遺族に被告が協力したため原告病院を解雇されたなど、原告の社会的評価を低下させる表現が含まれており、被告は故意に原告の名誉を毀損したものであると主張して、被告に対し不法行為に基づく損害賠償として3500万円及びうち3000万円に対する不法行為の日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払いを請求した事案である。
原告は、医療法人社団徳洲会グループに属する医療法人社団であり、神奈川県下において、原告病院を含む複数の病院及び診療所等を設置運営している。
被告は、平成5年10月一日から平成8年8月13日まで原告病院心臓血管外科に勤務していた医師であり、現在は、医療法人社団丙川会の設置運営する丁原病院心臓病センターの心臓外科部長である。
ア 平成5年12月、被告が主治医を務めていた戊田松夫(以下「戊田」という。)は、原告病院において冠状動脈バイパス手術及び僧帽弁置換術を施行され、手術時の出血量が多かったために、血小板輸血を受けた。戊田は、輸血後、移植片対宿主病(GVHD)を発症し、術後14日目に肺炎を併発し、呼吸不全により死亡した。
イ 戊田の遺族は、平成8年3月ころ、戊田の死亡は日本赤十字社及び原告病院医師の過失によるものであるとして、日本赤十字社及び本訴原告である医療法人社団愛心会に対し損害賠償を求める訴え(以下「GVHD裁判」という。)を横浜地方裁判所に提起した。
エ 平成12年11月17日、横浜地方裁判所は、GVHD裁判につき、日本赤十字社に対する請求を棄却し、本訴原告である医療法人社団愛心会に対し4000万円の支払を命じる判決を言い渡した。本訴原告は上記判決に対して控訴せず、上記判決は確定した。
「考心」は、被告による心臓外科手術を受けた患者及びその家族らにより構成される「心臓手術後の生活を考える会」(略称「考心会」)の会報誌である。
(イ) 私が甲田市の徳洲会病院に赴任してまもなく、冠状動脈バイパス手術と僧帽弁置換術をお受けになったM氏が、術後十四日目に肺炎で亡くなられました。直接の死因は肺炎ですが、GVHDという輸血による合併症を発症した状態での死亡でした。
(ウ) S医師はその後、私がその甲田市の病院を突然に解雇された直後、その病院の常勤医師になりましたが、当時外部医療機関に勤務していたS医師がM氏を執刀したのは病院の方針でした。
(オ) 私は甲田市の病院の院長から「どうして事実を家族に話したんだ!おまえはそういうところがまだまだ未熟な人間だ!」と叱られました。
(カ) 当時、GVHDで患者が死亡しても、まともに死因などを説明する医師は日本にはいなかったようです。またそうすることはむしろ医師社会、特に営利や選挙活動を主体とする病院ではタブーだったのです。私は同じ年の7月に甲田市の病院から突然クビを言い渡されました。私が現在の病院に移ってしばらくして、異例なことですが、原告側の裁判の証人として私は出廷することになりました。
(キ)出廷する日が近づくと徳洲会からの執拗な嫌がらせが丁原病院に勤務する私や病院を襲いました。徳洲会弁護士のI氏からは何度も電話がかかってきました。
(イ) Mさんは狭心症のため、同病院で冠状動脈バイパス手術を受けた。同病院は、近隣の大学病院からも患者が紹介されてくるような、全国的にも心臓外科の最先端をいく病院として知られており、Mさんもほかの病院から転院してきた。主治医は、赴任したばかりの福山晴夫医師(仮名=42)で、実際に執刀したのは、当時、他の病院に勤務していた同病院顧問のS医師だった。
(ウ) 福山医師は意を決し、遺族に対してGVHDだったことを明かし、次の3点を説明した。�〕�血で起こるかも知れないGVHDという合併症のことは、85年ごろから医師の間では周知の事実だったこと�△修Δい辰心躙韻瞥�血成分(血小板)の投与に関与した自分にも責任があること��いったんGVHDになると有効な治療法はないが、日赤、あるいは病院が事前に放射線照射をしていれば、予防できた可能性が強い。だが、この病院は照射装置を備えていなかったこと。
(エ) 病院の院長は、福山医師に対して「どうして事実を家族に話したんだ!お前のそういうところが未熟なんだ」と、烈火のごとく怒鳴りまくったという。同年7月には、「君の手術は、だれも手伝わない」と院長から事実上の解雇宣告を受けた。
(オ) そして、その二年後。同じ神奈川県内の病院に移っていた福山医師は、原告側の証人として出廷することを申請された。出廷する日が近づくと、福山医師の周辺で、医療機器納入業者などが事実無根のイヤガラセ情報を流したり、病院側の代理人が何度も電話をかけてきたりしたそうだ。
日本テレビは、平成13年3月7日、「きょうの出来事」中で、「医療ミスで患者を死なせてしまった医師。遺族に全てを話し、病院を追われた彼は、ある決断をします。医師と患者、そして病院のあるべき姿とは。今日の特集です。」とのアナウンスの後に、「8年前、ある病院で患者の死亡事故がありました。原因は医療ミス。遺族に真実を告白した医師は病院を追われてしまいます。患者に対する責任を自らに問い続けた一人の医師を取材しました。」とのナレーションを入れ、被告本人の説明する映像を交え、GVHD裁判及びこれに被告が協力したことを紹介する内容の番組を放映した。上記番組中には、「ある日、甲野医師が出勤すると、机の上には何もなくなっていた。病院の院長は、『君の手術にはもう誰も協力しない。』と告げたという。事実上の解雇通告だった。」とのナレーションが入る部分があった。
(2) 上記各表現は真実であり若しくは真実と信ずるにつき相当の理由があるか。また、公共の利害に関する事実にかかり、公共の利益を図る目的でなされたものか。
(3) 被告が、上記各表現を行い若しくは各表現の情報を報道機関に提供したのは、原告の行為によって損なわれた被告自身の名誉の擁護・回復のためになされた必要範囲内の行為か。
(4) 「読売ウイークリー」掲載内容及び「きょうの出来事」放送内容につき、被告による報道機関への情報提供行為との間に相当因果関係があるか。
(イ) 「私は甲田市の病院の院長から『どうして事実を家族に話したんだ!おまえはそういうところがまだまだ未熟な人間だ!』と叱られました。」
(ウ) 「またそうすることはむしろ医師社会、特に営利や選挙活動を主体とする病院ではタブーだったのです。」
(オ) 「出廷する日が近づくと徳洲会からの執拗な嫌がらせが丁原病院に勤務する私や病院を襲いました。徳洲会弁護士のI氏からは何度も電話がかかってきました。」
(イ) 「病院の院長は、福山医師に対して『どうして事実を家族に話したんだ!お前のそういうところが未熟なんだ』と、烈火のごとく怒鳴りまくったという。同年7月には、『君の手術は、だれも手伝わない』と院長から事実上の解雇宣告を受けた。」
(ウ) 「出廷する日が近づくと、福山医師の周辺で、医療機器納入業者などが事実無根のイヤガラセ情報を流したり、病院側の代理人が何度も電話をかけてきたりしたそうだ。」
(ウ) 「ある日、甲野医師が出勤すると、机の上には何もなくなっていた。病院の院長は、『君の手術にはもう誰も協力しない。』と告げたという。事実上の解雇通告だった。」
上記のとおり、本件表現は、原告病院において医療過誤が発生したことを前提に、その患者側に協力した医師を叱責し、解雇し、かつ、上記医師が証人として出廷するにあたり嫌がらせ行為を行ったとの内容であるところ、医療過誤につき社会的関心が高まりつつあり、マスコミでも頻繁に取り上げられている社会状況下において、上記のような表現は、原告に対し、医療過誤があった場合に解雇・嫌がらせ等の手段を用いてでも過誤事実を隠蔽する医療機関であるというイメージを植え付けるものであって、原告の医療機関としての信用及び名誉を著しく毀損するものである。よって本件表現は原告の社会的評価を下落させるものであり、名誉毀損行為にあたる。
「考心」では、被告がGVHD裁判が原因で解雇されたことを明確に述べた部分はなく、このような意味において原告の社会的評価が低下することはない。
また、本件表現のうち、「考心」掲載文においては被告は原告病院につき「甲田市の病院」と記載してその名称を明らかにせず、「きょうの出来事」の放送においても原告病院の名称及び原告病院を特定しうるような情報は放送されず、「読売ウイークリー」掲載記事においても、原告病院の名称は明らかにされず、被告名すら仮名であって、その掲載内容中に原告病院につながる情報はなかった。
以上のとおり、本件表現により原告病院を特定することはできず、そうである以上本件表現によって原告の社会的評価が低下することもありえないのであるから、本件表現は名誉毀損にあたらない。
ア 本件表現のうち事実を摘示した部分については、真実であり、または被告が真実と信ずるにつき相当の理由がある。
すなわち、�(蠹弔琉簑欧紡个靴道�実をありのままに話したことで原告病院長の強い叱責を受けたこと、��被告が原告病院長から「君の手術は誰も手伝わない」等と告げられたり、机を無断で片づけられたりしたことにより、やむをえず原告病院を退職したこと、�0緡典ヾ鑁柴�業者に対して圧力がかかったり、GVHD裁判の証人として出廷する前に病院側代理人から何度も電話がかかってきたりしたこと、�と鏐陲�、戊田の遺族に協力したことで原告病院を事実上解雇された(すなわちクビになった)ことは真実であるし、また、そうでなくとも、真実であると信ずるにつき相当の理由がある。特に上記�い砲弔い討蓮⊂綉��,覆い鍬�の事実や、原告が被告の退職理由として挙げる兼職行為が原告において禁止されていた事実や丙山梅子の冠状動脈バイパス手術においてビデオ撮影のために再切開再吻合を行った事実がなく、被告が原告病院を退職しなければならない理由が見当たらないことに照らすと、真実であると被告が信ずることには相当な理由があるものである。
また、本件表現のうち「またそうすることはむしろ医師社会、特に営利や選挙活動を主体とする病院ではタブーだったのです。」との部分については、上記の真実である事実及び真実であると信ずるにつき相当の理由がある事実に基づいた被告自身の公正な意見ないし論評である。
イ 社会一般の人々にとって、医療現場の事実隠蔽体質の有無は、適切な医療を受けるために医療の質を問う前提として、大きな関心事であるから、本件表現行為は公共の利害に係る事実に関する記述・発言である。
また、被告は、患者に対して説明義務を尽くし、患者に対する医療の透明性を確保し、ひいては医療の質を向上させようとする被告の信念に基づいて寄稿文を作成し、または報道機関への情報提供を行ったから、これらに基づく本件表現は公益を図る目的でなされたものである。
ウ 以上により、本件表現には事実の公共性、目的の公益性及び真実性があり違法性がなく、また、そうでなくとも、真実と信ずるにつき相当の理由があるから被告には名誉毀損の故意・過失がない。
イ 本件表現のうち事実を摘示した部分は全て虚偽である。すなわち、�“鏐陲�戊田の遺族に対して戊田の死因等を話したことにつき、原告病院長が「どうして事実を家族に話したんだ」などと被告を叱責したことはない。原告病院長は、平成5年12月ころ、被告から、戊田の遺族に対して説明を行ったこと及び訴訟にはならないと思うとの報告を受けた際に、見通しが甘い旨告げたことがあるのみである。また、��被告に退職を迫る方策として原告病院長が「君の手術はもう誰も手伝わない。」旨述べたり、被告の机の上を突然何もない状態にしたりしたこともない。被告が後述する丙山梅子の手術における再吻合の事実を疑われ、原告病院長に問いただされた際に、原告病院長が「そんなことをしていると誰も君の手術を手伝わなくなるぞ。」と話したことや、被告が辞表を提出した後、被告が事実上使用していたカンファレンスルーム机上の原告病院備品類を被告の同僚らが整頓したことがあるのみである。また、�8狭霽賊…垢�GVHD裁判の進行状況を全く知らず、被告が証人として証言することも知らなかったのであるから、原告が被告に対してGVHD裁判に関して何らかの働きかけを行うことはありえず、従って、被告がGVHD裁判で証人として出廷するにあたり、原告が何らかの圧力を被告に対して加えた事実も一切ない。さらに、�と鏐陲�戊田の遺族に協力したことで原告病院を解雇されたという点も事実に反する。被告は、原告病院で禁止されている兼職行為を行っていることにつき再三注意を受けたにもかかわらずこれをやめなかったこと、兼職先からベンツの供与を受けていたことが発覚したこと、及び、丙山梅子の手術において動脈グラフト四カ所のうち一本を吻合中株式会社ゲッツブラザーズ(以下「ゲッツブラーズ」という。)に提供する予に気付き、吻合部分を再切開した上再吻合し、これについて同僚らに非難されたこと等により原告病院にいたたまれなくなって原告病院を自ら退職したものである。
なお、�,覆い鍬い了�実は被告自身が経験した事実そのものであり、真実か否かは被告自身が熟知している事項であるから、真実と信ずる相当な理由が存在することはありえない。
ウ 本件表現は、被告が解雇された理由について摘示するものであるところ、これは被告の個人的な問題であり、事実の公共性は認められない。
また、被告は、GVHD裁判の意義を利用して被告の退職理由にすり替えることにより、被告を正当化・美化する目的で名誉毀損行為を行ったものであり、目的の公益性は認められない。
被告は、原告により突然に解雇され、かつ、虚偽の事実を流布されたことにより、名誉を毀損されており、本件表現はこれを回復・擁護するために必要なものであった。よって本件表現に違法性はない。
被告は、原告病院を退職せざるをえなくなったことを隠蔽・正当化するために本件表現を行ったものである。
「読売ウイークリー」及び「きょうの出来事」の報道内容は、「考心」とほとんど同一であることから、被告による報道機関への発言及び主張が上記報道内容に直結したものと認められ、被告による情報提供行為と「読売ウイークリー」及び「きょうの出来事」の報道内容との間には相当因果関係が存在する。
なお、報道機関について当該報道のもととなる情報提供を行った者が、当該情報提供について独自に名誉毀損責任を負うことは十分にあり得ることであり、その場合に、報道機関のみを被告とするか、報道機関とともに情報提供者を被告とするか、あるいは情報提供者のみを被告とするかは、原告による被告選択の問題であって、名誉毀損責任の成否に影響を与えるものではない。
本件において、被告が報道機関に対して提供した情報は、争点��記載の被告の主張するア�,覆い鍬�の事実のみであり、��GVHD裁判が退職に影響していることについては不確かな情報として語ったに過ぎないし、「読売ウイークリー」の表現に含まれている「医療機器納入業者などが事実無根のイヤガラセ情報を流した」との事実については、述べたこと自体ない。よって、「読売ウイークリー」及び「きょうの出来事」の報道は被告の情報提供に基づくものではなく、被告の情報提供行為との間に因果関係はない。
また、「読売ウイークリー」及び「きょうの出来事」については、報道機関は被告に対する取材のほか、種々の取材を行った上で、報道すべき事実を取捨選択し、構成し、かつ、脚色しているのであって、「読売ウイークリー」及び「きょうの出来事」の報道は、各報道機関の責任において独自に行われたものであるから、取材源である被告の情報提供行為と「読売ウイークリー」及び「きょうの出来事」の報道内容との間に相当因果関係はないものである。
本件表現行為によって原告が被った損害は、本件表現行為の内容が虚偽であること、その影響の大きさ、動機と態様の悪質性等に鑑み、金3000万円を下回らない。
また、原告は、本訴の提起及び追行を原告訴訟代理人らに委任し、その着手金及び報酬として合計5〇〇万円の支払を約したところ、これも本件表現行為に基づく損害に含まれるものである。
「読売ウイークリー」及び「きょうの出来事」では原告の特定すら困難であり、また、「考心」はごく規模の小さい限定された親睦会の会報誌であるから、本件表現により原告に損害が生じたとは考えられず、かつ、本件表現の前後を通じ、原告病院の入院患者数や売り上げが落ちた事実がないことは原告病院長も自認している。よって原告には本件表現により何らの損害も生じていない。
ア 上記第二の一「前提となる事実」(4)のとおり、平成12年11月26日付け「考心」掲載文は、原告が名誉毀損にあたると主張する表現を含んでおり、かつ、一般の読者が普通の注意と読み方をもって上記表現に接した場合、原告が医療過誤を起こした上、その事実を隠蔽する方針を採り、この方針に従わず医療過誤の事実を患者の遺族に説明した医師を叱責し、かつ解雇し、当該医師の医療過誤訴訟における証言により医療過誤の事実が明らかになることを嫌って執拗な嫌がらせ行為を行ったとの印象を持つものであって、医療機関である原告にとってその社会的評価を低下させるものであると認められる。
イ この点につき、被告は、「考心」において解雇の原因とGVHDの件を明確に関連づける表現はないと主張するが、「考心」掲載文のテーマが「GVHD裁判」であるにもかかわらず、被告が解雇された事実が3箇所にわたって掲載されていること、「死因を説明する医師は日本にはいなかった。」との記載の後に、「そうすることは」「病院ではタブーだったのです。」との記載が続いており、死因を説明したことを病院長から叱責されたとの事実の摘示の後に「突然クビを言い渡された」との記載が続いていること、GVHD裁判の意義を述べた記載の後に「私はクビになりましたが」との記載が続いていることからすれば、原告が名誉毀損にあたると主張する記載部分が、他の部分と相侯って、上記アの印象をその読者に与えるものであることは明らかであって、被告の主張は採用できない。
また、被告は、「考心」掲載文中で原告の名称は明らかになっておらず原告を特定できないから原告の社会的評価は下落しえないと主張とするが、「考心」掲載文中には「甲田市の徳洲会病院」「徳洲会」との記載があり、これにより原告が明らかに特定されているから、この点についての被告の主張も採用できない。
上記第二の一「前提となる事実」(5)のとおり、平成12年12月24日付け「読売ウイークリー」掲載記事は、原告が名誉毀損にあたると主張する表現を含んでおり、一般読者の普通の注意と読み方を基準として上記表現を解釈した場合、上記表現は、表現中に記載された病院につき、「考心」におけると同様の印象を読者に与え、その社会的評価を低下させるものであると認められる。
そして、「読売ウイークリー」掲載記事には、「神奈川県甲田市の総合病院」「近隣の大学病院からも患者が紹介されてくるような、全国的にも心臓外科の最先端を行く病院」との記載が含まれており、当時甲田市内に心臓外科手術をする総合病院は原告病院以外になかったことから、不特定多数の読者が上記記載により原告病院を特定可能であったと認められるから、「読売ウイークリー」の上記表現は、原告に対する名誉毀損にあたるものである。これに反する被告の主張は採用できない。
上記第二の一「前提となる事実」(6)のとおり、平成12年3月7日放送の「きょうの出来事」放送内容は、原告が名誉毀損にあたると主張する表現を含んでおり、上記表現は、一般視聴者が普通の注意と関心をもって上記放送内容を視聴した場合に、放送中に指摘された病院につき、医療ミスについて遺族に真実を告白した医師をこのことを理由に解雇したとの印象をもつものであり、原告の社会的評価を低下させるものであると認められる。
そして、「きょうの出来事」においては、被告の実名及び被告の映像が放映され、上記病院につき、「8年前」「被告が当時いた病院」との情報が提供されており、被告が複数の大学の講師を務め、講演を行うことも多く、新聞・週刊誌等に名前が出ることもあるなど、心臓外科分野において著名な医師であることや、被告が経歴を公表していることから、上記の情報により、不特定多数の視聴者が原告病院を特定可能であると認められ、「きょうの出来事」の上記表現は原告に対する名誉毀損にあたるものである。これに反する被告の主張は採用できない。
<証拠略>によれば、被告とGVHD裁判との関わりや、被告が原告病院を退職するに至るまでの経緯及びその前後の事情は以下のとおりであったことが認められる。
(ア)平成5年12月、被告が主治医を務めていた戊田が原告病院において冠状動脈バイパス手術及び僧帽弁置換術を受け、出血量が多かったために血小板輸血を受けた数日後から、手術創の周囲が発赤し始めた。このため、被告は、GVHD発症を疑い、原告病院の乙野竹夫院長(以下「乙野院長」という。) にこのことを報告するとともに、同院長の了解のもとに日本赤十字社に確定診断を依頼しその結果、GVHD発症が確定した。被告は、乙野院長にその旨報告し、戊田の家族に対しても病名及び症状について説明した。戊田は、術後14日目に肺炎を併発し、呼吸不全により死亡した。
(イ)戊田の死亡後、被告は、戊田の遺族に対し、戊田の死因がGVHDであることや、放射線照射を行わない血小板を輸血するとGVHDを発症する可能性があるが、輸血用血液の供給元である日本赤十字社でも原告病院でも輸血用血小板について放射線照射を行っていなかったことを説明した。また、被告は、医療現場の実態からして、このような放射線照射を行う責任は日本赤十字社にあり、原告病院にはそのような責任はないとの見解を有しており、戊田の遺族に対してもこのような見解に基づいた説明をした。戊田の遺族らは、被告の了解を得て、このような被告の説明をテープに録音した。
(ウ)被告は、戊田の遺族に対して上記のような説明を行ったことを乙野院長に報告するとともに、輸血用血液に放射線照射を行うべき責任は日本赤十字社にあり原告病院にはないことを遺族に説明したので訴訟にはならないと思うとの意見を述べた。
(エ)乙野院長は、原告病院においては、医療過誤の可能性のある事案に関しては、医師の報告を受け、病院としての対処方針を決定し、この方針に従って対応することとしているので、被告の行動は病院としての対処方針が決定されない段階で、遺族に対し被告の独断で説明を行った点で原告病院の方針に反するものであることを指摘し、この点につき被告を叱った。また、被告が輸血用血液に放射線照射を行うべき責任は日本赤十字社にあり原告病院にはないことを遺族に説明したので訴訟にはならないとの意見を述べたことについては、そのように甘いものではなく、被告の考えは未熟であると述べた。
(オ)その後、乙野院長らと被告の間でGVHDによる戊田の死亡の件が話されることはなかったが、平成8年3月に至って、戊田の遺族らが原告と日本赤十字社を相手どって訴訟を提起し、その訴状が原告病院に届けられた際に、乙野院長は被告を呼んで、やはり被告が考えたように甘いものではなかったと告げた。ただし、乙野院長は、当時、輸血用血液に放射線照射を行うことは大学病院を含めてほとんど全く行われていなかったことから、原告病院の固有の問題というよりも、日本赤十字社や輸血を行う病院全体の問題であると考えており、また、放射線照射を行うことによりGVHDによる患者の死亡を防ぐことができるなら望ましいことでもあると考えていて、この訴訟対策にはほとんど関与しなかった。
(ア)被告は、平成8年1月26日、原告病院において、執刀医として丙山梅子(以下「丙山」という。)に対し冠状動脈バイパス手術を施行した(以下「丙山手術」という。)。上記手術の助手は丁川医師と戊原医師であり、麻酔医は甲川医師であった。
(イ)原告病院においては、手術経過につき手術室上方からビデオ撮影を行うことを常としていたが、被告は、これとは別に、自己の行う心臓外科手術について手術経過の詳細を鏡視下スコープカメラを用いてビデオ撮影することとしていた。また、被告は、原告病院に医療機器を納入する業者であるゲッツブラザーズとの間で、報酬90万円で被告の執刀する動脈グラフトを使用した心臓外科手術手技ビデオ30本を製作して同年3月末日までに同社に提出するとの内容の業務委託契約を締結していた。
(ウ)被告は、丙山手術についても、鏡視下スコープカメラを用いてビデオ撮影することとして、手術中のビデオ操作を丁川医師及び乙原技師に行わせた。丁川医師及び乙原技師は、手術の重要部分のみビデオ撮影を行うこととし、丁川医師が指示して乙原技師がビデオの撮影スイッチの操作を担当した。
(エ)丙山手術は、バイパスグラフトと冠状動脈を四箇所にわたり吻合することを主内容とする難度の高い手術であったところ、被告が上記のうち一箇所の吻合をすべくグラフトと動脈を糸で縫合していた際、乙原技師は上記ビデオの撮影スイッチがオフになったままであることに気づいた。グラフトと動脈の吻合作業は、丙山手術のうち、非常に重要な部分であったので、丁川医師は、被告に対し、「すいません、撮れてませんでした。」と告げた。被告は、丁川医師の顔を見て、えっという表情を浮かべ、いらいらした様子を見せながら縫合をさらに2、3針進めた後、縫合する手を止め、数秒間考える様子を見せた後、縫合していた糸を切ったが、一度針をかけて糸を通した冠状動脈の辺縁はぼろぼろの状態となっていた。その後、被告は、グラフトと動脈の再度の吻合を行った。
(オ)丙山手術終了後、助手を務めていた丁川医師や戊原医師らは、被告が上記のとおり吻合の途中で縫合の糸を切って吻合をやり直したことにつき、確信は持てないものの、ビデオ撮影がされていなかったことから改めてビデオを撮影するため吻合をやり直したのではないかとの印象があったため、同人らや原告病院心臓外科において同人らとチームを組んでいた丙田医師や丁野医師らとの間で、もし本当にそのような事実であったとすれば残念だと話し合った。なお、丙山は手術後5日目に死亡したが、その死因は脳出血によるもとされた。
(カ)乙野院長は、丙山手術に立ち会った医師らが上記のように話し合っていることをほどなく知り、被告に事情を聞いたが、被告は、最初の縫合は吻合の具合が悪かったために糸を切り、吻合をやり直したと説明し、以後はこのような誤解を受ける行為は決して行わないと述べたことから、乙野院長も、それ以上にこの問題について調査したり、被告の責任を問う動きを見せることはなかった。
(ア) 被告は、平成7年末ころ、年内に緊急に心臓外科手術の必要な患者について、原告病院に搬送して手術を行う順番を待っていたのでは年を越してしまうので、被告が手術の助手となる医師や手術用の人工心肺装置を操作する技師らを含む手術チームを伴って丁原病院に赴いて手術を行うことを認めてほしいと乙野院長に申し出た。乙野院長は、この件については緊急の必要性があるとのことで許可したが、あくまでもこの件に限ってのことであって、以後、恒常的に被告が他の医師や技師らを伴って丁原病院に出かけて手術を行うことを許可したわけではなかった。
(イ)ところが、被告はその後も、乙野院長らの許可を得ないまま、原告病院で心臓外科手術を行わない日となっていた木曜日に頻繁に手術チームと連れて丁原病院に出かけて手術を行っては一回あたり約10万円の謝礼を受け取るようになった。また、このような手術に加わった他の医師や臨床工学士らも丁原病院から謝礼を受け取っていた。
(ウ) 乙野院長は、平成8年4月ころ、被告が原告病院の勤務時間中にこのように頻繁に原告病院の手術チームを連れて丁原病院に出かけて心臓手術を行っていることを知り、被告や他の医師らに対してこのようなアルバイト行為を止めるように強く注意した。これに対し、被告も他の医師らも以後はこのようなことは止める旨述べ、実際に被告以外の医師や技師らはこのようなアルバイト行為を取りやめたが、被告は、その後も単身で病院に出かけて同病院で手配した医師や技師らとともに心臓外科手術を行うことを続けていた。
(エ) 同年6月ころから、原告病院の職員用の駐車場に駐車の登録のなされていないベンツが駐車されていることが問題となり、被告がこれに乗っていたことから、職員が尋ねたところ、被告は自分で買ったものであると答えていた。
その後、同年7月23日に原告病院の事務担当者がこの車の登録事項等通知書を取り寄せたところ、丁原病院を設置運営している医療法人社団丙川会が同年4月25日に登録した車であり、約680万円もするものであることが判明した。そこで、乙野院長が同年8月3日ころに被告を呼んで、被告はアルバイト行為をまだ継続しているのではないか、また、アルバイト先である丁原病院からベンツを供与されているのではないかと問いただしたところ、被告は、当初は、アルバイト行為はもうしておらず、ベンツは自分で買ったものだと主張していたものの、上記登録事項等通知書を示されると、態度を改め、丁原病院でアルバイト行為を継続していること及びアルバイト先である丁原病院からベンツを供与されていることを認めて陳謝した。
そして、被告は、今後は丁原病院に出かけて心臓外科手術を行うことを止め、ベンツも返還すると申し出たが、乙野院長は、アルバイト行為をやめるよう注意したにもかかわらずその後も恒常的に他の病院にでかけてアルバイト行いベンツの供与まで受けていた以上、一緒にやっていくことはできないので辞めてもらいたい旨を告げた。すると、被告は、一旦は、「訪問看護でも何でもしますから原告病院において下さい。」などと述べ、涙を流して土下座するなどしたが、乙野院長が、乙野院長個人の判断だけでなく、従前の丙山手術のこともあり、今回のアルバイト問題とあわせて、他の医師や職員らの信頼が失われているので他の医師や職員らとチームワークを組んで仕事をすることができない旨を告げると、被告も退職を受け入れた。
(オ) 被告は、週明けの同月5日、乙野院長に辞表を提出したが、この辞表には、「私こと、甲野太郎は、一身上の都合により、医療法人社団愛心会乙山病院心臓血管外科部長の職を辞任させていただきたく、ここに請願いたします。尚、後任には丙田春夫医師を強く推薦させていただきます。」と記載されていた。
(カ) なお、そのころ、被告が使用していた机から、上記の通り被告がゲッツブラザーズとの間で締結していたビデオ制作に関する業務委託契約書が発見されたことから、乙野院長は、はゲッツラザーズの担当者を原告病院に呼び出し、原告病院に断りなく被告との間でこのような業務委託契約を締結していたことを責め、ゲッツプラザーズは、以後六か月間、原告病院に対する心臓血管外科製品の納入を自粛することとなった。
(ア) 被告は、原告病院を退職した後、同年9月から丁原病院に勤務するようになり、同病院に心臓外科を開設し、心臓外科手術を続けている。
(イ) 被告が原告病院を退職してから約一年半が経過した平成10年1月27日、GVHD裁判の第10回弁論期日において、同裁判の原告であった戊田の遺族らは、被告を証人として申請し、同年7月28日、同裁判の第四回準備的口頭弁論期日において採用され、同年10月30日、同裁判の第11回口頭弁論期日において被告の証人尋問が実施された。被告は、戊田に対する手術の経過、輸血当時のGVHDに対する認識、原告病院にGVHDを予防する放射線照射装置がなかったことや、輸血用血液に対する放射線照射は血液供給元である日本赤十字社が行うべきであると被告自身は考えていること等を証言した。
(ウ) この間、同年4月15日、ゲッツブラザーズの担当者から、被告に対し、「先生にHeart port訪問/見学をしていただいた件が乙山の戊山技師に伝わり、院内で『ゲッツは何事につけ秘密に裏で行動する会社である。』との批判を受け、やっと一部使用再開していただいた人工弁にも影響すると、営業サイドから相談が持ち込まれました」との内容のメールが送信されたことがあったが、このことが、被告がGVHD裁判で証人申請されていたことと何らかの関連があると認めるべき証拠はない。
(エ)また、同年10月ころ、被告がGVHD裁判において証言を行う前に、丁原病院心臓病センターに徳洲会の弁護士のイケグチと名乗る人物から四回ほど電話があり、被告の秘書が電話を受け、被告に取り次ごうとしたが、被告は電話に出なかった。したがって、この電話がいかなる用件についてであったのかは被告は把握していない。
(2) 上記認定事実に照らして、本件表現の真実性及び真実と信じるについての相当の理由の有無につき以下に順次検討する。
ア 上記認定のとおり、�(神�5年12月、被告が戊田の遺族に対してGVHD発症の原因や日本赤十字社や原告病院の責任の所在等について説明した旨乙野院長に報告した際、同院長が、原告病院においては、医療過誤の可能性ある事案に関しては、医師の報告を受け、病院としての対処方針を決定し、上記方針に従って対応する方針を決定し、上記方針に従って対応することとしているのに、被告の行動は病院としての対処方針が決定されない段階で、遺族に対し責任の所在にも及んだ説明を行った点で、原告病院の方針に反するものである点を指摘し、この点につき被告を叱ったこと、��被告が輸血用血液に放射線照射を行うべき責任は原告病院にはないことを遺族に説明したので訴訟にはならないとの意見を述べたことについては、そのように甘いものではなく、被告の考えは未熟であると述べたこと、��その後、平成8年3月に至って、戊田の遺族らが原告と日本赤十字社を相手取って訴訟を提起し、その訴状が原告病院に届けられた際に、乙野院長が被告を呼んで、やはり被告が考えたように甘いものではなかったと告げたことは、いずれも事実である。しかし、このような乙野院長の発言は、GVHD発症の原因を遺族に隠蔽すべきであるとの立場に立って、被告がGVHD発症の原因を遺族に説明したこと自体を叱責したり、未熟な人間であると非難したものでなかったことは明らかである。従って、本件表現中の、「私は甲田市の病院の院長から『どうして事実を家族に話したんだ!おまえはそういうところがまだまだ未熟な人間だ!』と叱られました。」との記載(「考心」)及び「病院の院長は、福山医師に対して『どうして事実を家族に話したんだ!お前のそういうところが未熟なんだ』と烈火のごとく怒鳴りまくったという。同年7月には、『君の手術は、だれも手伝わない』と院長から事実上の解雇宣告を受けた。」との記載(「読売ウイークリー」)はいずれも真実ではなく、また、そう信ずるにつき相当の理由も存在しないものである。
なお、被告本人尋問の結果中には、上記の事実が真実であるとの被告の主張に沿う供述部分があるが、戊田の生存中、すでにGVHD発症の事実については、戊田の家族に話しており、その段階では原告病院長に何もいわれなかったとしながら、戊田が死亡した後にGVHDで戊田が死亡したことにつき戊田の遺族に話したことで激しく叱責されたとするのは不自然である上、証人乙野竹夫の証言に照らしても採用できない。
イ 次に、被告が原告病院を退職するに至った経緯は、上記認定事実のとおりであり、被告は原告病院の許可を得ないまま、原告病院の勤務時間中に頻繁に他の医師やその他の手術チームを連れて丁原病院に出かけて手術を行って謝礼をもらっており、このことを知った乙野院長がこのような行為をやめるように強く注意した後も、被告一人で丁原病院に出かけて心臓外科手術を行うことを恒常的に続けたばかりか、丁原病院からベンツの供与まで受けていたことが発覚したことから、丙山手術について他の医師らの疑いを招いていたこととあわせて、乙野院長から退職を求められ、被告もこれを了解して退いたものである。従って、本件表現中、他の表現とあわせることによって被告がGVHD裁判に関して戊田の遺族に協力したことを原因として原告病院から解雇されたとの印象を与える表現である「私がその甲田市の病院を突然に解雇された」「私は同じ年の七月に甲田市の病院から突然クビを言い渡されました。」「(私はクビになりましたが)。」(「考心」)、「『君の手術は、だれも手伝わない』と院長から事実上の解雇宣告を受けた。」(「読売ウイークリー」)及び「遺族に全てを話し、病院を追われた彼は」「遺族に真実を話した医師は病院を追われてしまいます。」「ある日、甲野医師が出勤すると、机の上には何もなくなっていた。病院の院長は、『君の手術にはもう誰も協力しない。』と告げたという。事実上の解雇通告だった。」(「きょうの出来事」)との各表現は真実であるとは認められず、また、そう信ずるにつき相当の理由も存在しないものである。
この点について、被告本人尋問の結果中には、被告の退職当時の状況に照らし、被告が退職する理由がGVHD裁判の件を除いて他に存在しないから、被告がGVHD裁判に関して戊田の遺族に協力したために原告病院を解雇されたとの表現は真実であり、または真実であると信ずるにつき相当の理由があるとする供述部分がある。しかし、被告が退職した理由は上記認定のとおりであり、また、被告が戊田の遺族に対してGVHDの発症やその原因について説明してから被告の退職の時期までは二年半以上が経過していることや、被告の退職の前後に原告病院の側からGVHD裁判に関して被告を責めたり、同裁判について戊田の遺族に協力しないでもらいたいなどという言動が一切なされていないことに照らしても採用しがたい。
ウ 次に、上記事実によれば、�(神�9年8月ころ、原告病院への医療機器の納入業者であるゲッツブラザーズが原告病院の知らないうちに、被告との間で報酬90万円で心臓外科手術手技のビデオ製作・提供に関する業務委託契約を締結していたことが発覚し、原告病院からこのことを責められたことから心臓血管外科製品の納入を一時自粛していたこと、�△修慮紂∧神�10年4月ころ、ゲッツブラザーズから被告に対し、上記(1)のエの(ウ)の内容のメールが送信されたことがあったこと、�H鏐陲�GVHD裁判の証人として出廷する前の時期に被告に対して徳洲会の弁護士と名乗る人物から四回ほど電話がかかってきたことがあったことは、上記(1)に見たとおりである。しかし、上記�,了�実は、被告がGVHD裁判の証人として申請さるよりも約一年半も前のことであり、被告が証人として出廷することとなんらの関係のないことはその時期の点に照らしても明らかである。また、上記�△了�実もメール内容に照らしても被告がGVHD裁判の証人として出廷することと何らかの関係があるものとは見られず、他にこの点を認めるべき証拠もない。更に、上記��の点についても、被告は結局電話には出ていないのであって、上記電話がどのような用件であったかは不明であり、嫌がらせのための電話であったとは決めつけることは到底できないものである。
そうすると、本件表現のうち、「出廷する日が近づくと徳洲会からの執拗な嫌がらせが丁原病院に勤務する私や病院を襲いました。徳洲会弁護士のI氏からは何度も電話がかかってきました。」(「考心」)、「被告からの数々の圧力」「出廷する日が近づくと、福山医師の周辺で、医療機器納入業者などが事実無根のイヤガラセ情報を流したり、病院側の代理人が何度も電話をかけてきたりしたそうだ。」(「読売ウイークリー」)との表現は真実であると認められず、また、そう信ずるにつき相当の理由も存在しないものである。
エ また、上記各表現が真実であると認められない以上、これらが真実であることを前提とした被告の意見である「またそうすることはむしろ医師社会、特に営利や選挙活動を主体とする病院ではタブーだったのです。」(「考心」)との表現は、公正な意見・論評であるとは到底認められない。
オ 以上によれば、その余の本件表現の公益性や公益目的等の点について判断するまでもなく、本件表現が違法性を阻却される余地はなく、また、被告に名誉毀損の故意または過失がなかったと認める余地もないものである。
上記二の(1)に認定した各事実に照らし、被告が原告を突然に解雇され、かつ、虚偽の事実を流布されたものと認めることはできず、被告が原告により違法に名誉を毀損されたと認めるに足りないから、本件表現が被告の名誉を回復擁護するために必要なものであったとはいえず、これを理由に本件表現につき違法性が阻却されることはない。
(1)上記第二の一の「前提となる事実」(4)に見たところと〈証拠略〉をあわせると、「読売ウイークリー」掲載内容及び「きょうの出来事」放映内容と、「考心」掲載内容は、被告がGVHD裁判に協力したため解雇されたとの印象を読者または視聴者に与える点で共通しており、また、「考心」掲載の病院長の叱責文言と、「読売ウイークリー」掲載の病院長の叱責文言は酷似していること、「読売ウイークリー」掲載の事実上の解雇通告文言と「きょうの出来事」放映の病院長の「事実上の解雇通告」文言は酷似していることが認められる。そして、「考心」掲載文が被告の寄稿文すなわち被告が「考心会」に対し提供した情報そのものであることから、被告が読売新聞社及び日本テレビに対して提供した情報も「考心」寄稿文とほぼ同一の内容であったことが推認される。
そうである以上、「読売ウイークリー」及び「きょうの出来事」で、被告がGVHD裁判に協力したため原告病院を解雇されたこと等を内容とする報道がなされたのは、被告の情報提供に基づいてなされたものであると認められ、被告の情報提供行為と「読売ウイークリー」掲載内容及び「きょうの出来事」放送内容との間には因果関係が存在するものと認められる。また、「きょうの出来事」には、上記第二の一「前提となる事実」(6)のとおり、被告本人が説明する映像が放送されており、この点からも「きょうの出来事」放映内容が被告の情報提供に基づいて製作されたことが認められる。
なお、「読売ウイークリー」には「医療機器納入業者などが事実無根のイヤガラセ情報を流した」とする部分があり、上記部分は「考心」にはなく、被告が提供した情報と相違した報道がなされたと認められるが、これは被告の提供した「被告に関わりのある医療機器納入業者に対し圧力をかけられるなどの嫌がらせを受けた」との情報を取り違えて報道したものと容易に認められるのであって、被告の提供した情報を元にした報道である点及び被告による情報提供がなければ報道されることはなかった点では他の部分と変わらないのであり、かつ、GVHD裁判の証人として出廷するに際し被告に対して圧力がかけられたとの印象を与える点において、上記部分は、被告により提供された情報がそのまま報道されていた場合と変わりないのであるから、この部分についても被告による情報提供行為と報道との間に因果関係を認めることができる。
(2)そして、被告提供にかかる上記情報は、�“鏐陲慮朕妖�経験にかかる事実に関するものであり、被告により提供されなければ報道機関がこれを知り、報道することはなかったと認められること、��提供された情報は、医師である被告自身が主治医として関わった患者の死亡事故や裁判に関するものであり、その内容にも照らしても、このような情報提供を受けた報道機関にとってこれが虚偽の情報であると疑う余地の乏しいものであった上、情報の性質上、被告からの情報提供を受ける他にこれを裏付ける取材を行うことが困難なものであったこと、��情報の内容自体、医療事故及びこれに対する医療機関の姿勢についての関心が高まりつつあった社会風潮と合致するものであり、一旦報道機関に提供されれば、報道機関が報道することが強く予測されるものであったことが認められることに照らすと、被告による上記情報提供行為が「読売ウイークリー」及び「きょうの出来事」の本件表現部分につながることは通常予想が可能と認められるものである。
そうすると、被告による情報提供行為と「読売ウイークリー」及び「きょうの出来事」の本件表現部分との間には相当因果関係が存在すると認められる。
(3)なお、この点に関し、被告は、「読売ウイークリー」及び「きょうの出来事」における本件表現部分は報道機関の独自の責任において報道されたものであり、被告による情報提供行為との間に相当因果関係は認められないと主張するところ、確かに、雑誌記事及びテレビ番組の編集は報道機関に委ねられているから、報道機関に対し情報提供を行った場合に、編集により取捨選択され、報道されない可能性も一般的には認められるが、本件においては、上記のとおり提供された情報自体がそのまま報道される可能性の高い性質のものであるので、報道機関が介在することにより相当因因果関係が否定されることはないものであり被告の主張は採用できない。
(1) 本件表現が、いずれも原告の社会的評価を低下させる名誉毀損行為にあたることは上記一に見たとおりであるが、これらの表現がなされた形態は、被告の執筆した文章によるもの(「考心」)、被告の情報提供行為に基づいて週刊誌の記事として掲載されたもの(「読売ウイークリー」)、被告の情報提供行為に基づいてテレビで放送されたもの(「きょうの出来事」)とそれぞれ異なっており、また、その発表された時期も相当異なっていることから、これらを一個の不法行為と見ることはできない。
なお、被告は、本件表現がなされた時期を境に原告病院の入院患者数や収益が低下するなどの経済的損失を原告が受けたことはなかったことから、原告には損害が生じていないと主張するが、本件表現によって原告の名誉が損なわれたことによる損害は、その名誉毀損のなされた時期を境にして直ちに現れる収入の差額に尽きるものではなく、信用及び名誉を毀損されたことによる無形の損害も含まれるものであるから、被告の主張は採用することができない。
上記第二の一及び第三の一のとおり「考心」掲載文には、原告が医療過誤の事実を隠蔽しようとしたこと、被告が医療事故の事実を患者に説明したことを叱責した上で解雇したこと、被告がGVHD裁判で証言するにあたり嫌がらせを執拗に行ったこと等が直接的な表現で記載されており、かつ、「(死因などを説明することは)タブーだったのです。」など、原告が医療過誤の事実を隠蔽することを常としているかの如き記載もあり、これらの表現は、医療機関である原告の信用及び名誉を著しく毀損するものであると認められる。
他方で、〈証拠略〉によれば、「考心」は被告による心臓手術の執刀を受けた患者及びその家族で構成される被告を中心とした団体であり、平成13年において会員数、約四〇〇名からなる比較的小規模な団体の会報誌であり、上記表現が流布する範囲は限られていると認められることや、その他の本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、「考心」掲載文に関する原告の慰謝料と、「考心」掲載文に関する原告の慰謝料は100万円が相当である。
上記第二の一及び第三の一のとおり、「読売ウイークリー」掲載記事は医療機関たる原告の信用及び名誉を毀損する表現を含んでおり、かつ、「読売ウイークリー」は全国に頒布されている週刊誌であり、購読者数も少なくないと考えられるが、他方で、同記事中において原告名が明示されてはおらず、被告名も仮名であることが認められるのであって、これらの事実のほか本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、「読売ウイークリー」掲載記事に関する原告の慰謝料は150万円が相当である。
含んでおりかつ、上記表現はテレビ放映という方法を採ってなされたものであり、視聴者に対し強い印象を与えるものであると考えられる上、「きょうの出来事」は全国的に放送されているテレビ番組であり、視聴者数も多いと考えられるものであるが、他方で、上記番組中で原告名は明示されていないのであって、これらの事情のほか本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、「きょうの出来事」放送内容に関する原告の慰謝料は150万円が相当である。
<証拠略>によれぱ、原告は本件訴訟の追行を原告訴訟代理人に委任したことが認められるところ、本件事案の内容、審理経過と、「考心」掲載文に関する原告の慰謝料過、認容額等に照らすと、弁護士費用とし
明らかに「無罪」でも、刑事事件裁判で最終的決着がつくまでは長い。うんざりする。自分がやりたい事を我慢してもこれに取り組まなくてはならない。
他のことは何も考えずに、やりたい事だけに集中できたころ。複雑心(臓)奇形修復手術の診療で週10時間以下の睡眠で懸命になったり、研究室の床で仮眠を取りながら国際学会口演に向けて文献や専門書を読み漁ったり、飛行機内プレゼンテーションのための勉強に集中するあまり、結膜出血して白眼が真っ赤かになったりという肉体的にはつらい状況でも充実していた過去を振り返りたくなる。
大して美味しくも無いがお金だけは儲かっている「餃子屋の主人」が、フランス料理を一回も作ったことが無いどころか、一流店で食事をしたこともなく、フランス料理の専門書すら読んだこともないのに、「日本のフランス料理界」について論じている姿をテレビで放映したり、新聞、雑誌が記事にしたりしているように見える。ドレスアップしたF1レーサーがパーティ会場に沢山参加している中、タクシー会社の売り上げナンバーワンがへたった制服のまま遅れて入ってきたところ、インタビューアーが「ドライビングテクニックについて」そのタクシー運転手にマイクを向けているようである。
控訴審で、「エセ・ジャック」が証人として一審に続いて出廷したことを少し書いたところ、ネットで、「先生、『いろもの』に負けないでください。」と常識的な医師から励まされた。この件を彼を良く知る人達に話したところ大爆笑。もちろん、「的を射ている」表現ということだ。
一審。公判50回以上、検証実験2日間検察側証人16人(複数回出廷者複数存在)弁護側証人2人、相被告人尋問5期日、自分の被告人尋問6期日検察官申請証拠約130点、弁護側申請証拠約133点。このような膨大な証拠を精査し、医学水準に立脚して事実究明を行い、2002年7月の起訴から約3年半を経て、2005年11月、被告人を無罪とした。このように、原審は、凡そ本件の審理に必要と判断される全ての証人を調べ、医学情報を摂取し、自ら検証を行い、被告人質問も十分に行ったうえで判決を下したのであり、これ以上に審理できる対象は客観的に存在しない。
「学会よりも業者が持ってくる情報のほうが大切だと考える」検察側証人は気軽にやっている。事件で使われたタイプの人工心肺装置は使用したことがない、それに関する文献は読まない、膨大にある調書は検察が示した部分のみ教えてもらって調書自体はちっとも読まない、カルテもごくごく一部しか読まない。
検察側証人は、いい加減なことをいっても偽証しても、偽証罪で起訴されるはずが無い。検察の意向にそって供述して内容が偽証だと告訴しても、起訴できる組織が検察だけである限り、検察が選任した証人が偽証したと立証するはずがない。
「ノブレスオブリージュ」というフランス語。「社会的に恵まれた立場にいる者は、人々の模範となるよう行動する『高貴なる義務』を負うべし」と学んだ。医師は、一般的には、社会的に恵まれた立場にあるとされている。名著「医療崩壊」の著者で私の学生時代の教官であった小松秀樹先生の言葉をお借りすれば、「勤務医は、社会と距離をおいて、自尊心と良心をもちつつ仕事をすることを望む。医療にささやかな誇りと生きがいを感じており、医師の仕事を金を得るための労働とは考えていない。ただし、先頭にたって社会を引っ張るような迫力や、強い使命感のようなものはない。他からの賞賛より、自らが価値があると思うことが重要だと考えている。収入も、普段の生活でお金の苦労をするようなことが、なければよいのであって、必ずしも多額の報酬を望んでいるわけではない。仕事で自分の価値観に反するようなことをせずにすみ、それなりに生活できればよいと思っている。自尊心を捨てない限り、自らの利益を声高に主張するようにはならない。」
寄席で、講談・義太夫などに対して、声色・音音・曲芸・奇術などをいう。昔は、落語も色物に含まれた。(広辞林第六版)
第一に、われわれには(証人は)真の勇気があったか。その勇気とは敵に(被告人)対するものでなく、必要とあれば仲間(メディアや名誉欲)に対しても立ち向かうことのできる勇気であり、公のプレッシャーだけはなく、私的な欲望にも立ち向かえる勇気である。
第二に、われわれには(証人には)真の判断力があったか。未来と過去を真正面から見つめ、自らの(証人の)過ちを認め、自分たちの(証人の)知識の限界を知り、それを認める英知があったか。
第三に、われわれには(証人には)真の尊厳があったか。自らの信念を貫き通し、人々の信頼を裏切らなかったか。政治的野望や金銭的欲求のために神聖なる任務を汚さなかったか。
最後に、われわれは(証人は)真に国家に貢献したか。名誉を特定の人間やグループに妥協せず、個人的恩義や目的のために道を曲げず、ただひたすら公共のため、国家のために身を捧げたか。
勇気、判断力、尊厳、そして献身・・・これら四つの要素が(証人の)活動の基準となるであろう。」 「ケネディからの伝言」落合信彦著より。一部変更。
「医療事故裁判の報道で名誉毀損 医師が自力でテレビ局に勝訴」(田邊 昇先生執筆)と題した記事です。2008年3月10日発売とのことでしたが、既に発行され当院の医局図書室でも閲覧できるようになりましたので、3月10日にこのブログを発表する予定であったところを早めることにしました。
大きな書店や図書館に置いてあると思います。また、病院や医局でもい購入されているところも多いと思いまので、閲覧してみてください。
「東京女子医大で心臓手術を受けた患者が死亡した事故で、医師が無罪判決を言い渡されました。その判決を報じたニュース番組の内容が名誉棄損に当たるとして、その医師が弁護士を通さずにテレビ局を訴え、勝訴しました。」と紹介されていますが、その通りで、この裁判に関しては、
フジテレビが控訴したため、私はこれに対して附帯控訴中です。附帯控訴とは、被控訴人が相手方の控訴によって開始された控訴審手続中において、控訴審判の範囲を自己に有利に拡張させて、原判決の取消し・変更を求める申立てです。要は、勝訴したけれども、判決の一部には不満があったので、相手が控訴するならこっちも判決に対する不満を訴えると理解されればよいと思います。
とありますように、現在の本邦においてすら100万円の賠償額は「非常に低額」とう評価です。以前の100万円ルールから500万円ルールに準じた賠償額を認定すべき旨の研究論文が裁判所から発表されてから5年。「武士の名誉」と「法律上の名誉」違う概念ですが、名誉を尊重するわが国の歴史も鑑み、名誉を尊重した判決を望みます。
今週来週は本人訴訟の嵐です。今週は、小学館控訴審(相手弁護士3人法務部3人)と今日のフジテレビ控訴審(原審弁護士3人助っ人弁護士1人(他の法律事務所で元判事のベテラン))、来週は集英社+毎日新聞社医療問題取材班訴訟があります。
フジテレビは、強制執行を申し立てて、75万円の担保を立てさせてまでねちっこくやっています。素人相手に大人げないなと思っていたところ、今度は、助っ人登場。相手は複数の法律事務所の4人となりました。これに向こうは法律事務所の秘書さんが沢山いますから羨ましい。こっちは、一人で、証拠集め、判例と法律専門書の読み込み、書面書き、印刷、推敲、再印刷、コピー(一回の書類提出で、軽く数百枚になる)、ハンコ押し、ファクシミリ、郵便、出廷、裁判官とやり取りしながら必要事項のメモ。これが二週間で3つあると結構大変ですよ。
2007年8月27日。刑事事件一審だけで50回、刑事控訴審と民事訴訟、民事控訴審、傍聴、手続き等で、100回近く通った東京地裁。13時前の入り口カウンター付近には、10人以上の学生風の20代前半くらいの人が傍聴する訴訟を書類で検討している。夏休みならではの光景。721号法廷には、17人の傍聴者。内一人は、いつも傍聴にきているフジテレビの社員。相手側弁護士は、6人が名を連ねている事務所だが、代理人席にも、傍聴席にも姿は見えない。
裁判所書記官は、私に対して大変友好的。親切で、気軽の話しかけてくれた。今日も会話するときの顔は真剣だが、視線が柔らかい。(詳細は、控訴審中であるので避けるが、一審の刑事事件の書記官との関係と似ていた。)
裁判官3人が入廷。裁判所の内で、道に迷った私に気軽に案内をしてくれたことがある土肥章大裁判長。部内の4畳程度の狭い部屋で、会食するようなテーブルで行われる弁論準備期日でのフレンドリー、気さくな感じとは雰囲気が違う。テレビドラマに出てきてもよいくらいカッコいい裁判長。「裁判官とはこういう人」だというイメージ通り。一見学者風かもしれないが、「公正な視線」は、堅苦しくなく、形式的でもない。
私の後を追うように、2人の学生風の傍聴者が退廷。私の判決だけを傍聴しに来ていた様子。13時30分からは、集英社と毎日新聞医療問題取材班の各記者を個人で訴えた別訴訟の最初の弁論期日が行われる705号法廷に向かった。
「・・・本件刑事事件が原告に対し無罪の言渡しをしたとうはいうものの、実際には、原告が、未熟で、その過失があったために、本件事故が生じた可能性があるとの印象を受けることは、否定できないのであって、当時第一審で無罪判決を受けた直後であった原告の人格的価値を損ない、その社会的評価を低下させるものであったというべきである。・・・・原告に対する無罪判決に疑問があることを示唆する内容の情報も多数提供しており、(別項目でこのことには真実性も相当性もないと判示)さらに、その構成も、冒頭部分と最後に本件刑事事件判決に批判的な本件患者の遺族による記者会見でのコメントを挿入し、他方、判決直後になされた原告の記者会見(甲12)でのコメントは用いていないなど、これを全体的に観察すると、原告に対する無罪を言い渡した本件刑事判決に批判的な視点で構成されているというべきであり、・・・・実際には、原告が、未熟で、その過失があったために、本件事故が生じた可能性があるとの印象を与えることは否定できず、原告の社会的評価を低下させるもので、原告の名誉を毀損するものといわざるを得ない。」
現在テキスト化されて残っているもののみになりますので、全体の書類の3分の2程度になります。被告の準備書面第2,3がありませんので、どちらが優位か正確は判断はできないと思いますが、訴訟の争点などは伝わると思います。
簡単に「名誉毀損で訴えてやる。」と口にする人もいますが、実際一人でやるとなると結構大変です。事務手続きや連絡なども毎回必要ですので、労力はいります。とはいっても、刑事訴訟の100分の1程度の負担かもしれません。
最後まで読み切る暇な人も稀かもしれませんが、私の訴状、準備書面、陳述書を読むだけでも大きな流れはわかると思いますので、ご意見があればコメントお願いいたします。
(1) 原告は,東京女子医科大学病院(以下「女子医大」という)に勤めていた医師であり,女子医大日本心臓血圧研究所(以下「心研」という)において2001年3月2日に施行された平�北盛畛瓠憤焚次嵋楫鏨擬圈廚箸いΑ砲紡个垢訖緩蔀羈峽臑讃謬擇喃抛位�弁狭窄症の手術(以下「本件手術」という)の際に人工心肺装置の操作を担当していた医師である。
N� А嶌監H鏐陲蓮い海亮蟒僂膿郵�心肺装置の操作を担当しており,ポンプの回転数を不適切に上げるなどして血液の循環を悪くさせ,脳障害で死亡させたとして起訴されていました。」
N��:「しかし法廷では,一転して過失を否定してきました。立証の難しい医療過誤で医師が逮捕されることは極めて異例であり,当時,高度な医療を行う特定機能病院に承認されていた東京女子医大は,この事件でその承認を取り消されています。また,この事故では手術後にカルテを改ざんしたとして証拠隠滅罪に問われた医師には,懲役1年執行猶予3年の有罪判決が言渡されています。
I�◆А屬修譴鯤�置して,まああのそういうことを怠ってですね,未熟な医師にあの二重三重にそういうことが起こらないように,あの予防体制をとりながら本当はやるべきだったでしょうと...」
・それが,法廷では,原告は一転して態度を変えて過失を否定し始めた。医療過誤では立証が難しく,医師に否認されると有罪にするのが難しい(T�ぁ�N��)。
・本来であれば有罪になるべきであるのに,医師に対して非常に甘い判決であったために無罪になった(I��,N��)。
・原告は,本件事故の責任をとって,自ら医師を辞めたか,あるいは医師を辞めさせられており,それゆえ「元医師」と表示されている(T� �
本件ニュース2は,本件事故の責任をとって,原告は,自ら医師を辞めたか,あるいは医師を辞めさせられており,現在は医師ではないという印象を与える。
・原告に対して無罪判決が出されたのは,医療事故に対する刑事責任追及が難しいためであって,本来であれば原告は有罪になってしかるべきであった(N�ァ法�
本件ニュース4は,本件事故の責任をとって,原告は,自ら医師を辞めたか,あるいは医師を辞めさせられており,現在は医師ではないという印象を与える。
上記はいずれも,専門性を有するべき医師が,未熟であったために手術中のミスによって本件患者を死亡させたという印象を生じさせるものであり,原告の社会的評価を低下させる。
本件映像は,原告の承諾なしに,本来撮影の認められない場所で原告の容ぼうを隠し撮りしたものであって,みだりに原告の容ぼうを撮影かつ公表したものであるから,原告の肖像権を侵害する。
被告は,本件ニュース1ないし4において,上記のとおり,原告の名誉を毀損するテロップやナレーション及び原告の肖像権を侵害する映像を繰り返し流したのであるから,これによって原告に生じた損害を賠償する責任を負う。
(1) 原告は,高い専門性を有する心臓外科医であるが,本件ニュースによって,未熟な医師であり,ミスによって患者を死亡させたとの誤解が社会に広まった。
よって,原告は,被告に対し,民法709条および710条に基づき,本件ニュースの放送によって原告が蒙った損害の賠償を求めるため,請求の趣旨記載のとおりの損害賠償金の支払を求め,あわせて本件ニュースが放送された2005年11月30日及び同12月1日より後の日である同年12月2日から完済に至るまで民事法定利率である年5分の割合による遅延損害金の支払を求めて本訴に及んだ。
「4年前に東京女子医大病院で心臓の手術を受けた当時12歳の少女が死亡した医療過誤事件で、東京地裁は今日、当時の担当医に無罪の判決を言い渡しました。
東京地裁が言い渡した判決、それは無罪。その理由として、人工心肺の構造に問題があったことを指摘。事故を予見することが出来たとは認められず、過失責任を問うことはできないというものでした。事故が起きたのは2001年3月。当時12歳だった平�北盛瓩気鵑�、東京女子医大病院で心臓手術を受け、その3日後に死亡したのです。
佐藤被告はこの手術で人工心肺装置の操作を担当しており、ポンプの回転数を不適切に上げるなどして血液の循環を悪くさせ、脳障害で死亡させたとして起訴されていました。
しかし法廷では、一転して過失を否定してきました。立証の難しい医療過誤で医師が逮捕されることは極めて異例であり、当時、高度な医療を行う特定機能病院に承認されていた東京女子医大は、この事件でその承認を取り消されています。また、この事故では手術後にカルテを改竄したとして証拠隠滅罪に問われた医師には、懲役1年執行猶予3年の有罪判決が言い渡されています。
それを放置してまああのそういうことを怠ってですね。未熟な医師にあの二重三重にそういうことが起こらないようにあの予防体制を取りながら本当はやるべきだったでしょうと・・・。」
(原告の映像の左に「佐藤一樹元医師」の表示)(以後右上に「東京女子医大医療過誤事件 元医師に無罪判決」の表示)
「東京地裁は判決の理由として、客観的にみて人工心肺の構造には問題があったと指摘した上で、被告が事故を予見することは出来なかった等としています。」
東京女子医大病院で2001年心臓手術を受けた当時12歳の平柳明香さんが死亡した事件で、業務上過失致死罪に問われた
(原告の映像の右に「佐藤一樹元医師」の表示)(以後右上に「東京女子医大医療過誤事件 元医師に無罪判決」の表示)
「東京地裁は、判決の理由として、客観的にみて人工心肺の構造には問題があったと指摘した上で、被告が事故を予見することは出来なかった等としています。」
人工心肺装置そのものに欠陥があったのではないかという指摘ですけれども、ではそれを使った病院側の責任もないのかということも余地が残されていますよね。」
「昨日東京地裁でくだされた判決。平�北盛瓩気鹽�時12歳。明香さんの心臓には生まれつき孔が開いていました。
「手術するには心臓を一時的に止めなくてはなりません。この日明香さんは人工心肺装置を使用しました。人工心肺装置とは全身から心臓に戻る血液等をポンプで吸い取り、一旦貯めて再び体内に戻すという装置です。しかし、手術中にこの装置にトラブル発生。手術室がパニックになりました。明香さんは手術後一度も意識を取り戻すことなく3日後に死亡。両親は医療過誤があったとして手術を担当した医師ら5人を刑事告訴しました。」
「家族の怒りっていうのが、簡単にいうと死んでしまったものは、帰ってこないんだと。その悲しみはあるけれども、そのいっそう腹が立つことはそれを隠したり嘘を言い続けようとする人達の方が、もっと腹が立ち、まあ、罰せられていいのではないかと思っております。」
裁判の焦点は、手術で人工心肺装置の操作を担当し業務上過失致死罪を問われていた佐藤一樹被告が装置の不具合を予見できたかどうかでした。その判決は。」
「人工心肺の機械は勝手に動いているわけではありませんし、自然に出てきたものではない、作った人がいるし、それを操作していた人間がいるわけで、その人達に何の過失も問えないかという・・・。」
「医療裁判というのは難しいでしょうけど、あの、やはり、失ったものが家族側にある以上そのへんを配慮した判決が欲しいと思いますね。」
「この医療事故によりまして逮捕された二人の医師の判決は割れました。執刀医。責任をもって手術を行っていました。有罪です。そして、実際に操作ミスをしたのではないかといわれていた人工心肺装置を操作していた医師は無罪でした。何故割れたのか。罪を見ますとはっきりします。実は、執刀医は証拠隠滅罪を問われていました。カルテの改竄をおこなっていたのですね。これ装置がおかしくなって女の子が亡くなってしまった。このことを隠そうとしたことで有罪になっています。一方、佐藤元医師に関しましては、被告に関しましては業務上過失致死罪で今回は無罪。なぜならば、操作ミスという訴えでしたが、判決は装置自体の不具合と考えられて、そのことをあらかじめ佐藤被告は予見できたとは言えないだろう。なぜならば、こちらです。死亡の原因となった人工心肺装置の不具合は当時認識されていなかったので、しかたがないということなのですね。」
「人工心肺装置が止まったら命にかかわることは誰でもわかるわけですけども、ただ、それが突然不具合を生じても手のほどこしようがなかったとうことなのですよね。今回の例はね。」
「そうですね。結局操作ミスではない。操作ミスであるという検察側の主張は覆されてしまったとうことなんですね。ただ、無罪判決は下ったものの、判決の中で裁判長は、こうした危険な人工心肺装置を使っていた東京医大の管理責任というものは問われることはあると。失礼、女子医大の責任は重いというような内容のことをですね、触れているんですね。言及している。ただ、この点を追及しようにも、検察側が、そこを焦点をあてて裁判を行ったわけではないですし、それから、また、民事の方も、既に、実は、和解が成立しゃっているので、この問題責任の持って行きようがないですね。そこはちょっとやりきれないところです。」
「結局はこの心肺装置の不具合があったら大変な問題じゃないですか。でも当時そのことは認識されていなかったと言われたら、じゃ、どこに怒りをもっていけばいいんですかというのが、遺族の皆さんの気持ちなんですね。」
2 同2の事実のうち,本件ニュース1ないし4で放映された本件映像が「いずれも東京地方裁判所の所内と考えられる場所を原告が歩いている場面を映した映像」とする点は否認し,その余は認める。本件映像は,平成14年9月25日18時47分ころ,保釈された原告が東京拘置所から出てくる場面を映した映像である。
(1)原告は,本件ニュース1ないし4(以下,総称して「本件放送」という。)が,一般視聴者に対し,「専門性を有するべき医師が,未熟であったために手術中のミスによって本件患者を死亡させたという印象を生じさせるものであり,原告の社会的評価を低下させる」(訴状6頁)と主張する。
2 しかし,本件放送は,一般視聴者に対し,原告が主張するような印象を生じさせるものではなく,原告の社会的評価を低下させてはいない。
(2)そもそも,本件放送は,業務上過失致死罪に問われていた原告に無罪が言い渡されたことを一般視聴者に伝えるものである。被告は,本件放送において,原告が無罪となったという結果のみを報道したのではなく,原告には事故の予見可能性がなかったという判決理由についても報道している。しかも,被告は,本件放送において,原告が無罪判決となったことに対する批判は行っていない。本件放送によって,一般視聴者は,原告は業務上過失致死罪に問われて起訴されたが,裁判所は予見可能性なしと判断して原告を無罪とした事実を知ることとなる。したがって,捜査段階の報道や起訴された事実の報道等によって低下していた原告の社会的評価は,本件放送によって回復している。少なくとも,原告の社会的評価が,本件放送がなされる前の状態よりも低下していることはない。
(3)原告は,本件放送が無罪報道であることを正しく理解せず,本件ニュース1で使用された「未熟な医師」という言葉や,本件放送において原告を「元医師」としている点などを問題視している。しかし,r未熟な医師」という言葉について言えば,西田弁護士の「未熟な医師にあの二重三重にそういうことが起こらないようにあの予防体制を取りながら本当はやるべきだったでしょうと…。」というコメント中で使用されている言葉であり(甲第1号証の3),東京女子医大病院の管理体制に問題があることを指摘する文脈で使用されていることが明らかである。従って,そのような文脈を超えて,原告が主張するように,「原告には予見可能性があり,本来であれば有罪になるべきである」との印象を一般視聴者に与えるものではない。
また,被告が,原告を「元医師」としたのは,「事故当時は東京女子医大病院の医師であったが,現在は東京女子医大病院の医師ではない」との趣旨であるところ,仮にこの表現が「現在医師ではない」との印象を与えたとしても,原告が主張するように,「本件事故の責任をとって,原告は,自ら医師を辞めたか,あるいはへ医師を辞めさせられ」たとの印象を一般視聴者に与えるものではない。
(1)原告は,本件映像が,原告の承諾なしに,本来撮影の認められない場所で原告の容ぼうを隠し撮りしたものであるとして,みだりに原告の容ぼうを撮影かつ公表したものであるから,原告の肖像権を侵害すると主張する。しかし,本件映像は,本来撮影の認められない場所で隠し撮りされたものではない。また,本件映像の撮影当時,原告は撮影されていることを知りながら,撮影されることに異議を述べなかった。
(2)本件映像は,被告の報道スタッフにより,平成14年9月25日18時47分ころ,東京拘置所付近路上において撮影されたものである。このことは,「面会受付」という文字や警備員の姿が映像に含まれていることからも明らかである(甲第1号証の2の��ほか)。また,本件映像は,日没後周囲が暗くなった状況下で,原告に対し照明をあてつつ撮影されたものである。つまり,本件映像は,公道上において,原告が撮影を明確に認識しうる方法で撮影されたのであって,およそ隠し撮りの類にはあたらない。しかも,照明をあてるなどして,原告が明確に認識しうる方法で撮影が行われているにも関わらず,原告は,被告の報道スタッフに対して,特段異議を述べることもなく,被告報道スタッフの前を横切り,そのままタクシーに乗り込んだ。
(3)したがって,本件映像は,原告の主張するような,「原告の承諾なしに,本来撮影の認められない場所で原告の容ぼうを隠し撮りしたもの」ではなく,原告の肖像権を侵害するものでもない。
本件ニュースが、無罪報道に対して批判的視点で描かれていることは明らかである。この点を本件ニュース1に即して述べる。
本件ニュース1は、冒頭において東京地裁が無罪の判決を言渡したことを簡単に告げた後、すぐに遺族のナレーションを紹介するとともに、そのことについて、「遺族は先ほど会見を行い怒りを露わにしています」「無念の思いを語る遺族」とコメントしている。
その後、本件ニュース1は、「当初罪を認め遺族に謝罪し示談が成立」というテロップを流すとともに、音声でも「佐藤被告は当初は罪を認めて遺族に謝罪し、示談が成立」と紹介し、「しかし法廷では、一転して過失を否定してきました。立証の難しい医療過誤...」と伝えて、原告が態度を変えたことを前提に(なお、そのこと自体誤りであるが、その点は真実性・相当性に関する被告の主張を待って述べる)、そのことに批判的ニュアンスをこめている。さらに、「何故改竄した医師が有罪になり、機器を操作した佐藤被告が無罪になったのでしょうか」という疑問を投げかけ、「様々な危険を回避する義務があるがそれを放置し」、「おこたって未熟な医師に扱わせた」というテロップを流し、弁護士のコメントとしても、「未熟な医師に...」と言わせている。そこでは、なぜ原告が無罪になったかについて明確な答えは示されていないのであって、本件ニュース1を見た一般視聴者は、原告が無罪になったことについての疑問は解消されないものと受け取る。
そして、本件ニュース1は、最後に「判決の後、明香さんの両親は40分にもおよぶ会見を行いました。」と紹介し、本件患者の父親による「非常に医師に対して甘い判決だなあと思って、本当にがっかりしています。」というコメントで締めくくられている。
このように、本件ニュース1では、取材した弁護士や本件患者遺族の口を通じて、無罪判決が医師に対して甘いものであり、本来は危険を回避する義務があるのに、それができなかった未熟な医師を無罪にしたという批判的視点に立っていることが明らかである。さらに、取り上げ方としても、他の報道機関では、無罪判決を受けて記者会見をした遺族と、同様に記者会見をした原告とを並列的に扱っているのに対し、本件ニュースでは、原告の記者会見の模様は一切用いず、過去の映像のみを用いている。そして、ニュースの最初と最後に、判決に批判的な遺族のコメントで構成しているのであるから、これを見た一般的な視聴者も、本件ニュースが判決に批判的であることを容易に理解するものである。
��       (テレビジョン放送による報道に関する最高裁平成15年10月16日第一小法廷判決・民集57巻9号1075頁)「テレビジョン放送をされた報道番組において,その内容が人の社会的評価を低下させるか否かについては,一般の視聴者の普通の注意と視聴の仕方とを基準として判断すべきである。そして,新聞記事等の場合とは異なり,視聴者は,音声及び映像により次々と提供される情報を瞬時に理解することを余儀なくされるのであり,録画等の特別の方法を講じない限り,提供された情報の意味内容を十分に検討したり,再確認したりすることができないものであることからすると,当該報道番組により摘示された事実がどのようなものであるかという点については,当該報道番組の全体的な構成,これに登場した者の発言の内容や,画面に表示されたフリップやテロップ等の文字情報の内容を重視すべきことはもとより,映像の内容,効果音,ナレーション等の映像及び音声に係る情報の内容並びに放送内容全体から受ける印象等を総合的に考慮して,判断すべきである」こと鑑みれば、原告を「未熟な医師」と断言しそのことを前提としている西田弁護士のコメントを含む放送は名誉を毀損する。
��       西田弁護士のコメントの直前には,原告のアップの静止画とともに「何故改竄した医師が有罪になり,機器を操作した佐藤被告が無罪となったのでしょうか。」というナレーションによる問いが放送されている。これに対する答えを西田弁護士に求める構成となっている。被告の言葉を借りれば,原告の「無罪判決」報道において,話題は「原告が無罪となった理由」になっている。したがって,原告についての放送が中心となっているところに突然「東京女子医大病院の管理体制について問題」が持ち出されるはずがない。また,西田弁護士のコメントには「東京女子医大病院」や「管理体制」という言葉は存在しない。したがって,一般の視聴者の普通の注意と視聴の仕方では,「東京女子医大病院の管理体制に問題があることを指摘」していると理解することはできない。
(オ)以上のとおり、無罪判決に批判的視点に立った本件ニュースの全体的なトーン、その文脈における「未熟な医師」、「元医師」といった具体的な表現などに照らすならば、本件ニュースが原告の社会的地位を低下させることは明らかである。
��       本件ニュース報道の違法性は、「個人の肖像写真の撮影及び出版物への掲載により人格的利益が侵害された場合の違法性の判断においては,表現,報道の自由との適正な調整を図る必要があり,当該写真の撮影及びその掲載が,公共の利害に関する事実の報道に必要な手段として公益を図る目的のもとに行われたものか否か,仮にそうだとしても,当該写真の内容,撮影手段及び方法が右報道目的からみて必要性・相当性を有するか否か,という観点から検討しなければならない。」(東京地方裁判所判決/昭和61年(ワ)第13809号 平成元年6月23日)から判断すれば明らかである。
被告は、「本件映像は、...東京拘置所付近路上において撮影されたものである」と主張する(答弁書4頁)。しかし、原告は、保釈の際、東京拘置所出口の直近の路上にタクシーを呼んでおき、すぐにタクシーに乗り込んだ。したがって、一定の距離を単独で移動している原告の姿を映している本件映像は、仮に本件映像が被告主張どおり東京拘置所のシーンであるとすれば、東京拘置所附近の公道を歩いている場面ではなく、拘置所内部を歩く原告の姿を映したものと考えられる。そこで、被告に対し、東京拘置所附近のどの地点にカメラを設置し、どの部分を歩く原告の姿を撮影したのかを現場の見取り図等を用いて明らかにすることを求める。あわせて、本件映像の前後の映像(放送しなかった分を含む編集前のもの)を提出するよう求める。
被告は,答弁書「1名誉毀損について」(2)において,「捜査段階の報道や起訴された事実の報道等によって低下していた原告の社会的評価は,本件放送によって回復している。少なくとも,原告の社会的評価が, 本件放送がなされる前の状態よりも低下していることはない。」と主張している。しかし、原告は、被告フジテレビによる「捜査段階の報道や起訴された事実の報道等」を見たことがない。そこで、この点について原告として判断・反論するために,被告フジテレビが,
いかなる報道を行ったのかを明らかにすることを求めるとともに、それらを報じた下記�,覆い鍬Δ諒�送の記録を証拠として提出することを求める。
(1) 原告は,「抽象的に本件放送が「無罪報道」であるか否かを議論することは無意味である。重要なことは、どのような視点から無罪報道を行ったか,また,報道に際して,具体的にどのような表現を用いたかである。」とし,「そのような観点からみた場合,本件ニュースによる原告の社会的評価の低下は,すでに訴状で記載したとおり明らかである」と主張する(平成18年6月7日付原告準備書面1〜2頁)。
しかし,答弁書において既に主張したとおり,被告は,本件放送において,原告が無罪となったという結果のみを報道したのではなく,原告には事故の予見可能性がなかったという判決理由についても報道しており,しかも,無罪判決に対する批判は行っていない(答弁書3頁)。被告は,これらの点も踏まえ,本件放送の性格を明らかにする趣旨で「無罪報道」と述べたのであり,抽象的な議論をする意図で本件放送を「無罪報道」と表現しているわけではない。
(2) 本件放送は,一般視聴者が高い関心を抱いていた東京女子医大の医療事件の帰趨について報道するものであり,原告に対し無罪が言い渡された事実を視聴者に伝えることを目的とするものである。一般視聴者は,本件放送により裁判所による証拠に基づく緻密な審理を経た結果,起訴事実が認定できなかったことを明確に知ることができる。
しかも,本件放送は,無罪という結果のみを報道しただけではなく,原告に事故の予見可能性が認められなかったという同判決の判決理由をも明確に伝えている。具体的には,本件ニュース1では「その理由として,人工心肺の構造に問題があったことを指摘。事故を予見することが出来たとは認められず,過失責任を問うことはできないというものでした」(甲第1号証の3)と報じ,本件ニュース2及び本件ニュース3では,「東京地裁は判決の理由として,客観的に見て人工心肺の構造には問題があったと指摘した上で,被告が事故を予見することは出来なかった等としています。」(甲第2号証の3,第3号証の3)と報じ,本件ニュース4では「被告人は,無罪。開発者でもない医師が,装置の危険性について気づかなかったとしても責めるのは酷。」,「判決は,人工心肺装置そのものに事故の危険性があり,佐藤被告の責任は問えないというものでした。」(甲第4号証の3)と報じており,いずれも判決理由を明確に伝えている。一般視聴者は,本件放送により,裁判所が「人工心肺装置の構造に問題があり,原告に事故の予見可能性がない」と判断したこと明確に知ることができる。さらに,本件放送は,無罪判決に対する批判(例えば,証拠評価など事実認定に問題があるとか,論理的な矛盾があるとかの批判)を行っていない。具体的理由や具体的証拠を挙げて,無罪判決の不当性を指摘しているのであれば,原告は本来有罪とされるべきではないかとの印象を一般視聴者が抱くことも考えられる。しかし,本件放送は,そのような批判を行っていないのであるから,一般視聴者が,原告は本来有罪とされるべきではないかとの印象を抱くことは考えられない。
(3) 以上,一般の視聴者の普通の注意と視聴の仕方を基準とした場合,本件放送は,一般視聴者に対し,原告に過失はなく,原告に刑事責任はなかったという印象を明確に与える。
ア 原告は,本件ニュース1について,無罪報道に対し批判的視点で描かれていると述べ,本件ニュース1の構成について縷々述べている(平成18年6月7日付原告準備書面2頁)。しかし,本件ニュース1は,無罪報道に対する批判的視点から構成されたものでは断じてない。
イ 被告は、本件ニュース1において、まず、東京女子医大医療事件(以下「本件事件」という。) について,原告に対し無罪判決が言い渡されたことを報じる。次に,被告は,同判決を受けて行われた遺族の記者会見の模様について報じ,事件の簡単な説明と無罪判決の判決理由について明確に説明する。
その後,被告は,本件事件の事実経過について紹介した後,「立証の難しい医療過誤で医師が逮捕されることは極めて異例であり,当時,高度な医療を行う特定機能病院に承認されていた東京女子医大は,」のくだりから,本件事件全体についての言及を始める。
そして,被告は,本件事件の帰趨として,東京女子医大が特定機能病院の承認を取り消されたこと,証拠隠滅罪に問われた医師に有罪判決言い渡されたことを伝え,「何故改窟した医師が有罪になり,機器を操作した佐藤被告が無罪となったのでしょうか」と事件全体の結末についての問いかけをなした後,東京女子医大は二重三重に予防体制を敷いておくべきであったとする専門家(弁護士)の分析を紹介し,最後に遺族の記者会見での発言を報じている(甲第1号証の3)。
ウ かかる構成からも明らかなように,被告は,本件ニュース1において,原告に対し無罪判決が下されたとの情報をいち早く一般視聴者に伝えることを目的としつつも,放送時問という制約の下,本件事件全体の帰趨や専門家の分析等,なるべく多くの情報を一般視聴者に伝え,病院の管理体制に対する問題提起を試みているのであって,一般視聴者に対し判決に対する批判的メッセージを伝えることを目的としているわけではない。
しかし,本件ニュース2ないし4を見ても,被告は判決に対し一切批判的な報道をなしてはいない。むしろ,原告の記者会見の模様をも報道しており,原告の主張する公正さにも適う内容となっている(甲第2号証の3,第3号証の3,第4号証の3)。
原告に対し無罪判決が下されたとの報道を目的としつつ,本件事件全体の帰趨等なるべく多くの情報を一般視聴者に伝えるとともに,原告が無罪となったことを前提として,病院の管理体制につき問題を提起するという被告の報道姿勢は,その後も明確に維持されている。すなわち,被告は,本件ニュース2及び3においては,放送時間が極めて限られていたこともあり,原告に無罪判決が下ったこと及びその判決理由についてのみ報じるにとどまるが,本件ニュース4においては,十分な放送時間をかけ,事件全体の経過や判決の詳細な分析をも言及し,一般視聴者に情報を提供している。また,被告は,本件ニュース2において,「構造的には問題のあった人工心肺を何故使わせたのかという問題が残ります」(甲第2号証の3)と述べ,本件ニュース3においては,「ではそれを使った病院側の責任もないのかということも余地が残されています」(甲第3号証の3)と述べ,本件ニュース4においては,「判決の中で裁判長は,こうした危険な人工心肺装置を使っていた東京女子医大の管理責任というものは問われることはある」(甲第4号証の3)と述べている。このように,一連の本件放送を見れば,被告が判決について批判的立場に立っていないことは明白である。
しかし,遺族の反応をニュースの冒頭と最後に紹介しているからといって,被告が判決に対し批判的な態度を取っていることにはならない。
そもそも,刑事裁判に関する報道において,犯罪の被害者及びその親族が存在する場合,一般視聴者は,判決の結論及び理由のみならず,「被害者ないしその親族が判決に対しいかなる反応を示したか」,ということにも強い関心を寄せる。とりわけ,本件の如く,まだ年端もいかない少女が医療事故によりその将来を断たれたような場合はそうである。だからこそ,被告は,遺族の反応は非常に報道価値が高いと考え,本件ニュース1の冒頭と最後で紹介したのであって,それ以上の意図はない。「遺族は先ほど会見を行い怒りを露わにしています」,「無念の思いを語る遺族」というコメントも,報道価値の高い遺族の反応を単に描写しているにすぎず,それ以上の意味はない。
  もちろん,被告が,遺族が怒りを露わにしていると報じたり,「非常に医師に対して甘い判決だ」と遺族が発言したことを報じることにより,遺族の無念の思いが一般視聴者に伝わり,遺族に対し一般視聴者が同情を寄せるということはありえよう。また,「遺族はやり場のない思いを抱いている」という印象を一般視聴者が受けることがありうる。
しかし,一般視聴者の普通の注意と視聴の仕方を基準とすれば,遺族の判決に対する発言は,あくまで遺族の立場からの発言であると受け止められるものである。
また,我が国においては,裁判所の裁判は一般的に広く国民から信頼されている。したがって,判決によって不利益を受けた者が判決に対し不満を漏らしたことを報じたとしても,一般視聴者が,そのことだけで判決に疑念を抱くことはない。
  さらに言えば,一般の視聴者が,遺族が不満を漏らしたとの一事をもって,「専門性を有するべき医師が,未熟であったために手術中のミスによって本件患者を死亡させた」という印象を抱くことはありえないのである。
イ この点,さらに原告は,「他の報道機関では,無罪判決を受けて記者会見をした遺族と,同様に記者会見をした原告とを並列的に扱っているのに対し,本件ニュース1では原告の記者会見の模様は一切用いず」と述べ,遺族のコメントのみを取り上げた被告の報道を批判している(平成18年6月7日付原告準備書面3頁)。
しかし,本件ニュース1は,原告に対し無罪判決が下されたことを冒頭から明確に述べている。無罪判決が下されたということは,原告の言い分が裁判で正式に認められたということなのであるから,無罪判決が下されたという事実を判決理由を明示して報道すれば,原告の記者会見でのコメントを改めて報道せずとも,一般視聴者には原告の言い分が充分伝わる。常に両者の言い分を並列的に取り上げなければ不公平な報道となるというわけではない。
原告は,次に,「「当初罪を認め遺族に謝罪し示談が成立」というテロップを流すとともに,音声でも「佐藤被告は一転して過失を否定してきました。立証の難しい医療過誤・・」と伝えて,原告が態度を変えたことを前提に」,「そのことに批判的ニュアンスを込めている」と主張する(平成18年6月7日付原告準備書面2頁)。
しかし,被告は,一般視聴者にわかりやすいように,取材の結果知りえた本件事件の事実経過を報じたに過ぎない。事実経過について説明するだけでは判決への批判とはなりえない。原告自身,この部分について,批判的「ニュアンス」と主張するのみである。なお,原告は,「佐藤被告は一転して過失を否定してきました。立証の難しい医療過誤・・」という形で本件ニュース1を引用する(平成18年6月7日付原告準備書面2頁)が,「立証の難しい医療過誤・・」との説明は,「立証の難しい医療過誤で医師が逮捕されることは極めて異例であり,当時,高度な医療を行う特定機能病院に承認されていた東京女子医大は,この事件でその承認を取り消されています。」という説明の一部である。被告は,立証の難しい医療過誤事件であるから,原告が無罪になったとは一言も述べていない。
しかし,答弁書にて主張したとおり,「未熟な医師」という言葉はあくまで,東京女子医大病院の管理体制に問題があることを指摘する文脈で使用されている。
西田弁護士のコメントは「いろんなあの危険を回避する義務というのはやっぱりあると思うのですね。それを放置してまああのそういうことを怠ってですね。未熟な医師にあの二重三重にそういうことが起こらないようにあの予防体制をとりながら本当はやるべきだったでしょうと…。」(甲第1号証の3)というものである。
要するに,医療事故というものが起きないように二重三重に予防体制を敷いて危険を回避する義務,が,病院側にあったのに,それを放置した,というのが同コメントの内容である。
加えて,テロップにも「様々な危険を回避する義務があるがそれを放置し」,「扱わせた」と表示されており,一般視聴者の普通の注意と視聴の仕方からすれば,言及されている主体が東京女子医大病院であることは容易に理解される。このように,コメントの内容及びテロップを普通にみれば,同弁護士が,東京女子医大の管理体制について言及していることは明快である。
しかし、本件ニュース1は、前述のとおり、「立証の難しい医療過誤で医師が逮捕されることは極めて異例であり、当時,高度な医療を行う特定機能病院に承認されていた東京女子医大は,」のくだりから,本件事件全体についての言及が始まっている。そして,本件事件の帰趨として,東京女子医大が承認を取り消されたこと,証拠隠滅罪に問われた医師に有罪判決が言い渡されたことについて言及がなされ,「何故改窟した医師が有罪になり,機器を操作した佐藤被告が無罪となったのでしょうか」と事件全体の結末についての問いかけがなされた後,東京女子医大病院は二重三重に予防体制を敷いておくべきであったとの西田弁護士のコメントが,法律の専門家のコメントとして引用されている。
つまり,上記「東京女子医大は,」のくだりから,放送の中心は原告から本件事件全体に移っている。したがって,東京女子医大病院の管理体制についての問題が持ち出されても違和感はなく,むしろ自然である。
ア 答弁書にて主張したとおり,被告は,「事故当時は東京女子医大病院の医師であったが,現在は東京女子医大病院の医師ではない」という趣旨で原告を「元医師」としている。
イ 上記は、本件ニュース1において、�)粗�部分で、音声により「東京地裁は今日、当時の担当医に無罪の判決を言い渡しました。」と放送していること(甲第1号証の3)、及び��映像上もテロップ文字で「過失責任は問えない「東京女子医大元医師「無罪」」と放送していること(甲第1号証の2の� 銑�)、から明らかである。一般視聴者の普通の注意と視聴の仕方とを基準として判断した場合,一般視聴者は「当時の担当医」という意味で「元医師」と表現しているとの印象を受ける。
なお、本件ニュース2以降は、単に「元医師」としているが、これは繰り返し使用される言葉を短縮して表現したものであり、その趣旨は本件ニュース1と変わるものではない。
撮影場所は,東京拘置所南側にある面会差入受付入口に近接した同拘置所の門の外側の公道上である(乙第1号証,第2号証)。同スタッフは,原告が同拘置所を出所し,タクシーに乗って立ち去るまでを撮影した。
このように,同拘置所の門の外側の公道上にて,同拘置所を出所する刑事被告人を撮影することは,世間の耳目を集める刑事裁判の報道において通常行われていることである。
東京拘置所も,公道上で撮影が行われていることから,このような撮影を禁じておらず,本件映像撮影の際も,同拘置所の衛視は,被告報道局のスタッフに対し,所属している報道機関の名称を尋ねただけで,特段撮影の中止等を申し入れてはいない。
(1) 答弁書において既に主張したが,被告報道局スタッフは,本件映像を,日没後周囲が暗くなった状況下で,原告に対し照明をあてつつ撮影した。つまり,原告が撮影を明確に認識しうる方法で撮影が行われたものである。およそ隠し撮りの類にはあたらない。しかも,本件映像を撮影する際,同スタッフは,被告の名称が記載された腕章を着装しており,同スタッフが報道目的で撮影を行っていることは誰の眼にも明らかであった。
このように,本件映像は,報道目的で撮影が行われていることが明らかな態様で撮影されており,しかも,原告自身その旨明確に認識していたにも関わらず,原告は,手のひらで顔を隠したり, 撮影の中止を申し出る等,撮影について特段異議を述べることもなく,淡々と同スタッフの前を横切り,そのままタクシーに乗り込んだ。
このような原告の行動からすれば,本件映像の撮影につき原告において黙示的承諾があったと考えざるをえない。
(2) また,原告は当時,世問の耳目を集める東京女子医大医療事件裁判の被告人であったのであって,同裁判に関する事実は公共の利害に関する事実である。したがって,その報道にあたり,仮に原告の明示的承諾がなかったとしても,被告人たる原告の行動を撮影した映像を報道することは許される。この点,殺人容疑で逮捕された被疑者の写真を週刊誌等に掲載したことが,被疑者の肖像権を侵害するか争われた事案において,裁判所は,被疑者の自宅前における歩行中の写真につき,「原告(引用者注:被疑者のこと)がB殺害の容疑で逮捕されたことは公共の利害に関する事実であり,その報道にあたり被逮捕者たる原告の写真を掲載することは許されるものであって,しかも,本件においては,右写真は,原告に無断で撮影されたものであるとはいえ,その内容は格別原告に差恥,困惑等の不快感を与えるものではなく,撮影の方法も自宅前を歩行中の原告を屋外から撮影したものと認められるから,被逮捕者たる原告においてもこの程度の写真撮影は受忍すべきであり,したがって,右写真の掲載が違法であるということはできない」と判示している。また,被疑者がアメリカの裁判所に出頭した際の裁判所内における写真につき,同裁判所は,「原告がB殺害の容疑で逮捕され刑事訴追を受けるに至っていたことは公共の利害に関する事実であり,その報道にあたり被逮捕者たる原告の写真を掲載することは許されるものであって,本件において,右写真は,原告に無断で撮影されたものであるとはいえ,その内容は格別原告に差恥,困惑等の不快感を与えるものではなく,撮影の方法も裁判所の許可を得て撮影したものと認められるから(弁論の全趣旨),被逮捕者被訴追者たる原告においてもこの程度の撮影は受任すべきであり,右写真の掲載は違法性を欠くものというべきである」と判示しているものである(東京地判平成6年1月31日判タ856号186頁)。
この判例からも明らかなように,世間の耳目を集める刑事事件の被疑者・被告人においては,その撮影された内容や撮影の方法が相当である限り,自らの容貌を撮影されることは受任するべきであって,撮影をした報道機関において肖像権侵害の不法行為は成立しない。
本件放送は、原告が「当初罪を認め遺族に謝罪」していたが裁判では「一転して過失を否定」したという誤った内容を報じるとともに、被告を「未熟な医師」と評し、「元医師」という誤ったナレーションと伴にテロップを付すなどするものであり、その内容において、一般視聴者に対して、専門性を有するべき医師が未熟であっために手術中のミスによって本件患者を死亡させたという印象を生じさせることは明らかである。
被告は準備書面(第1)において、原告の社会的地位の低下を否定するための反論を縷々述べるが、その主張は事後的な「元医師」の解釈を初めとしてこじ付け的なものが多く、これまでに原告が主張したことに対する有効な反論にはなりえていない。その意味で、基本的に被告の反論に対する再反論の必要はないと考えられるが、念のため以下の点を補足する。
被告は、「本件放送において、原告が無罪となったという結果のみを報道したのではなく、原告には事故の予見可能性がなかったという判決理由についても報道している」と述べるが、「結果と判決理由のみ」を報道したのでもない。被告が、無罪判決への批判的視点に立ち、「佐藤被告(原告)は当初罪を認めて遺族に謝罪し、示談が成立。しかし法廷では、一転して過失を否定してきました。立証の難しい医療過誤で・・」という報道で、真実ではない事実(下線部)を摘示する等して、原告の名誉を毀損したことは、2006年6月7日付け原告準備書面(以下、単に「準備書面」) 第1の1の(ア)で既に述べた。
一般的に、刑事被告人が罪を認め、被害者に謝罪するという行為は、自白に相当する。そのような重要な事実が報道されれば、一般視聴者はそれが、真実だという印象を受ける。さらに、被告人が後に一転して無罪を主張し、無罪判決が言い渡されたとしても、この自白に相当する事実の報道から、本当は、有罪であるとの印象を受ける。さらに、「立証の難しい医療過誤...」と続けば、医療過誤事件は立証が困難なので、医師に否認されたために本来有罪とされるべきところ無罪となったという印象を受けるのは自然なことである。
被告は、平成18年8月22日付け準備書面(第1) 第1の1において「一般視聴者が、原告は本来有罪とされるべきではないかとの印象を抱くことは考えられない。」「一般の視聴者の普通の注意と視聴の仕方を基準とした場合、本件放送は、一般視聴者に対し、原告に過失はなく、原告に刑事責任はなかったという印象を明確に与える」等縷々述べているが、これは客観性を失った主張である。
原告は、第一回期日2006年5月17日法廷において、既に、被告による真実性・相当性の立証の必要性を口頭で述べ、6月7日付け準備書面では、その該当部分を特定し「(なお、そのことを自体誤りであるが、その点は、真実性・相当性に関する被告の主張を待って述べる)」と明確に記載し、8月22日まで2ヶ月半の間待機した。しかしながら、被告は、準備書面(第1)では、「取材の結果知りえた本件事件の事実経過」程度の記載があるのみで、何ら真実性と相当性を立証しようとすらしていない。このことは、「裁判の円滑な進行を故意に妨げている」または、「真実性・相当性に関する主張をしない」のいずれか、と受け取れる。前者であれば、被告は早急に真実性・相当性の立証を行うべきであり、後者であれば、裁判所には次回期日から証拠調べを行っていただくことを要望する。
被告は、原告の「『未熟な医師』イコール『原告』を意味する」という指摘に対して、「『未熟な医師』という言葉はあくまで、東京女子医大病院の管理体制に問題があることを指摘する文脈で使用されている。」と述べるだけで、否定はしていない。「管理体制」の文言が皆無である放送の該当部分がどのような分脈で事実を摘示したかは置くとしても、西田弁護士が「未熟な医師」と呼ぶ医師が、「原告」以外にいないのは明らかである。このことは、仮に文脈に東京女子医大の管理体制の批判がこめられているとしても、「『未熟な医師』イコール『原告』を意味する」ことと両立するのであるから名誉毀損は成立する。
原告は、原告準備書面 5頁 第1の1の(イ)�い砲�いて、「『危険回避義務があるのに,それを怠ったのは原告である。』と理解される。」と主張したが、被告はこのことに関しては、なんら反論していない。すなわち、「危険回避義務」を怠ったのは「原告」であることを認めているのであるから、その直後の発言の「未熟な医師」もイコール「原告」ということになるのは当然である。
原告は「元医師」の解釈が「以前は医師であったが現在は医師ではない人」以外にあり得ないことを既に充分論じた。これに対し被告は、音声による「当時の担当医」とテロップ文字による「東京女子医大元医師『無罪』」を放送すると一般視聴者が「当時の担当医」という意味で「元医師」と表現している印象を受けると主張する。何の説明もなくそのような印象を受ける視聴者がいるはずがない。
また、冒頭から次々と提供される情報の中で、一瞬で消える音声の「当時の担当医」という情報が印象として残る理由もなく、その直後から2分50秒間「東京女子医大元医師『無罪』」とテロップが表示されているのであるから、一般視聴者が、「元医師」の放送は「当時は医師であったが、現在は医師でない人」との印象を持つ。
仮に、「当時の担当医」という意味の表示をしようと思えば、「担当医」と短縮すれば3文字で、「元医師」の3文字と同じである。したがってニュース2以降は単に「元医師」としているが、「これは繰り返し使用される言葉を短縮して表現したものであり、その趣旨は本件ニュース1と変わるのもではない。」という「短縮理論」は成り立たない。
さらに被告の「繰り返し使用理論」の抗弁について論じる。ニュース1ないしニュース4は、あたかも一連のつながりがあるように扱っているが、個別の報道であることは、一つ一つの内容が違うことから明らかである。一般の視聴者が11月30日の18時01分に放送された冒頭ナレーションの一瞬の「当時の担当医」を印象深く記憶しながら、翌日12月1日の早朝午前5時38分からのニュース2及びニュース3や午前9時近くまでのニュース4を視聴し、なおかつそこで、「元医師」テロップで表示されているのを見たり、発言されたりするのを聞いて、「元医師」とは「当時の担当医」を表現している印象を受けるはずはない。
また、ニュース1とニュース2の時間帯の間に放送された、ニュースJAPANのフラッシュのテロップでは、「担当の医師は―」や「女児死亡事故 医師は“無罪”」と表示し、ナレーターも、「業務上過失致死の罪に問われた医師」と発言している。このことからも、ニュース2以降がニュース1と一連の連なりをなしていないことが理解され、「繰り返し使用理論」による抗弁はなりたたない。
本件映像は、「撮影の段階」「放映の段階」のいずれにおいても不当であり、公共性・相当性は認められず、不法行為を構成する。以下、被告の準備書面(第1)に記載された撮影場所を踏まえて反論する。
本件映像を撮影した人物が立っていた場所は、公道上であるが、本件映像で撮影された場所のほとんどは、拘置所敷地内であり、映像には、拘置所施設を背景に歩行する原告と原告につきそう拘留関係者が同時に映っている。
原告が保釈決定を知ったのは、2002年9月25日夕食後であった。保釈と共に領置されていた所持品を整理しまとめたが、書籍が数十冊、刑事事件関係書類も千枚以上であっため、全ての荷物は、一回で両手に持ち運べる量ではなかった。この為、拘置所施設面会口(乙第2号証)から拘置所敷地内を通って、門外に運び出すには、時間がかかる状況であった。
一回目に面会口のドアが開かれた時に、屋外は夕闇により暗い状況であったが、その瞬間に原告の目には、強いライトが当てられた。その状況では、ライトの光は強烈であり、人と人が通常の会話ができるような距離でなかったため、人が撮影機器を使用してこちらを撮影していることは認識したが、どのような人物が撮影したかも確認できず、腕章をしているかどどうかも認識できなかった。
拘置所の職員は「あいつらもう来ていやがる。」と言い原告と会話を始めたことからも、撮影しているのはおそらく報道関係者であると思った。しかし、同日夕刻に保釈されて拘置所で身柄をとかれた立場にある者としては、撮影された経路以外に、出所する経路の選択余地はなかった。既に妻がタクシーを停車させていることを原告は認識していたことも相まって、乙第2号証に示されている経路で拘置所内敷地を出ることとした。この時点で同経路を歩行した場合、確実に撮影されるので、それに対して嫌悪感を持ったが、ここで、大きな声を出す等して撮影者に抗議することは、理由があって断念した。これについては後述する。
せめて撮影される時間を短縮しようと策を講じ、一旦面会口から離れ、領置品は拘置所職員が門の外に運び出し、時間をおいて、それを妻がタクシー内に搬入した後に、原告が面会口を出てタクシーに乗り込むこととした。
原告は、本件事故が報道された2001年12月から、報道関係者との直接的な接触を行わなかった。報道直後から弁護士に相談し、2002年1月上旬には、報道関係者に対する方針を決定した。すなわち、報道関係者からの接触や取材の申し込み等があった場合は、妻が対応し、「佐藤(原告)は報道関係者に直接接触したり、会話したりはしないので弁護士さんの氏名と連絡先を報道関係者に伝える」方針としたのである。
原告の妻は、領置品をタクシーに搬入する際に、複数いた撮影者に「撮影しないでください。」旨、異議を申し立てた。これに対して、ある撮影者は妻と会話した。妻は最終的に「撮影されたくないんです。」と明確に理由も述べた。
原告は、報道映像の撮影者が、被撮影者が撮影されることを拒否しても撮影を強行し、それが放映された場面を報道番組のテレビ映像で何回も視聴した。その「撮影拒否場面の放送」が被撮影者の印象を悪くすると考えていた。「エイズ事件刑事被告人(無罪)安部 英医師」や「オウム真理教教祖の弁護人 横山昭二弁護士」や「ロス事件の殺人事件刑事被告人(無罪)三浦和義氏」らが、報道関係者の撮影を拒否したり、抗議したりする場面が放送されるのを見て、これら被撮影者の態度が人格的に悪い印象として感じた。特に現皇太子妃雅子妃殿下が、婚約発表前に報道関係者に、撮影者の放送局名を訪ね撮影をやめるように厳しい表情で強く要望した場面を報道番組で視聴し、当時の小和田雅子妃殿下候補に対して人格的に悪い印象を持った。
このため、原告は、逮捕以前から、自分が報道関係者に撮影されることがあった場合は、自らが直接撮影者に対して、撮影に対する拒否行動を起こしても、撮影に中止や異議を申しでても、他どんな行動を起こしてもそれが放送されることが免れないので、せめてその放送により、自らの印象が悪くなることを回避するように行動することを決めていたのである。
原告は、通常会話の声では届かない場所から、拘置所敷地内に向かって撮影を行っている何処の放送局の何者かも分からない撮影者に対して大きな声を出して抗議しても、どの場面で抗議しても、その行為自体が放送されると、視聴者が原告の人格に悪い印象を持つと考え、顔を隠さず、撮影者に何も述べずに淡々とタクシーに乗り込んだ。
撮影に嫌悪感をもった原告が、一旦は面会口から顔を出したがそのまま外には出ず、領置品だけが先に外に出され、時間が経過した後に、面会口から拘置所敷地内に出てきた場面の一部始終を見た撮影者は、原告の妻から撮影の拒否とその理由を聞かされたにもかかわらず、原告を撮影した。このことから、原告において黙示的承諾がなかったことは明らかであり、本件映像の「撮影」は不当であり不法行為を構成する。
原告は、2006年6月7日付け準備書面 8頁〜9頁「(ウ)原告記者会見後の放送」と「(エ)38歳時の映像」において、本件ニュースにおける映像の正当性、公共性、公益性、必要性、相当性の欠如について述べた。被告自ら「無罪判決報道」と呼ぶニュース番組において、原告が行った記者会見の映像を入手していた被告が、拘置所を出所する際の原告が拘置所敷地内から外に出るところを撮影した4年前の映像をわざわざ放送したことを指摘した。
被告は、放送の正当性の欠如、公益性の欠如、必要性の欠如及び相当性の欠如に対する反論を直接は行わずに「殺人容疑で逮捕された被疑者の写真掲載」に係わる事案の下級審判例を提示するのみで何の説明もなく「明らかなように・・・不法行為は成立しない」と述べている。
本件放送時点において、原告は、被疑者でもなく、この時点では無罪判決を言い渡された被告人であった。その立場になった原告の映像を入手しながら、拘置所を出所する際の原告の映像を放送することの公益性、必要性及び相当性は存在せず、放送の正当性はない。
また、「世問の耳目を集める東京女子医大医療事件裁判の被告人であったのであって,同裁判に関する事実は公共の利害に関する事実である。」と述べているが、「拘置所を出所した事実」は裁判とは直接の関係がないので、「公共の利害に関する事実」ではない。
以上より、無罪判決時の「放映」として本件映像は不当であり、「撮影」「放映」のいずれもが不法行為を構成する。
被告は準備書面(第2)においても、原告の社会的地位の低下を否定するための反論を縷々述べるが、その主張には矛盾があり、客観性を欠いた報道姿勢を露呈し、釈明のための事後的解釈に終始している。
また、被告に挙証責任がある真実性や誤信相当性の主張には、被告自身による具体的な取材経過が示されていないため、被告の不法行為を否定するには程遠い。
被告は、準備書面(第2)第1の1の「(1)人工心肺に構造上の問題があったことを報道したこと」の項では、その題名を主張するために、2頁11行目ないし12行目、同頁17行目、同頁26行目、3頁1行目、同頁3行目ないし4行目、さらには、(2)の項にまで入ってからも、同頁13行目、同頁16行目と7回も繰り返し『人工心肺の(には)構造(上)に(の)問題』とう文言を使用している。要は、被告が「『無罪判決という事実』と『その理由は人工心肺の構造に問題があったこと』の両方を報道した」ことを繰り返して強調しているだけの主張である。「人工心肺の構造に問題があった」という指摘自体に疑義を挟んでいるという解釈の余地もあるし、人工心肺の構造に問題があったとしても、結果は予見できたという判断もありえるのであるから、構造の問題を繰り返し指摘したからといって、ただちに原告による過失の不存在を一般視聴者に印象づけることにはならない。
本邦では、一般に国民の裁判所に対する信頼は厚い。しかしながら、被疑者・被告人に対する犯人視報道が、刑事裁判における判断に少なからず影響を与えることや最初の犯人視報道に接した者が、その印象が消えずにこれを基準として判断し、逆に公判廷で明らかにされた方が間違っているのではないかという不信感を持つ者が存在することを、裁判所自身が示唆、指摘している。
すなわち、「週刊誌や芸能誌、テレビのワイドショーなどを中心として激しい報道が繰り返されたが、こうした場面では、報道する側において、報道の根拠としている証拠が、反対尋問の批判に耐えて高い証明力を保持し続けることができるだけの確かさを持っているかどうかの検討が十分でないまま、総じて嫌疑をかける側に回る傾向を避け難い。・・・ところで、証拠調べの結果が右のとおり微妙であっても、報道に接した者が最初に抱いた印象は簡単に消えるものではない。それどころか、最初に抱いた印象を基準にして判断し、逆に公判廷で明らかにされた方が間違っているのではないかとの不信感を持つ者がいないとも限らない。そうした誤解や不信を避けるためには、まず公判廷での批判に耐えた確かな証拠によってはっきりした事実と、報道はされたが遂に証拠の裏付けがなく、いわば憶測でしかなかった事実とを区別して判示し、その結果、証拠に基づいた事実関係の見直しを可能にすることの重要性が痛感される。」(東京高等裁判所平成10年07月01日判決・高等裁判所刑事判例集 第51巻2号129頁 下線は原告)がそれである。
この判決文に鑑みれば、逮捕後の報道や起訴後の報道等によって犯人視されていた原告の無罪判決とその理由を報道したとしても、原告に対する犯人視報道を基準にして判断し、無罪判決に対して不信感を持つ一般視聴者の存在は否定できない。さらに、無罪判決理由に続いて、原告が「当初罪を認め遺族に謝罪」していたが裁判では「一転して過失を否定」したという自白に相当する事実のを摘示し、「危険を回避する義務を放置し怠った」とか原告を「未熟な医師」と評し、「元医師」というナレーション、テロップを放送すれば、一般視聴者に対して、「専門性を有するべき医師が未熟であっために手術中のミスによって本件患者を死亡させ、それに関連して現在は医師ではない」という印象を生じさせることは明らかである。
「(2)被告の報道姿勢について」では、この「人工心肺の構造に問題があった」という理由が判決で述べられていると報じた「被告の関心は、『では誰に責任はあるのか』とか「『このような事態は防げなかったのか』という問題にあ」ると被告は主張する。
しかし、判決が受け入れている「人工心肺に構造上の問題」と「予見可能性が否定される」ことも受け入れているのであれば、そのような構造上の問題をかかえた人工心肺の操作者は、誰であろうと結果発生を防げないのだから、「未熟な医師」かどうかはまったく関係がないはずである。したがって、批判的立場に立たなければ、「人工心肺の構造の問題」に関連して「被告の関心は、『では誰に責任はあるのか』とか「『このような事態は防げなかったのか』という問題にあった」といえるはずがない。以上より被告の説明には矛盾または虚偽があると言わざるを得ない。
構造上の問題を前提にするならば、女子医大の管理体制や予防体制も、そのような構造上の問題ある人工心肺が作られたり、使われたりしないようにすることに焦点が当てられるべきである。この点において被告の説明と実際の放送には齟齬がある
また、被告が主張するように「どのような判決が下るかわからない状況下(乙第4号証)」の無罪判決後に、「人工心肺の構造に問題があった」という判決理由を知った「法律の専門家(被告準備書面(第1)10頁)」が、突如として判決理由とは全く関係のない「東京女子医大病院の管理体制」や「『未熟な医師』を問題視する発言」をするとは通常考えられない。したがって、「西田弁護士にコメントを求めた時刻については、本件刑事裁判の判決日の判決言渡後であることにおそらく間違えない」(乙第4号証1頁)の神谷祐輝ディレクターの発言内容は極めて疑わしい。
したがって、西田弁護士の「いろんなあの危険を回避する義務というのはやっぱりあると思うのですね。」「それを放置してまああのそういうことを怠ってですね。未熟な医師にあの二重三重にそういうことが起こらないようにあの予防体制を取りながら本当はやるべきだったでしょう」というコメントは、� 嵬戯疊酬茲陵�由を知らずに、原告に対して批判的に述べた」または、�◆嶌枷十蠅稜�定事実を無視して、無罪判決に批判的立場で述べた」のいずれかと推測される。いづずれにしても、「音声及び映像により次々と提供される情報を瞬時に理解することを余儀なくされる」一般の視聴者は、原告が「危険を回避する義務を放置し怠った未熟な医師」であるという印象を受ける。(2006年6月7日 原告準備書面4頁 第1の1(イ)未熟な医師 ��参照)
被告は、テロップ(甲1-2−��〜��)と伴に「佐藤被告は当初罪を認めて遺族に謝罪し,示談が成立しかし法廷では,一転して過失を否定してきました。(甲1-1)とナレーションした放送内容に対する真実性の立証として、乙第3号証・平成14年6月29日毎日新聞の記事を証拠としているが、この記事には「真実でない事実」が書かれている。このため、原告は毎日新聞社に対しても民事訴訟を提訴し弁論審理中である。以下に本件に関連した記事の中で真実ではない内容の部分を列挙し説明する。
� 嵎震�さんの家族によると、その際、両容疑者はいずれも『医者をやめたい』と話していたという。」という記事のうち、平柳さんの家族が何を言ったかは知らないが、「両容疑者はいずれも『医者をやめたい』と話していた」という部分は真実ではない。原告はその時に「医者をやめたい」とは絶対に話していないし、現在まで生涯に一回も「医者をやめたい」と話したことはない。
�◆屬修慮紂∨榮欧�6人が正座して並び、順に謝罪した。」という記事のうち「順に謝罪した。」というのは真実ではない。「順に言葉を述べた」ことは真実である。原告は、この時に、原告も死亡した患者さんと同様に心房中隔欠損症の根治手術を受けたことと今後の抱負を述べただけで、謝罪はしていない。後にこのこと関連した事柄を述べる。
��「佐藤容疑者も『もう医師は続けられない』とつぶやいたという。」という記事は真実ではない。原告はその時に「もう医師は続けられない」とは絶対につぶやいていないし、現在まで生涯一回も「もう医師は続けられない」とつぶやいたことはない。
�ぁ屬海虜檗∋�務職員が謝罪は終わったとして、『あとのことは弁護士同士の話しにしましょう』と示談を持ちかけてきたという。」という記事については、真実かどうかは不明であるが、家族が「お金が早急に欲しいのに弁護士をつれてこないとは何事か。」旨、女子医大管理二課次長を激怒し叱責したと、同次長が発言している。
2002年1月31日の刑事公判の傍聴をされた、平柳利明氏は、「瀬尾さんからは謝罪をしてもらったが、佐藤さんからは謝罪してもらっていない。刑事判決が出たときに医道審議会に対して瀬尾さんには、嘆願書を出して医業の停止期間を短くしてもらうつもりである。佐藤さんは謝罪してもらっていないので、嘆願書は出せない。だから、罪を認めて謝罪して欲しい。そして、いっしょに今井(今井教授)と闘いたい。」旨述べ、原告から電話連絡をして欲しいと電話番号が記載されたメモを残した。以上の事実からも、原告が謝罪していないことは明らかである。
なお、2002年1月に原告らが告訴された旨、新聞紙上等で報道された。このため、原告は逮捕前に弁護人選任届けを担当の司法警察に提出しようとしたが、「信じる信じないは原告の勝手だが、『告訴状』は受理していない。『被害届』が出ているだけなので、原告は「被疑者」ではなく「参考人」である。」旨、警察から説明を受け、選任届けは受理されなかった。
被告から、原告に対する取材申し込みは、現在に至るまで一回もない。準備書面(第2)では、原告の刑事事件の代理人に対する取材についても言及がない。報道内容に関する名誉毀損の裁判において、原告に対する被告独自の取材がなく、新聞記事というあくまで伝聞にすぎない情報源に安易に依拠しただけであって、独自の取材もしていないような場合に誤信相当性が認められるとは思われないが、被告が相当性の抗弁を行っているのでこれに反論する。
被告は、「前述のとおり、病院側も謝罪の事実を明言している。」旨(被告準備書面(第2)6頁3行目ないし4行目)述べている。この前述とは、同書面5頁10行目ないし13行目で「原告及び関係者らを引率した林院長は、同年12月29日、記者会見の場において、「本年12月に担当医らを同行の上、院長、心臓血圧研究所長、黒澤がご遺族に対し謝罪を申し上げました。」とある点を指していると思われるが、この「林院長の述べた」内容については、証拠がない。さらに、この記載によれば、「謝罪を申し上げました」の主語は、「院長、心臓血圧研究所長、黒澤」の3人である。したがって、「(原告が)謝罪し(た)」、ましてや当時罪を問われてもいなかった「(原告が)当初罪を認め遺族に謝罪し(た)」と誤まった事実を信じた相当性も存在しない。
また被告は、「まだ年端もいかない娘を失った遺族が、謝罪を受けていないにもかかわらず謝罪を受けたと虚偽の発言をすることはありえないので、遺族が謝罪の事実を明言したことは、極めて信頼性の高い情報である。」と述べる。
遺族は、刑事裁判の証人として法廷おいて、「最初は民事を考えていた」旨述べた。そして、実際に民事レベルの交渉を女子医大側と開始し、その後に刑事告訴を計画し、その結果、被害届けを提出した。そして、原告が全く関与しないところで、2002年2月15日に東京女子医大との間に示談書を交わし、合計7146万3052円を手にした。(なお、報道関係者に公表された示談書には金額は伏せられていた。)したがって、遺族が示談交渉を有利に進めたり、示談成立の正当性を主張したりするために「虚偽の発言」をすることは十分に考えられる。
さらに、謝罪したとされる者が1名の場合でなく、複数の関係者がいる場合には、遺族としては、そのうちの一部を意図していたが、伝聞の過程で正確性が失われた可能性なども十分に考えられる。
仮に、被告が2002年6月29日に毎日新聞の記事を読んで、「謝罪した」という伝聞を盲目的に真実だと考えたとしても、「当初罪を認め(た)」ことは遺族が話した証拠もないので(原告はこの時点で罪を問われていないので当然だが)、誤信相当性もない。
また、被告が本件放送でも「法廷では」「(原告が)過失を否定」と報道しているように、2005年11月30日までには、原告が起訴事実を否認していることを被告は認識していたのであるから、その3年以上の期間に、被告が、原告本人や刑事弁護人に取材する時間は充分あったのである。しかし、被告は、一切そのような取材努力を怠ったのである。したがって、誤まった事実を信じた相当性はない。
被告は、準備書面(第2)6頁で、「『危険回避義務』を怠ったのは『原告』ではなく『主体は東京女子医大である』」旨述べるが、刑事事件の被告は、飽くまで「個人」である。刑事事件判決について、法律の専門家が「危険回避義務」に関して述べるコメント内で、一言も出てこず、しかも「個人」ででない「学校法人東京女子醫科大学(東京女子医大)」が主体であるはずがない。一般の視聴者の普通の注意と視聴の仕方からすれば、「危険回避義務を怠ったのは原告」という印象を受けるのは明らかである。(2006年6月7日原告準備書面 3頁ないし4頁 第1の1の(イ)未熟な医師 ��および�せ仮函�
被告は、準備書面(第2)7頁1行目ないし3行目では、西田弁護士のコメントにでてくる「未熟な医師」が原告を指していないという口実として、「仮に未熟な医師がいたとしても・・・」と破れかぶれのこじつけ論を持ち出した。この放送を視聴するにあたり、原告の無罪判決言と判決理由を聞いた法律の専門家が、原告のことについて全く言及せずに、一般論や仮定の話をしているという印象を受けるはずがない。
被告はさらに同頁8行目ないし13行目で「『未熟な医師』の一言で、無罪判決言渡し事実や判決理由の情報等が忘れさられ、『原告のミスによって本件患者を死亡させた』という印象が与えられることはない。」旨を述べるが、前述の東京高等裁判所平成10年07月01日判決に鑑みれば、「公判廷で明らかにされた方が間違っているのではないかとの不信感を持つ者」が「原告は未熟な医師であった」という情報一つだけでもその不信感は増大する。また、その様な不信感を持っていなかった者も「未熟な医師」の情報により、不信感を持ち、さらに「原告は当初罪を認め遺族に謝罪し示談が成立した」「危険回避義務を怠ったのは原告」という情報を次々と放送されれば、『原告のミスによって本件患者を死亡させた』という印象が与えられることになる。
被告は、あたかも、一般視聴者はさておき、「被告は,『事故当時は東京女子医大病院の医師であったが,現在は東京女子医大病院の医師ではない』という趣旨で使用している。」とか、「本件報道は,東京女子医大を舞台とした医療事件の続報であり,話題の中心は東京女子医大であるから、『元医師』といえば東京女子医大に元いた医師を指す。被告にそれ以上の意図はない。」(下線部は原告)等と『被告の事情』ばかりを主張している。日本語を理解する一般視聴者は、「元医師」といえば「以前は医師であったが現在は医師ではない人」と理解する。「事故当時は東京女子医大病院の医師であったが,現在は東京女子医大病院の医師ではない」という趣旨を伝えるのであれば、「元東京女子医大医師」「東京女子医大元助手」等と表示したりナレーションしたりするはずである。(2006年6月7日原告準備書面 5頁ないし6頁 第1の1の(ウ)元医師 �△�よび��、原告準備書面(2)4頁 第1の3.元医師 参照)
被告は準備書面(第2)でもこじつけ的な言い訳や持論を縷々展開しているが反論のレベルに達していない。
通常、多くの視聴者「原告が元医師」であると理解した視聴者は、原告が「国家資格である医師としての資格を失った」すなわち「医師を辞めさせられ」という印象を持つ。医師が刑事事件等を理由に医道審議会等で、医師免許を停止されたり剥奪されたりすることがあることは、一般視聴者にも知られている。医師としての国家資格を失うということは、それと同等以上の理由がない限りあり得ない。原告が医師を辞めさせられるような理由が、他に報道されていない限り、一般視聴者は本件に関連して医師の国家資格を失ったという印象を持つ。
仮に、一般視聴者が、「元医師」を「国家資格は失っていないが、医師を職業としていない」という印象をもったとする。通常、社会的地位が確立し収入も悪くない医師として就業していた人物が42歳以前に「職業としての医師」を辞めるにはよほどの理由があるはずであると考える。被告は、「当初は罪を認め」等と報道しているのであるから、「本件手術後から判決までの間に本件手術に関連した何らかの誘因におより『自ら医師を辞めた』という印象を持つ」と考えることは自然である。
被告は、「原告が逮捕され,東京拘置所にて身柄を拘束されていたのはまぎれもない事実である。また原告が保釈により東京拘置所を出所したこともまた、まぎれもない事実である。原告が身柄を拘束されていたこと,原告が保釈されて拘置所を出所したことと、原告に無罪判決が下ったことは完全に両立する。身体を拘束されていた原告につき無罪判決が下ったと報道することは何ら矛盾していない。(準備書面(第2)13頁)」と関連のある事実であれば、何時どんな内容のものでも公表できるかのように主張し、さらに「そもそも、取材の結果適法に取得した映像のうち、どの映像を用いて報道を行うかということは、憲法21条のもと,報道機関の自由である。」と憲法21条を楯に開き直った主張を行っているが、「憲法一三条は、『すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。』と規定しているのであつて、「人は,みだりに自己の容ぼう等を撮影されないということについて法律上保護されるべき人格的利益を有する(最高裁昭和40年(あ)第1187号同44年12月24日大法廷判決・刑集23巻12号1625頁参照)」のであるから、本件のように、正当な理由もないのに、個人の容ぼう等を撮影し公表することは、憲法13条の趣旨に反し、許されないものといわなければならない。
そもそも、被告は「東京拘置所を出所したことは事実」旨等の主張を行っているが、プライバシー侵害や肖像権侵害では、真実性は抗弁の一要素にはならないので、被告のこの主張は無意味である。
撮影時の原告は刑事事件の被告人であったことは否定しない。ただし、放映時の原告は、無罪判決を受けた医師であり、公訴提起前でないことはもちろんのことであるし(刑法230条の2第2項参照)、当日も診療をおこなった現役の医師であることが考慮されるべきである。また、手術の行われた東京女子医大は、社会的にも影響力のある有名かつ巨大な組織であるが、原告自身は、その組織における一介の勤務医に過ぎず、社会的な公人でも有名人でもない。
�〇�間と場所:強烈なライトを当てないと撮影できない時間帯で面会時間終了後の時刻の拘置所敷地内である。この18時47分頃には拘置所を訪れた者誰もが自由に出入りできるような場所ではない。拘置所職員または出廷や保釈等特別な理由をもった被勾留者のみが歩ける場所である。
��活動の背景と行動:打ちっぱなしのコンクリートを背景に明らかに原告を勾留する制服をきた検察庁職員とともに、歩行している。特定管理権者の管理下、すなわち裁判所であっても拘置所内であっても、打ちっぱなしのコンクリートを背景に制服をきた検察庁職員とともに、歩行する行為は、一般的な公共の場所に市民が身を置いている容貌・様態や一般人が通常とっている行動とは全くことなり、心理的負担が生じることは明らかである。本件放送は、一般人が通常とらない行動や一般人の感受性を基準として撮影・放映を好まない背景での行動の撮影・放映であり、「みだりに」該当する。
被告準備書面(第2)10頁14行目によれば、撮影の目的は「保釈の事実」である。しかしながら、「医療事故に関連した事件の被告人の保釈の事実」が、「社会の正当な関心事」であるとは思われない。ことに、当該刑事事件における無罪判決報道時にはなおさらである。したがって、撮影の公共性、公益性、必要性等があるとは思われない。
しかし、本件ニュース2の午前5時38分(甲第2号証の2の� 砲篷楫錺縫紂璽坑海慮畫娃兄�8分(甲第3号証の2の�◆砲篷楫錺縫紂璽坑瓦慮畫�8時54分(甲第4号証の2の� 砲任蓮◆峭潅崕衂瀉脇發鯤盥圓垢�38歳の原告」を放映し、その直後には、「記者会見でコメントする42歳の原告」を放映しているのである。「容ぼうを特定するだけ」の目的であれば、後者のみ放送すれば足りるのである。被告以外の放送局で、無罪判決の報道にあたって保釈時の映像を流した放送局は一切ないし、そもそも、保釈時においてすら、そのことを報じた放送局や新聞社は、原告の知る限り一切ない。したがって、「容ぼうを特定するだけ」という被告の主張は、ニュース1の抗弁として後から考えたものであることがわかる。
「そもそも、取材の結果適法に取得した映像のうち、どの映像を用いて報道を行うかということは、憲法21条のもと、報道機関の自由である。」と開き直った主張をしているが、上記憲法13条を考慮していない自己中心的な主張である上、肖像権侵害では、真実性は抗弁の一要素にはならない。
2006年6月7日原告準備書面 9頁第1の2の(エ)38歳時の映像 原告準備書面(2)7頁第2の2.放映の段階 でも既に述べたように、本件映像は、「38歳時の拘置所敷地内を歩行する原告」である。放映時は、「42歳時の無罪判決言渡し後の記者会見でコメントする原告」の映像を被告は入手しているのであるから、「無罪判決が下された(刑事)被告(人として)の容ぼうを特定するだけ」の目的であれば、この映像を放映するのが相当であり敢えて「38歳時の拘置所敷地内を歩行する原告」の映像を使用する相当性はない。
       被告は、他社撮影者とともに、所謂メディアスクラムを組んで、原告が拘置所内施設の扉を開けた瞬間に撮影者の様子も分からないほど、強烈なライトを当て、精神的肉体的圧迫感を与えた。このため、原告が一旦姿をくらました拘置所から出るのをやめた上、原告の妻が、そのメディアスクラムの一員である撮影者(所属社名は不明)に対して、撮影に異議を申し立て、撮影の中止とその理由の訴えがあったのにもかかわらず撮影を中止しなかった。再び姿を現した原告に承諾を受けることなく、打ちっ放しのコンクリートの壁を背景に拘置所敷地を勾留関係者と認識できる制服を着た人物とともに撮影した。
なお、被告は「被告の調査によれば、そもそも被告の報道スタッフが、原告の妻から異議を申し立てられたり、原告の妻と会話したりした事実はない。」と主張しているが、そもそも原告は妻が異議を申し立てたり会話したのは被告スタッフであるという主張はしていない。ただし、当時の状況から、誰に対して異議を申し立てたとしても、その場にいた者としては、異議が申し立てられことを了解できたはずである。
本件刑事事件は医療事故に関するものであり、国民の関心事は事故そのものであり、原告が保釈されたという事実を撮影する必要性はない。
さらに、被告が主張するように、無罪判決放映時に、無罪判決直後の42歳の原告の映像を取得していた被告が、「無罪判決が下された(刑事)被告(人)の容ぼうを特定する」のにあたり、38歳の原告が保釈された映像を放映する必要性は全くない。
    原告準備書面(2)6頁 第2の1の(ウ)撮影現場の状況−妻の撮影に対する抗議で述べたように、原告は報道関係者との接触や取材に関しては妻が対応することとしていた。妻は、多数いた撮影者のひとりひとりにわざわざ異議を申し立てた訳ではないが、被告の撮影スタッフのその一員であるメディアスクラムの任意の1人に対して、異議を申し立てたのである。神谷ディレクターのようにたかだか数か月前の重要な放映を記憶していないと主張する被告のスタッフが、3年以上も前の原告の妻の短い会話の有無を記憶しているはずがない。
    被告は原告自身が黙示の承諾を与えていたと考えられる旨、主張しているが、その論理は、被撮影者の人権を無視した主張である。原告は、被告の撮影により不法行為が行われることを回避することが不可能であると認識し、その不法行為による損害が増大するのを防止するために、「あえて厳しい表情で要望したり」,「大きな声で抗議したり」「手で顔を覆ったり」「顔を背けたり」「うつむき加減で歩いたり」しなかったのである。
妻が異議を唱え、一回撮影者の前に現れた原告が一旦姿を消したことにより、原告が撮影されたくない行為を示したに対し、被告は無視して「みだりに」撮影行為を行ったのであるから、原告の人格的利益である肖像権を侵害したのである。
原告の叔父、すなわち原告の母の義理の弟は、NHKのカメラマンであったが定年退職した。1970年に日本人がエベレストに初登頂した時のNHKの撮影隊に所属する他、東京拘置所から出所する人物を撮影するスタッフでもあった。
被告は、あたかも「手で顔を覆ったり、顔を背けたり、うつむき加減で歩くなどして、撮影されたくないという自らの意思を表示する行為を行えば、撮影は行わない」かのような主張を行っているが、叔父の話では、「出所時は、各社が無条件で撮影は行った」とのことである。
被告準備書面(2)第2 6頁 第2の1の「(エ)被撮影者の心理―皇太子妃候補の抗議映像等」 で述べたように、皇太子妃であろうが、被告人であろうが、法曹関係者であろうが、公人であろうが、私人であろうが、メディアスクラムを組んだ放送局は、被撮影者が撮影に対する拒否行動を起こしても、撮影に中止や異議を申しでても、撮影を行ってきた。この現状をに鑑みれば、報道カメラマンの撮影対象になった被撮影者が撮影を免れることが不可能である。従って、撮影の同意に対する争いが生じた場合は、その同意については厳格に判断されるべきであり、その撮影されたものの公表の目的、公表の態様、公表の時期に関してはなおさら厳格に判断されるべきである。
以上により、本件映像の「撮影」は不当であり、無罪判決時の「放映」としては、なおさら不当であるから、当該映像の放映は不法行為を構成する。
被告は、原告が「謝罪したこと」に限れば、伝聞ではあるが形式的に毎日新聞の記事を証拠として提出し、真実性、誤信相当性について抗弁している。
これに対して、「罪を認めたこと」に関しては、何の証拠も提出していない。原告が「罪を認めたこと」に関して、被告は、「原告がいつ、どこで、どのような状況で、何の罪を、誰に対して、どのような文言で認めた」のか証拠を提出するべきである。
被告は、この�´↓�について、真実性や誤信相当性を抗弁しているが、その証拠は新聞記事であり伝聞である。
ニュース1の映像では、神谷ディレクターは右手に受話器を持ちながら、左手でメモを取っている。乙第4号証「事情聴取報告書」では、取材経過についてはほとんど記憶していない旨記載されているが、「コメントをしてくれる弁護士がなかなか見つからず、弁護士のコメントを取得するのに相当手間取り、本件ニュース1の編集作業にぎりぎり問に合ったという記憶がある」という。本件放送(2005年11月30日)から提訴(2006年3月22日)までは4ヶ月弱であり、提訴から真摯な態度で本件放送を直ぐに振り返りを行えば、「コメント取得に相当手間取った」記憶があるのであれば、「相当手間取りやっと取得したコメント」自体の録画を見れば、取材経過の記憶が喚起されるはずである。
本件において、争点となっている放送部分に含まれるのであるから、このメモの提出および神谷祐輝ディレクター本人の人証を求める。
被告は準備書面(第3)においても、本件放送が原告の社会的地位を低下させたことに対する、こじつけによる言い訳、釈明のための事後的解釈を縷々述べるが、その主張は、被告準備書面(第1)、被告準備書面(第2)の主張の繰り返しであり、原告の主張したことに対する有効な反論は見あたらない。
本件放送は、原告が「当初罪を認め遺族に謝罪」していたが裁判では「一転して過失を否定」したという誤った内容を報じるとともに、被告を「未熟な医師」と評し、「元医師」という誤ったナレーションと伴にテロップを付すなどするものであり、その内容において、一般視聴者に対して、専門性を有するべき医師が未熟であっために手術中のミスによって本件患者を死亡させたという印象を生じさせ、その責任をとって原告が医師でなくなった印象を生じさせることは2006年6月7日付け原告準備書面、準備書面(2)、準備書面(3)で陳述した通り明らかである。
被告は、原告の引用した「東京高等裁判所 平成10年07月01日判決・高等裁判所刑事判例集 第51巻2号129頁」に対しては、準備書面(第3)2頁ないし3頁において、「『不信感を持つ者がいないともかぎらない』と述べているにすぎず、不信感を持つ者が一般的であるなどとは全く言っていない。」と本質的な内容についての、言及や議論を放棄し、修辞的な文言に対する言いがかりに終始している。このような被告の主張自体が、無罪判決報道における被告の真摯な報道姿勢の欠如を露呈しており、きわめて遺憾である。そもそも原告は、「一般的である」等とは陳述していない。
西田弁護士に対する神谷ディレクターの取材経過とその内容については、未だ被告が明確な陳述を行っていない。従って、両者の人証申請を行う。
被告準備書面(第3)4頁では、「『罪を認めて謝罪』という言葉における『罪』という言葉は、自らに非があること、自らに責任があることを指す。」と嘯いているが、本件放送は、業務上過失致死罪に問われた原告の無罪判決についての放送であり、「罪」といえば、「業務上過失致死罪」を指す。ましてや、原告が被疑者になった時期や、いつ誰と誰の間に示談が成立したかの説明も放送せずに「佐藤被告は当初罪を認めて遺族に謝罪し、示談が成立」と放送すれば、その罪は、「一般の視聴者の普通の注意と視聴の仕方」からすれば、業務上過失致死罪としか理解されようがなく、示談の主体も原告であるという印象を受ける。
原告が「遺族に謝罪していない」ことは、原告準備書面(3)の4頁ないし6頁で述べた。ここで、乙第3号証には真実性がないことを陳述し、さらに、6頁ないし8頁でその相当性もないことを述べた。これに対し、被告は準備書面(第3)5頁において、性懲りもなく繰り返し乙第3号証を真実性の根拠としているが、伝聞にすぎない新聞記事である乙第3号証には真実性を立証する能力は全くない。
乙第7号証の陳述書を書いた株式会社バンエイトの梅澤通浩氏は、上記林院長会見が行われた翌日の同年12月30日に平柳利明氏を取材している。従って、前日の記者会見の内容を知っており、原告が謝罪したかどうかを取材により明らかにできたはずである。しかしながら、原告が謝罪したかどうかの取材については言及がない。このように、「原告が謝罪した」という証拠はどこにもないのに、(平柳氏が)「院長らが謝罪したにもかかわらず原告は謝罪しなかった旨の発言は一切していない。」ことを理由に真実性を主張しているが、平柳氏が「原告が謝罪した」旨の発言をした証拠も一切ないのである。
また、乙第7号証 2頁には、「院長らが謝罪した・・・」と書かれているのに、「被告原告スタッフに対して、・・・原告らからの謝罪を受けたと述べているのである。(被告準備書面(第3) 7頁9行目)」等と言い換える姑息な手段を用いて、原告が謝罪したかの真実性(や相当性)を主張しているのは極めて遺憾である。
原告準備書面(3) 5頁下から3行目ないし6頁5行目で述べたように、平柳氏はむしろ、原告が謝罪していないことを理由に謝罪することを求めてきたのである。
被告が、調査報告書の内容についての真実性について争うのか否かは不明であるが、調査報告書の内容に真実性がないことは、複数の資料から明らかである。このことは、被告の主張する相当性にも関わるので、本項で詳説する。
特に、調査報告書の主旨でもあり、被告が、乙第5号証の立証趣旨に記載した「術野からの吸引の回転数を上げた場合静脈貯血槽や脱血回路内が陽圧になる可能性」等は全くない。調査報告書における、原告に本件医療事故の責任があるかの内容に真実性がないことは、本件刑事事件で証拠採用された、本件事故以前に発表された大阪大学、埼玉医科大学、静岡県立こども病院、大垣市民病院の学術論文のように、高度の専門的知識を要する文献を引用するまでもなく、以下の4証拠から明かである。
(ア) 本件手術は人工心肺装置を用いた心臓外科手術であるが、関連分野における日本の学会である日本胸部外科学会(会員数8313名)、日本心臓血管外科学会(会員数3905名)及び日本人工臓器学会(会員数約3800名)(以下「3学会」という)は、本件手術にともなって発生した事故を契機として安全な陰圧吸引補助脱血体外循環法を検討する目的で、3学会合同陰圧吸引補助脱血体外循環検討委員会を合同で立ち上げた。同委員会の委員長(日本心臓血管外科学会現理事長 東京大学教授 高本眞一)、委員(日本人工臓器学会理事長(当時) 埼玉医科大学教授 許俊鋭、慶応義塾大学教授 四津良平、東京医科歯科大学教授 坂本 徹)及び協力員(日本体外循環技術研究会理事長 埼玉医科大学 見目恭一、慶応義塾大学 又吉 徹)の構成を見ればわかるとおり、この報告書は、人工心肺に関する現在の日本の最高権威によって、作成されたものである。
(イ) 3学会報告書では、吸引ポンプの回転数に関する調査報告書の記載に触れた後、「吸引ポンプの回転数が本当に静脈貯血槽の内圧に変化を起こす可能性があるのかどうか検討する必要が出てくる」という問題提起を行い(甲7、12頁)、模擬回路を用いた実験を経たうえで、吸引ポンプの回転数は静脈貯血槽の内圧に変化を起こさない(吸引ポンプの回転数を上昇させての装置に異常は生じない)という結論を出している。すなわち、3学会報告書は、「陰圧吸引補助脱血法では、サクション・ベントポンプを100回転以上で使用していても静脈貯血槽は陽圧にはならない」(甲7、18頁)、「本委員会の検討により、東京女子医大で起こった事故は本来陰圧であるはずの静脈貯血槽が急激に陽圧になったためであり、その原因は吸引回路の回転数が非常に高かったためではなく、陰圧吸引補助ラインに使用したフィルターが目詰まりを起こし閉塞した可能性がある」(甲7、25頁、末尾訂正は東京女子医大黒澤教授からの圧力によるものである)という結論を出している。
(ウ) 3学会報告書又はその抜粋は、学会誌「人工臓器」、「Clinical Engineering」といった専門誌で発表されただけでなく、3学会の学術集会でそれぞれ配布され、また、日本心臓血管外科学会専門医認定施設約500施設に配布された。特に、平成15年5月15日の第33回日本心臓血管外科学会学術総会では、学会出席者全員が一同に会することが出来る時間帯と会場において、「3学会報告書」が配布され、NHKの全国放送ニュースでもその様子が放映された。さらに、同報告書中に含まれる勧告(甲7、25頁)は、上記3学会の各専門誌及びホームページに収録されるとともに、厚生労働省の科学研究である平成14年度厚生科学研究医療における危険領域のリスク分析とフェイルセーフシステムに関する研究分担研究『人工心肺の安全マニュアル作成に関する研究報告書』(平成15年3月)にも収録された。いうまでもなく、ホームページは、本件放送当時も万人が閲覧することが可能であった。
本件刑事事件における公訴事実では、業務上過失致死罪を構成する注意義務違反の前提として、�ゝ朧�ポンプの回転数を高回転に上げると陰圧吸引力が減少して脱血不良を招く危険がある、��陰圧吸引脱血法を長時間継続すると、回路内に発生した飽和水蒸気や水滴によりガスフィルターが閉塞して静脈貯血槽内を陽圧化させて脱血不能になる危険がある、という2つの事実が主張されていたが、東京地裁刑事15部は、「本件ガスフィルターの閉塞という状況がなかったとしても、被告人が吸引ポンプの回転数を高回転に上げたままにしたことにより、流入総体積と流出総体積のバランスが崩れ、これが原因となって脱血不能の状態に立ち至ったという事実を認定することは困難である。他方、本件ガスフィルターが閉塞した場合には、壁吸引による人工心肺回路内からの空気の流出(吸引)が皆無になるのであるから、吸引ポンプからの吸引が継続される限り、回路内の陰圧が次第に減少していき、最終的には陽圧の状態に立ち至るということは明らかであり、したがって、本件事故の際に、人工心肺回路における脱血不能の状態を惹起した直接的かつ決定的な原因は、水滴等の吸着による本件ガスフィルターの閉塞であったと考えるのが合理的である。」と判示している(甲6、35,36頁)。
本件刑事事件判決は、3学会報告書と同様の判断をしたものであり、吸引ポンプの回転数を上げても問題は生じないことを認定している。
3学会の上記検討委員会が、東京女子医大に対して資料提供の依頼をしたところ、東京女子医大自身(東京女子医科大学付属日本心臓血圧研究所心臓血管外科 黒澤博身(代 新岡俊治))が作成した回答書には、「実地検分の結果 内部調査委員会の施行した検分は不十分で、しかも具体的なデータが残っていません」という記載があった。このように、東京女子医大自身が、内部調査委員会が実施した実験が不十分で具体的データも残っていないことを認めている。
バクスター社は、1998年ないし1999年までに、「バキュームアシスト(陰圧吸引脱血)」と題したプレゼンテーションのパンフレットを作成し、同脱血法を採用した施設の医師や臨床工学士等に対してプレゼンテーションを行っていた。
このプレゼンテーションの57ページには、「リザーバに流入するベントやサクションの流量のバキュームに対する影響は?」すなわち、「静脈貯血槽に流入する吸引ポンプの流量(回転数)に対する影響は?」という問いに対し「バキュームコントローラは-20mmHgの設定で毎分15~20Lの流入するエアーに対応する能力があるため、サクションやベントの流量は全く問題にならない」と答えている。
本件手術で、使用された、吸引ポンプの一回転あたりの流量は毎分13mlである。また、このプレゼンテーションにおけるバキュームコントローラと本件手術で使用されたレギュレータ(オメダ社製)は、「基本的に同じ」であると本件刑事事件第42回公判に出頭したオメダ社の技術責任者は述べている。
小括 以上より、吸引ポンプの回転数を100回転以上に上げても人工心肺装置に問題は何ら生じないことは、3学会報告書、本件刑事事件判決、バクスター社のプレゼンテーションによって明らかである。また、調査報告書が実施した実験については、東京女子医大自身が不十分であったことを認めているのであって、これに反する調査報告書の真実性が認められないことは明らかである。
被告は、準備書面(第3)において、「被害者に対する原告らの墓参は、故平柳明香殿死亡原因調査委員会が調査報告書をとりまとめた後、行われたものである。つまり、事故の原因が実質的に原告らにあり、本件事故は医療過誤により引き起こされたものであるという認識が、病院関係者及び遺族に共有されている状況下での、墓参であり、面会であった。」と勝手な解釈をしているが、上記「2.真実性について」で述べた明かな証拠以前に、ほかならぬ原告自身が、内部報告書を最初に読んだときからその内容が誤っていることを認識していた。
被告は本件放送でも「法廷では」「(原告が)過失を否定」と報道しているように、遅くとも、2002年9月19日の公判開始以後、原告が過失を否認していることを認識していた。よって、「原告の吸引ポンプの回転数の上昇した操作に責任がある」という主旨の内部報告書のことを否認していることも認識していたのである。そしてその後も原告が、一貫して被疑事実を否定していることを認識していた。
被告は、「調査報告書の内容そのものを信じたのにも相当性」があり、これが、「原告が謝罪したことの相当性」根拠にもなっているかのような主張もしているので、内部報告書にも誤信相当性がないことを論ずる。
この調査報告書は、東京女子医大が、公正中立の立場から、科学的ないし医学的視点に立って本件事故の原因を究明したものではなく、同大学が、紛争の一方当事者という立場で、自らの立場を弁解するために作成した書面に過ぎない。
すなわち、調査報告書は、本件患者の遺族から医療過誤であるとして責められていた東京女子医大が、加害者という立場に立ったことにより、本件患者の遺族との示談等を念頭におきつつ、大学としての責任を回避しながら、遺族の東京女子医大に対する怒りや不満を抑えるため、本件患者の死亡原因に全責任を負うのは組織の末端に位置する一人の医師(原告)に過ぎないものと遺族に印象づけるために作成したものである。
もともと、この報告書は、東京女子医大が当初から対外的に公表することを予定して作成した文書ではなく、東京女子医大が本件患者の遺族に交付したところ、遺族がマスコミに公表したために、その存在及び内容が世間に知られるようになったものにすぎない。すなわち、この調査報告書は、上記のとおり、遺族の了解を得るためだけに作成されたものであり、外部から科学的検証を受けることを目的としたものではなかった(その内容が科学的検証に耐えるものでなかったことは、以下に述べるとおりである)。
このように、調査報告書は、東京女子医大という組織が自己防衛の目的で作成した書面であって、紛争の一方当事者たる立場で作成したものに過ぎない。これは医事紛争などに際して、公正中立の立場にある医師が客観的・専門的な立場から作成する鑑定書などとは、およそ性質が異なるものであり、紛争の一方当事者の主張書面に近いものである。
このように紛争の当事者、あるいは加害者の立場にあるものが、当該紛争の原因を解明すると称して、内部の者だけによる委員会を発足させ、その結果を公表したとしても、一般社会は、その委員会を公正中立なものとは理解しないし、その結論も権威あるものと考えないのが普通である。
すなわち、紛争当事者の内部にいる人間が原因究明ないし改善策の提言を行っても、これについては「内部の者による」という一事をもって疑問視されるのが常識となっているのである。
このようなとらえ方は、ごく最近になって生じたものではなく、本件事故が起きた2001年頃の段階でも全く同様であった。
たとえば、本件手術に関連して東京女子医大からのヒアリングを行った厚生労働省の「第3回社会保障審議会『医療分科会』」(2002年2月28日)において、ある出席委員は、調査報告書に関連して、東京女子医大側との間で以下のようなやり取りを行っている。
「委員 いろいろ専門的な詳しいお話も伺いましたが、これからしばらく質疑応答の時間にしたいと思います。ご質問があればお願いいたします。
委員 質問というか教えていただきたいのですが、『より詳細な調査を学内第三者が行うことを決定した』とありますが、『学内第三者』というのはどういう意味ですか。私が聞きたいのは、心研にいなければ学内第三者だという解釈なのかどうかです。
委員 それを第三者と言いますか。メンバーを見ると、私どもの知っている先生もだいぶいらっしゃいますので、女子医大の中の方だと思うのですね。こういうのを学内でやっても、国民はあまり信用しないということを私は言いたいのです。
例えば、日本医大でもややこしい事件があったときに、学内の先生は全部外して、学外の先生でやったのですが、そういうやり方は女子医大では話が出なかったのかどうかも伺いたいのですが。
(女子医大) これは訂正させていただきます。かなり緊急を要するという判断があり、6月20日で検討しました結果、とにかく虚偽隠ぺいなきように、極めて第三者的な立場でやれということは申しましたが、確かにご指摘のとおり、純粋な意味では第三者ではなかった、それは反省しております。」(甲8・5頁。下線原告)
このように、厚生労働省での検討においても、委員からは、「東京女子医大の委員の構成が中立でないのではないか」という疑問が真っ先に投げかけられたのである。それ以前までに世間を賑わした各種の会社不祥事において、当初の社内調査に基づく認定が不十分であり、問題点を正しく把握したものでなかったという例は枚挙に暇がない。上記の委員は、そのような事例を念頭に置きつつ、「こういうのを学内でやっても、国民はあまり信用しないということを私は言いたいのです」と発言したのである。これは極めて常識的な反応であり、調査報告書を中立的な文書と理解することができないことは、このやり取りからも明らかである。
なお、この医療分科会は2002年2月28日に開催されているのであり、厚生労働省記者クラブに記者を配属している放送局としては、この分科会でのやり取りを本件放送の作成前に当然知っていた。一般論としても、紛争当事者が内部で作成した報告書の価値が低いものであることは熟知していたはずである。ましてや、医療分科会における上記のような指摘に接した被告が、内部報告書を中立的で信頼できる文書として取り扱うことは許されない。
調査報告書に科学的・医学的視点が欠如していることは、これを作成したメンバーの人選にもあらわれている。調査委員会は、東間紘、楠元雅子、尾崎眞の3名から構成されているが(乙5)、東間の専門は泌尿器科、楠元の専門は循環器内科、尾崎の専門は麻酔科であって、本件手術に関わる心臓外科あるいは人工心肺装置の専門家は一人もいない。
そもそも、委員が東京女子医大内部の者だけから成るという構成が根本的に誤っていることは上に見たとおりであるが、たとえ内部者だけで構成するとしても、心臓手術あるいは人工心肺装置の操作にミスがあったかどうかを判断しなければならないのであるから、その専門家が入っていなければならないのは当然である。東京女子医大は、対象となった手術が行われた日本心臓血圧研究所(心研)の関係者を除外したと説明しているが、東京女子医大には、心研に所属しない心臓外科ないし人工心肺装置の専門家は複数存在しているのであるから、このような「素人」を選定したことは意図的なものである。
そして3名の医師の氏名は調査報告書に記載されているから、これを作成した調査委員会に心臓外科あるいは人工心肺の専門家が一人も含まれていないことは、容易に知りえたことである。
しかも、これらの委員は、調査委員会報告書の作成にあたって、本件手術の関係者以外の心臓外科や人工心肺の専門家から意見を聞くといったことを一切していない。そのことも、これらの委員に対して、必要かつ適切な取材をすれば、容易に知りえたはずのことである。
調査報告書は内容的にもさまざまな点で誤りを含んでいるが、それにとどまらず、そもそも科学的な書面とすら言えないものであることは、これを一読すれば明らかである。明白なものとして、以下の点が挙げられる。
調査報告書は、「脱血不良の直接の原因として考えられることは、a. 術野からの吸引ポンプの回転数を上げたままで人工心肺が作動していたことによる脱血回路内の圧上昇、b. 陰圧吸引補助脱血回路のフィルターの目詰まり、の2つであるが、a.が基本で、b.は促進因子と考えられる」と結論づけている(乙5・14頁)。ところが、調査委員会報告書は、なぜ「a.が基本で、b.が促進因子と考えられる」のか根拠を示していない。
このように、調査報告書は、最も重要な脱血不良の直接の原因に関する結論において、なぜそのような結論に至ったか理由を示していないのであって、その非科学性・不適切性は明白である。
この点については、本件事件の刑事事件判決でも、「〔調査報告書〕において、なにゆえ吸引ポンプからの流入量増加に伴う圧の上昇が基本であるとされたのかについては、必ずしも明らかではない上、同委員会の行った再現実験でも、陰圧吸引回路を閉塞して初めて、脱血回路内に空気の逆流が見られた(すなわち、脱血不能の状態と同じ状態を再現することができた)というのであるから、結局、本件ガスフィルターの閉塞がないという条件の下で、吸引ポンプからの流入量の増加に伴う圧の上昇のみにより、脱血不能の状態にまで立ち至るということは確認されていないというほかはない」と指摘している(甲6・31頁)。
さらに、上記刑事事件判決では、「このような客観的にみて危険で瑕疵がある構造〔原告註:回路中にフィルターを設置していたことを指す〕というほかはない人工心肺回路を設置し、心臓手術での使用に供していたことにつき、女子医大の責任が問題となる余地がある点はともかく・・・被告人〔原告〕の注意義務違反を問題とするのも相当ではないと考えられる」(甲6・49頁)と述べ、東京女子医大は危険で瑕疵がある構造の人工心肺回路を設置していたと認定し、この点について同大学に責任があることを実質的に認めている。
このように、本件刑事判決では、本件患者が死亡した原因は、吸引ポンプの回転数を上昇させたことではなく、回路内にフィルターを設置したためとされている。そして、これについて責任を負うのが、当該回路の設計等に何ら関与していない原告ではなく、当該回路を設置した東京女子医大であることは、刑事判決が述べるとおり明らかである。
しかるに、調査委員会は、患者の死亡原因は吸引ポンプの回転数を上げたことが基本であるとして、原告の人工心肺操作が誤っていたことが主原因であるかのように述べ、これによって組織としての東京女子医大の責任を回避しようとしたのである。
本来、科学的な報告書であれば、ある結果に対する原因が2つ考えられるとき、どちらかが主で、他方は従と認定するのであれば、その根拠を明示するのが当然である。しかるに、調査報告書では、上に述べたとおり、何の説明もなく、吸引ポンプの回転数を上げたことが基本因子で、フィルターは促進因子と断定している。これが科学的報告書として許されないものであることは明らかであるが、調査委員会が敢えてこのような異常な報告書を作成したのは、既に述べたとおり、この報告書が大学の責任を回避するという目的で作成されたためである。
このように、この調査報告書は、科学的論述の体すら成していないものであり、このことは虚心坦懐にこの報告書を読めば、医学的知識の有無を問わず、容易に理解できるものであった。
調査報告書が、科学的な実験と観察に基づくものであれば、どのような実験を行い、どのような数値が得られ、そこからどのような推論を経て、どのような結論が導かれるのかが明らかにされていなければならない。被告の中で本件取材にあたった記者がどの程度の科学的素養を有しているのか原告には不明であるが、たとえ科学報告書に記載された実験方法や数値を理解できないとしても、実験方法や数値が記載されていないものは科学報告書として異様なものであることはすぐに理解できたはずである。
上に見たように、調査委員会の構成及び調査報告書の内容には、上記のとおり一見して明らかな疑問点が多数存在していた。
このような欠陥を有する調査報告書については、中立の第三者に取材してその科学的価値について見解を求めるべきであった。
たとえば、調査報告書は、患者の「死亡原因は、人工心肺中に生じた脱血不良による脳循環不全による重度の脳障害」であるとしたうえで、患者の死亡をもたらした「脱血不良の直接の原因として考えられることは、a. 術野からの吸引ポンプの回転数を上げたままで人工心肺が作動していたことによる脱血回路内の圧上昇」を挙げ、これが基本であるとしている(乙6・14頁)。
この点は調査報告書の結論とされているところであるから、少なくともこの結論が妥当なものであるかどうかについては、外部の専門家に取材するなり、関係する資料を調査すべきである。そうすれば、たとえば「体外循環における補助脱血方法 バキュームアシスト(陰圧吸引脱血)」(甲9)というバクスター株式会社(医療製品の輸入、製造、販売会社)が配布しているパンフレットを容易に参照することができたはずであり、その中で、
と明記されていたことも確認できたはずである。ここでは先に述べたように、吸引ポンプなどの「サクションやベント」からの流量がどれほど増えても、陰圧(バキューム)に対する影響はないということであり、調査報告書の上記結論が誤っていることを明確に示すものである。
そして、現実に陰圧吸引脱血法で人工心肺を操作したことのある医師にこの点を尋ねれば、百人が百人、上記パンフレットの記載内容が正しいことを確認するはずである。調査報告書の作成に関与した委員は、心臓外科の専門家ではなく、人工心肺を操作したことすらない者たちばかりである。そのような委員の出した結論が正しいと言えるかどうかは、専門的な医学論文にあたるまでもなく、上のようなパンフレットを入手し、そこに記載されている内容を人工心肺の経験がある医師に確認すれば、直ちに判明したのである。
このような一挙手一投足の調査を省き、「大学が作成したものだから」という理由だけで調査報告書の内容を真実と信じた被告は、
肖像権侵害に対する被告準備書面(第3)の主張も今までの被告の主張の繰り返しや焼き直しであるが、以下2点について補足する。
被告は、準備書面(第3)9頁において、「そもそも、写真や映像は、いったん適法に取得されたのであれば、・・・どのような写真や映像を用いて報道を行うかということは、憲法21条のもと報道機関の完全な自由である。」と述べるが、本件では、そもそも「撮影の段階」で「適法に取得された映像」ではないので、被告の主張の前提が存在しない。「撮影の段階」が不当であることは、原告準備書面(2)5頁〜7頁において述べた。
被告準備書面(第3)では、事後的な釈明のために、言葉の定義も示さずに「準公共的スペース」という新語を作成しているが、撮影された場所は、公共的なスペースではない。撮影は、原告を勾留する敷地内で、勾留する施設を背景に、明らかに勾留者を管理する職員と伴に、一般の面会者などが入ることのない時間帯にメディアスクラムを組み、照明を当てて原告に精神的な圧迫を加え、原告の承諾がないのは勿論、原告の妻の撮影に対する抗議を無視し「みだりに」行われた。
被告は、本件無罪判決報道時、「放送目的が何であろうと、常に社会の関心事は、逮捕と保釈である」かのような主張を行っているが、明らかに一般視聴者とはかけ離れたのぞき見的興味本位の主張である。無罪判決時において、原告が保釈されたことは自体は、放送の正当性、公共性、公益性、必要性、相当性が欠如している。このことは、被告以外の放送局は、原告の無罪判決報道において原告の保釈時の映像を用いなかったことを鑑みても明かである。
日本胸部外科学会、日本心臓血管外科学会、日本人工臓器学会3学会合同陰圧吸引補助脱血体外循環検討委員会
調査委員会報告書の主旨が、誤っていること(陰圧吸引補助脱血法において、吸引ポンプの回転数を100回転以上に上げても人工心肺装置に問題は生じないこと等)
調査委員会報告書は東京女子医大内部で作成したものであり、国民から信用されないものであること(8頁目)
調査委員会報告書の主旨が、誤っていること(陰圧吸引法ではサクション、ベントの流量は全く問題にならないことなど)
東京女子医大自身が、内部調査委員会が実施した実験が不十分で具体的データも残っていないことを認めること
私は、都立西高等学校に入学し、そこで夫と知り合い、1995年10月29日に結婚しました。夫が保釈された時の話と、亡くなられた平柳明香さんの御家族が裁判所で私に話しかけてきたときのことを述べます。
夫は2002年6月28日の朝に突然逮捕されてしまいました。私は医学の知識はありませんが、以前から夫は、「自分の責任で患者さんが亡くなったのではない。」と話していたので、無実の罪で逮捕されたと思っていました。しかし、逮捕直後から、接見することもできずに起訴されてしまいました。その後、何回も保釈申請をしましたが、なかなか認めてもらえませんでした。一旦、1500万円の保釈金で保釈されることが、決定されました。私の親の遺産と夫の父や親戚に借金をしてなんとかお金を工面して裁判所まで現金を運びましたが、検察側の準抗告が認められ泣く泣く帰宅したこともありました。
2002年9月25日の夕方になって、今度は2000万円の保釈金でやっと保釈されることが決定いたしました。タクシーを止めて東京拘置所から夫が出てくるのを待ちました。しかし、夫が出てくる前に、ぞくぞくとテレビカメラが拘置所の門のところに集まってきて撮影をはじめました。やっとの思いで保釈が現実となって、3ヶ月ぶりに自由の身になれる喜びもつかの間で、撮影者達は、夫が荷物を持って出てくるところを煌々と照明を当てて、撮影していました。夫は一旦拘置所内にもどって、先に荷物をタクシーに運び込むことにしました。夫の「撮影をされたくない」という気持ちが私にはよくわかりましたので、荷物を搬入するときに、大勢の撮影者の中で、「撮影しないでください。」といいました。随分前のことですので、具体的には記憶していませんが、私の話しが聞こえた人が、何か言い訳をしていました。私は「撮影されたくないんです。」といいましたが、その人をはじめとして、周りにいた人達は私の言葉を無視するように撮影を続けました。
今回、フジテレビは、長い年月の裁判の結果、無罪の判決が出たのにもかかわらず、夫がまるで、「本当は罪を認めていて、有罪であるはずなのに無罪の判決が言い渡された」かのような放送を行ったので極めて遺憾です。他のテレビ局で、そのような放送をした局はありませんでした。しかも、何年も前の拘置所からの出所の場面をわざわざ引っ張り出してきて繰り返し放送したことは、夫の人権を無視した扱い方だと思います。フジテレビには、今回の放送と最近の不祥事も併せて反省していただき、会社としての基本的な方針を考えなおしていただきたいと思います。
次に、夫が起訴された刑事事件の裁判で、2002年1月31日の森嶋克昌医師が出廷された第9回公判を傍聴したときに、平柳利明さんに話しかけられたことをお話します。当時、夫は保釈条件で、事件の関係者との直接的な接触は禁じられていました。このことを平柳さんが認識されていたかどうかは存じ上げませんが、平柳さんは、裁判所の廊下で私に話しかけてきて、私を通じて夫に伝言をするようにおっしゃいました。言葉を一字一句正確に記憶しているわけではありませんが、大体は記憶しています。
「まだあの弁護士を雇っているのか。早く辞めるべきだ。瀬尾さんからは謝罪してもらったが、佐藤さんからはまだ、謝罪してもらっていない。刑事判決が出た後に医道審議会で行政処分されるが、瀬尾さんには、嘆願書を出して医業の停止期間を短くしてもらうつもりである。佐藤さんは謝罪してもらっていないので、嘆願書を出すことはできない。亡くなってしまったものは帰ってこないので、死因は詳しくわからなくともいい。無罪を主張すると裁判が長くなるから、佐藤さんも早く罪を認めるべきだ。そして謝罪してくれれば、嘆願書を出して行政処分を短くしてもらう。だから、あの弁護士を解任して、罪を認めて謝罪して欲しい。そして、いっしょに今井(今井教授)と闘いたい。」と話していました。そして、電話番号が書かれた、黄色でやや大きめのポストイットを渡され、「佐藤さんから私に電話して欲しい。」といっていました。お願いされた通り、このポストイットを夫に渡しました。私は、遺族の方がこの様な衝撃的なお話をされたので、大変驚きました。このため、話された内容については、よく記憶しています。
私には理由があって、本件訴訟を自分自身で提訴しました。法律の専門家ではない私が、素人なりに名誉毀損と肖像権侵害の法理や判例を調べて、訴状や準備書面を自分の言葉で書いてきました。その訴状や準備書面の中で、私が主張したいことは、既に述べてきましたが、裁判所から本人尋問の機会を与えていただきましたので、改めて報道被害者本人の立場から陳述させていただきます。
私は、末尾に添付させていただきました東京新聞、産経新聞、セキュリティー産業新聞の各記事コピーにありますように、自分が本件患者さんと同じように先天性心房中隔欠損症のため心臓外科手術を受けたことをきっかけに、心臓外科医になりたいと思い医学を志し、この道に進みました。
そして、逮捕されるまで10年以上心臓外科学に従事してきました。時には一週間の平均睡眠時間が1時間程度になっても手術室や集中治療室で患者さんの診療を行い、研究室で心臓外科の研究に没頭し、国内だけでなく国際学会でも研究成果を発表し心臓外科学の発展に寄与してきました。小児心臓外科学研究により医学博士を取得し外科学会の認定医や胸部外科学会の認定医、心臓外科専門医の資格も取得しました。
これに対し、何の取材の努力もしない放送局の誤った認識によって、いとも簡単に、私が未熟な医師であって、当初は罪を認めていたのに裁判になって一転して無罪を主張、本来は有罪であるところ、無罪判決を言い渡された元医師で、現在は医師でない人間との印象が全国の視聴者に植え付けられてしまったのです。
科学的素養も有さない、何の医学知識もない、心臓外科医に対して何の取材も行わなかったフジテレビが、何故今回のような放送をすることができるのでしょうか。
そもそも、事件の当事者であり、心臓外科医である私に対する取材を一切行なおうともせずに、このようないい加減な放送を行う姿勢は、許されるものではありません。
今回、最末尾に添付いたしました、ブログ「シーガルアイ公式ブログ 『カモメの目』」気になる記事から(11月30日)には、「当初この医師は、自分のミスを認め遺族に謝罪したそうです。ところが裁判になると一転、自分に過失はないと主張し無罪を勝ち取りました。医療裁判というのは、こんな違和感のある行動をした医師すら罰することができないくらい難しいのでしょうか?「無罪」はないんじゃないかなぁ〜。」との書き込みがあります。この書き込みは、2005年11月30日の「FNNスーパーニュース」を視聴したブログの筆者が、その放送から受けた印象をブログに書いたとしか思えません。私は、2005年11月30日の全国ネットのテレビ報道番組と新聞社や通信社が発信するネットニュースの記事を可能な限り全てチェックしましたが、「当初この医師は、自分のミスを認め遺族に謝罪したそうです。ところが裁判になると一転、自分に過失はないと主張し無罪を勝ち取りました。」といった印象を与える放送した放送局や新聞社、通信社はフジテレビ以外には皆無だったからです。
準備書面でも高等裁判所刑事判例集からの引用を陳述しましたように、「「週刊誌や芸能誌、テレビのワイドショーなどを中心として激しい報道が繰り返されたが、こうした場面では、報道する側において、報道の根拠としている証拠が、反対尋問の批判に耐えて高い証明力を保持し続けることができるだけの確かさを持っているかどうかの検討が十分でないまま、総じて嫌疑をかける側に回る傾向を避け難い。・・・ところで、証拠調べの結果が右のとおり微妙であっても、報道に接した者が最初に抱いた印象は簡単に消えるものではない。それどころか、最初に抱いた印象を基準にして判断し、逆に公判廷で明らかにされた方が間違っているのではないかとの不信感を持つ者がいないとも限らない。」のです。
このような状態であった視聴者が、さらに「FNNスーパーニュース」の放送を視聴すれば、上記ブログのような印象を持つと思います。
さらに、このブログを読んだ不特定多数の閲覧者も、ブログの内容が真実であるという印象を持ったと思いますので、フジテレビの放送自体の視聴者とブログ等二次的な波及によってこの内容が真実であるとの印象を持った人は、莫大な数に上ると思います。
いままでの準備書面でも繰り返し述べてきましたが、「未熟な医師」と評されたことは、専門家としての心臓外科医として、耐え難いことであり大変苦痛を感じました。
また、判決当日の午前中にも診療を行っていたにもかかわらず、「元医師」と繰り返し何回も放送されたことはさらに腹立たしいことです。視聴者は、私が本件刑事事件に関連して、「医師免許取消処分を受けた」または、「医業停止処分を受けた」等の印象を持つと思います。そもそも、医師として就業している私を「元医師」と評すること自体が、私の社会的信用を低下させる上、私の医療行為の妨害にもなります。
先日、私が提訴している別の本人訴訟裁判を傍聴された慶応義塾大学の学生8人とお話する機会がありました。彼らは皆私が、刑事事件で無罪判決を言い渡されたことを知っていながらも、医師として勤務していないと思っていた様子で、「現在はどのようにして生計を立てているのですか?」と質問されました。このことは、私が「元医師」と繰り返し放送されたことにも関連すると思います。
そもそも、手術直後に、私のミスで患者さんが死亡したと考える人は、私を含めた東京女子医大の心臓外科医にはいませんでした。そして、熱心な審理を3年以上重ね、甲第7号証の「3学会合同陰圧吸引補助脱血体外循環検討委員会報告書」を読み、東京女子医大で行った検証実験を目の当たりにした東京地裁刑事第15部の裁判官は、絶対に無罪判決を言い渡すと信じていたからです。特に、最終弁論要旨が完成した後は確信していました。
楽しみにしていた理由は、無罪判決が言い渡された後には、以前に私が逮捕、起訴され、マスメディアに散々虚偽の事実を報道されて、完全に心臓外科医としての社会的信用を低下させられたことが、少しは回復する報道がされると思っていたからです。
判決の何ヶ月も前から、絶対無罪判決が言い渡されると予想していていましたので、判決直後にメディア側から取材が申し込まれ、記者会見を行うことになることも予想していました。私は、その場において、少しでも自分の名誉が回復できるように、自分自身の言葉で無罪について語ろうと考えていました。
実際、東京高裁記者クラブにおいては、「午後6時からのニュース番組に間に合うように」と急いで私に対する質問が開始されました。
この記者会見が終了してから、記者さんたちから個別の取材を受け、しばらく時間が経過した後に、私は、千代田区紀尾井町にある「千代田放送会館」に行きました。ここで、NHKの6時からのニュース番組を視聴いたしましたが、ここでは、既に私の記者会見も模様が放送されていました。
それらの内、フジテレビ以外の放送で、亡くなった患者さんの遺族の記者会見だけを一方的に放送したり、私に対して悪意を感じさせるような放送したりものはありませんでした。
しかし、「FNNスーパーニュース」に始まるフジテレビ一連の放送は、私に対して悪意をもって個人攻撃をしたように感じました。
まず、「FNNスーパーニュース」の冒頭には、西山喜久恵アナウンサーが登場しています。この西山アナウンサーが話す様子は、怒りをこめて険しい表情であり、以前に他の番組で見た同アナウンサーとは全くの別人に見えました。
この放送では、家族の記者会見の様子が、冒頭と最後に二回もあるのに対して、私が記者会見した様子については全く放送がありません。このような一方的な放送を行った放送局は他にはありませんでした。
放送では、拘置所敷地内で、勾留する側の職員といっしょに歩行する38歳当時の私の容貌の映像が、撮影され放映されたことにより、私の肖像権が侵害されました。
なぜ、無罪判決を受け、まだ控訴も未だされていない42歳当時の私の記者会見の映像を入手しているのに、このような映像をわざわざ掘り起こして放送する必要があるのでしょうか。
被告は、そもそも、保釈当時にこの映像を流したということも明らかでないのに、何故この映像を無罪判決後に流すことの正当性や必要性、公共性、公益性を主張できるのでしょうか。
保釈時の撮影状況は、2006年6月7日付け準備書面、準備書面(2)準備書面(3)、甲11号証 私の妻の「陳述書」にも書かれていますので、繰り返しはなるべく避けますが、故安部医師、三浦和義氏、皇太子妃の例で示した、被撮影者がどのような態度で対処しても、結局放送局は、衝撃的な映像を求めてこれを撮影し、放映してきました。妻が撮影を中止するよう求めても、撮影、放映は行われ、肖像権の侵害はなされてしまうのです。この映像は「めざましテレビ」「とくダネ!」でも繰り返し放送されました。
上記のようなテロップを表示して、「佐藤被告は当初は罪を認めて遺族に謝罪し、示談が成立。」とう放送に対しても大変憤慨しました。これも準備書面で再三述べてきましたように真実ではありません。このような放送では、私があたかも、業務上過失致死罪の罪を認めて謝罪したため、遺族が私に対して求めた損害賠償請求に対して示談が成立したという印象を視聴者に与えますが、そのような事実はありません。
さらに自白に等しい行動をとっていた私が、裁判では一転して過失を否定したような印象を与える放送になっていますが、これも真実ではありません。私だけでなく、事件当時、心臓血圧研究所に所属していた心臓外科医は、皆私に過失があるとは考えていませんでした。事故当時から現在まで、一貫して、過失を認めていないのです。
本件訴訟における、被告の主張からは、西田弁護士さんが、この放送の前に、判決文の内容や、判決要旨を把握していたか否かは、全くわかりません。私には法律の専門家である西田弁護士さんが、判決の要旨の情報を得た後に、判決とは関係のない以下のような話しを迂闊にするとは思えないのです。
「�,い蹐鵑覆△隆躙韻魏麋鬚垢覽遡海箸いΔ里呂笋辰僂蠅△襪隼廚Δ里任垢諭��△修譴鯤�置してまああのそういうことを怠ってですね�Lそ呂憤綮佞砲△瞭鷭纏綾鼎砲修ΔいΔ海箸�起こらないように、�い△陵祝病寮�を取りながら本当はやるべきだったでしょうと・・・。」
このような口語、話し言葉を視聴すると、�,了�点では、「危険を回避する義務」があったのは私であるという印象しか残りません。そもそも刑事事件とは、個人の過失が問われるのですから、「危険を回避する義務」は私にかかるとしか思えません。�△眛瑛佑如◆峇躙韻魏麋鬚垢覽遡魁廚鯤�置し、怠ったのは私と理解されます。��でも明らかに未熟な医師は私を指します。被告準備書面(第2)7頁1行目では、「仮に未熟な医師がいたとしても・・・とういのが西田弁護士のコメントの趣旨である。」と述べられていますが、私はこのような主張をおこなう被告の態度に呆れ返りました。私が罪を問われた判決の話をしている最中に、そのような未熟な医師存在を仮定して話をするはずがありません。この準備書面は、西田弁護士さんが本当にそのような趣旨でコメントしたかどうかを確かめてから書かれたものとは思えません。
以下、放送とは直接の関係はありませんが、「なぜ私が逮捕までされてしまったのか」に関連して知っていただきたいので、第2では「逮捕までの経過」を述べ、第3「まとめ」としました。
私は、2001年3月2日の本件手術、すなわち心房中隔欠損症と肺動脈狭窄を有する12歳の患者さんに対する根治手術において人工心肺装置の操作を担当し、その中で陰圧吸引脱血法を用いました。
本件手術中に、脱血不良が発生したことは事実です。しかし、患者さんには肝臓をはじめとして下半身には全く脱血不良による症状がなかったのに対し、上半身には、顔面の浮腫を伴った脳障害が出現しました。患者さんの下半身に症状が出なかったにもかかわらず、頭部に障害が出たのは、脱血不良の原因が、人工心肺装置の操作を誤ったためではなく(この場合には、患者さんの下半身にも症状が出ます)、上大静脈からの脱血が十分でなかったためであることを示しています。
また、血液が逆流する脱血不良が発生したこと自体は、フィルターが閉塞したことによるもので、このことは、人工心肺終了後すぐに技士の点検で明らかになり、手術当日の段階で心臓外科医と臨床工学士の間では全員がこの認識になっていました。
前心臓血管外科の教授が退官され、教授が不在の間、東京女子医大の心臓血圧研究所の循環器内科笠貫 宏教授は、この事故に対して原因を追究する遺族の要求を受けて、死亡原因調査委員会を発足させました。ところが、本件さらに、心臓手術についても人工心肺についても素人同然のこの委員会は、心臓外科医に何の意見も求めることなく報告書を作成し、遺族にこれを渡したのです。事故が心臓手術中に生じたものであったにもかかわらず、この会の委員(3人)には心臓外科医が1人も含まれていませんでした。もちろん、人工心肺を操作した経験のある医師もいません。
私が、この報告書の存在を知ったのは、報告書が遺族に渡された後でした。もちろん、内容を読んだのも遺族に渡された後ですが、その内容のいい加減さには驚きました。大学側と私の連絡窓口であった管理課金子次長に内容について苦情をいいましたが、遺族に既に渡してしまったからという理由で取り合ってもらえませんでした。
調査報告書の記述の誤りは、陰圧吸引脱血法を一回でも操作したことがある医師や臨床工学技士であれば容易に分かることです。刑事事件では、58箇所について意見を述べた34ページに渡る「故平柳明香殿死亡原因調査委員会調査報告に関連する意見書」を提出しましたが、ここでは、根本的な誤りのいくつかにとどめます。
��         報告書12頁25行目「したがって脱血管からの脱血量がたとえ減少していても、術野からの吸引量が多ければ静脈貯留槽内の見かけの液面はあまり変化しないこともあり得るわけである。しかしこの場合静脈貯留槽内の圧は上昇しており、そのためにますます脱血管との圧較差は小さくなりついには全く脱血されなくなり、さらには逆に脱血管内へ静脈貯留槽から空気や血液が逆流することも起こりえるわけである。」などと書いてありますが、人工心肺の基本を全く理解していない記載です。「液面が変化しないこと」そのものが、良好に人工心肺が運転されている証拠です。そして、「しかしこの場合静脈貯留槽内の圧は上昇しており、」とされる理由が全く説明されていません。良好に人工心肺が運転されていて、液面が変化しない安定した状態から、「さらには逆に脱血管内へ静脈貯留槽から空気や血液が逆流することも起こりえる」わけがないのです。「吸引ポンプを上昇させたこと」と、「脱血管内へ静脈貯留槽から空気や血液が逆流すること」は全く関係がありません。
陰圧吸引脱血法において「吸引ポンプの回転数をあげても静脈貯血槽が陽圧化することはない」ことが書かれている医学論文は、陰圧吸引法に関して外国の医学雑誌にも投稿がある大阪大学の論文や、人工臓器学会の当時の理事長が教授を勤める埼玉医科大学の論文や静岡県立こども病院の論文等があります。
調査報告書に対する批判は、大学側の管理課金子次長にいっても取り合ってもらえなかったことは、先に書きましたが、2001年12月末に、本件が報道された後、私は、女子医大の医局員と共に、この報告書に対して批判をしようとしました。そのことを知った黒澤教授(現心臓血管外科主任教授)は、医局員と私に「調査報告書」を批判しないように様々な手段で圧力を加えました。
2002年4月22日、黒澤教授は私に、「君も日本国内で心臓外科を続けたいのなら、私(黒澤)の言うことを聞いて「調査報告書」を批判しないように。批判をすると私の力で君は心臓外科を続けられなくなるだろう。」旨発言しました。
2002年4月30日、女子医大心研一階の応接室において、私と喜田村洋一弁護士と二関辰郎弁護士が、心研医局員(現エール大学教授)と「『調査報告書』に記載された実験結果は虚偽であり、内容が理論的にも誤っている」と指摘する書類(なお、この書類には追って確定日付をもらう予定でいました)を作成しようとしたところ、最後の署名と捺印で完了しようとする直前になり、黒澤教授に阻止されました。書類に署名をしてくれる予定であった医局員を待っていたところに、黒澤教授が女子医大側の弁護士と現れ、「『調査報告書』は厚生労働省に提出した。今、女子医大は、特定機能病院の認定を剥奪されるかどうかのぎりぎりのところである。『調査報告書』は間違っているが、こんな大切な時に女子医大心研の内部に別の意見があって、『調査報告書』を批判する動きがあることがマスコミに知られたら大変なことになる。特定機能病院の問題が終了するまでは、『調査報告書』を批判する書類を作成してはいけない。」旨、発言しました。「調査報告書」が誤っていることを自ら認めたにもかかわらず、医局員の書類作成を阻止したのです。
以上の経過から、東京女子医大は、薬事法上適応外のフィルターを一回限りで使用しなくてはならないところ、これを繰り返し使用して閉塞してしまったことの、大学病院の責任を回避するため、非科学的な理由をこじつけて私個人の責任にしたことが推測されます。遺族に対して、大学の責任を、私個人の責任にすり替えようとしたのだと思います。
逮捕前の本件刑事事件初期の警察捜査における主任であった警視庁捜査第一課の白鳥陽一警部補は、私に過失責任がないということを認識していた様子でした。
2002年2月9日、5回目の事情聴取の最中、私の取調べ担当であった牛込署の諏訪警部補と白鳥警部補がいっしょになって「吸引ポンプの回転数を100回転以上にすると静脈貯血槽は陽圧化するのではないか。」という女子医大の調査報告書の主旨を根拠に、私に過失があることを認めさせようとしましたが、私は図が描かれた紙を利用して、「吸引ポンプの回転数を上げても、その空気はレギュレータを通して壁吸引に吸引されるので、陽圧化しない。」ことを説明しました。
2002年4月20日11回目の事情聴取の最中、18時頃、白鳥警部補は、「もう遺族との示談も済んでいるが、これだけ大きく報道され社会問題になると、誰かが悪者にならなければいけないんだ。おまえは、心臓外科をやめてはいけない。これからはこんなに辛い科を選ぶ人間がいなくなる。10年かけて医者をトレーニングすることは大変なことなんだ。」旨、感情的に興奮しながら話していたことを記憶しています。
一方では、先の心研医局員(現エール大学教授)が、韓国で行われた学会に参加している間に、元循環器小児外科主任教授や東京女子医大濱野専務理事に、「心研循環器小児外科の医局員が『調査報告書』の批判をしようとしていて、困る。」旨連絡を入れて圧力をかけたと聞きました。
以上のことから、警察官も「調査報告書」には誤りがあることを認識していたにもかかわらず、私を逮捕したと考えられます。
現在、文部科学省科学技術振興調整費による東京大学医療政策人材養成講座では、医療者・報道者が参加して「医療報道内容の評価」を行っています。この中で、「悪しき医療報道」と評価される報道には、「医療事故報道」があり、特に「東京女子医大事件」が取り上げられました。この講座では、「悪しき医療報道」と評価をうける報道は、社会部等の「事件ジャーナリスト」に多いといわれています。
国民の尊い生命を扱う医療に関する報道は、科学的であり、正確である必要があるのに、高度に専門化された医療に関して、専門家の意見を聞かずに、センセーショナルな事故として医療報道を行うメディアは、国民になんの利益も与えません。
今後、フジテレビが国民の利益になる正確な医療報道を行うためには、本件を担当した担当者の取材方法を根本的に改めるか、スタッフを一新して、医学や科学に関する取材がしっかりできる担当者による報道を行うべきだと思います。
今回の私の人権を無視した名誉毀損報道、不必要な放映による肖像権侵害放送を考え直していただき、最近報道された不祥事も併せて反省していただき、会社としての基本的な方針を考えなおしていただきたいと思います。
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新小児科医のつぶやき(Yosyan 神戸の開業医さん)医療事故、医療訴訟、医療に関連した法律等について様々な意匠を凝らしている。饒舌で、コメントに参加している方々の意見も充実。
エレキも医療も整備しなきゃ。昭和45年生まれで、毎日疲労が蓄積していく一方の勤務医でしたが、最近ちょっとマシかも。
さよなら独身外科貴族スイング編地方中核病院勤務5年目消化器外科医。スイングジャーナル読者歴2年、スイングトレード歴半年。

 

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