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稚児とは?/ レイク

[ 305] 稚児
[引用サイト]  http://www.palette532.com/~inui/folklore/j-maturi18.html

日本には、古来から神霊は幼い子供の姿を借りて現れる、という信仰がありました。神が降りるための仮の肉体を、「尸童(よりまし)」または「依憑(よりわら)」と呼びます。日本の男色の風習の背後には、この「少年は神霊の化身」という信仰があります。稚児を神仏の顕現と見なし稚児との肉体的交わり自体を神聖視する宗教的側面もあったのです。
奈良時代、貴族の子弟が幼少のうちに寺院に入り、僧の身の回りの世話などをし日常生活の手助けをする、また歌舞音曲の伝授を受けることが制度化されていました。寺院は女人禁制ですので、男児を使ったわけです。さらに時代が下ると、貴族に限らず俗人の男児が寺院に預けられ、成人まで学問修行をしながら僧の供侍をすることが一般に行われるようになりました。いわゆる小坊主とは違います。これら有髪の少年達を、寺稚児、垂髪、渇食(かっしき)などと呼びます。
頭を丸めた殺風景な僧侶達のなかにあって、有髪の少年達は特別な存在であったようです。この僧と稚児の間に、同性愛的な恋愛感情が生まれる場合もありました。
このような稚児を寵愛する風習は、奈良・平安時代にはかなり広く仏教界に広まっていました。さらに公家などの貴族の間にも、美しい少年を傍に召し使わせる風習が広まりました。院政期の院の近臣たちは稚児上がりのものも多く、院と深い関係を持っていました。藤原頼長『台記』にはその奔放な男色関係の多くが描かれています。
また、古来より東大寺、法隆寺、園城寺、興福寺など近畿を中心とした寺院や貴族の間で法会や節会の後の遊宴で猿楽、白拍子、舞楽、風流(ふりゅう)、今様、朗詠などの古代から中世にかけて行われていた各種雑多な芸能が「延年」という名で括られて演じられていて、この「延年には稚児(ちご)が出るのが特色」でした。しかも延年(鎌倉時代には「乱遊」とも呼ばれた)の稚児舞(ちごまい)を舞った少年が僧侶と同衾することが行われていました。
鎌倉時代から室町時代にかけては、この僧侶と稚児,または公家と稚児の間の交情を描いた、一種の恋愛小説が流行しました。これを「児物語(ちごものがたり)」と呼びます。普通、宗教は恋愛には抑圧的であるものですが、中世の稚児物語はほぼ例外なく稚児と僧との恋愛に関して寛容でした。中でも最高傑作と呼ばれるのが「秋夜長物語」(作者不明)です。
「三井寺の前を過ぎけるに、降るとも知らぬ春雨の、顔にはらはらとかかりければ、しばらく晴間を待たむと思て、金堂の方へゆく処に、聖護院の御坊の庭に、老木の花、色ことなるが、こずゑ垣にあまりて雲をしけるかと覚えてけり。遥かに人家を見て、花有れば則ち入るといふ詩の心にひかれて、門の傍らに立ち寄りたれば、齢二八ばかりなる児の、水魚紗の水干に、薄紅のあこめがさねにて、腰のまはり細やかに、けまはしふかくたをやかなるが、見る人有るとも知らでや侍りけむ
「其暁、泣く泣く家路へ下向する間、尾臥の山と申す麓を過ぐる程に、十三四計なる少人の、月のかほばせ花の粧まことに厳く、むらさきの小袖に、白練貫を折り重ねて、朽葉染の袴の優なるに、漢竹の横笛心すごく吹き鳴らし、たけなる簪元結をしすべらかして、頃は八月十八日の曙がたに、露にしほたれたる気色にみえて、春の柳の風に乱れたるよりも、なをたをやかに見給へり」
寺院の生活の中で女性的な役割を担わされていた稚児は、その容姿まで、あくまでも女性的であることが求められていました。
平安時代から鎌倉時代にかけて武士が隆盛すると、今度は武士に稚児寵愛の風習が飛び火しました。武将の身辺の用事を務めるいわゆる「小姓」という身分がありますが、小姓は世話係であり、秘書であり、伝令役であり、ボディーガードです。さらにその中でも特別に寵愛を得た美少年の小姓は、閨で夜伽の相手もしました。これが「稚児小姓」です。

 

[ 306] 「祇園祭2007」京都カレンダー・京都観光の事ならe京都ねっと・まるごと京都ポータルサイト
[引用サイト]  http://www.e-kyoto.net/topics/07gion/tigo.htm

お稚児さんは、祇園祭の生神(いきがみ)様。古式に則り、八坂神社から長刀鉾町へと養子に出され、やがて神様の使いとなり、数々の儀式をこなしながら、祭りの無事を祈願します。
山鉾巡行の日は、稚児が振る太刀によって注連縄が切り落とされ、これで結界を解き放ち、山鉾を先に進ませるという大役を任されています。
祇園祭が始まる約1ヶ月前から、お稚児さん・禿に選ばれた男の子達やその家族、関係者は既に大忙しなんです!
選ばれた長刀鉾の稚児と禿が、長刀鉾町会所にて、多勢の報道関係者に向けて理事長より発表されます。稚児家・禿家・長刀鉾役員が同席。
八坂神社と稚児家へご挨拶。同行した長刀鉾町役員らと今後の打ち合わせをします。八坂神社宮司にもご挨拶。
各神事で着用する衣装合わせが鉾町会所で行われます。カラフルな振り袖や袴に、お稚児さん役達の笑い声。稚児係が丁寧に着付けます。
長刀鉾町の役員、稚児・禿と両親・親族は京都市役所で、稚児・禿を務める報告をし、市長からは励ましの言葉を頂きます。
稚児役の子を鉾町に迎える大事な儀式。八坂神社より神官を迎え、稚児家に疫病防除の神「祇園牛頭天皇」を祀り、稚児家が汚されないよう清祓の儀がとり行われます。
その後、結納の儀がとり行われ長刀鉾町と稚児との養子縁組が成立し、この日より稚児は鉾町の子供となります。
翌日のお千度の儀に備え、稚児と禿の担当をして約二十六年以上の理髪店にて、うなじの後ろの毛を“うろこ”に剃り込みます。
鉾町の役員や稚児係と共に、八坂神社神前に稚児に選ばれた事を報告し、巡行の安全と神事の無事を祈ります。
稚児と禿は、京都でも三人のみと言われる顔師のお化粧によって神秘的な美しさに包まれていき、禿を先頭に稚児は八坂神社境内へ。父・祖父と言えども、稚児と素手で手をつなぐ事は許されず白い布越しに手を引きます。
社参の儀に向けて、八坂神社参道で乗馬練習。白馬「マドンナ」は暴れん坊将軍で松平健さんが乗っているそうです。
三条小鍛治宗近の打った大長刀で肩をさすると魔除けになると言い伝えられ、全ての参列者も魔除けを行います。
「一刀両断」。注連縄切を成し遂げた瞬間、沿道からはどよめきと割れるような拍手が沸き起こります。この注連は厄除けになるそうで、沿道の観客が我先にと飛びつきます。
総重量約12t、高さ約25mの巨大な鉾が角を曲がる時、地面に青竹を敷いて、水を撒き、音頭取、車方と五十人の曳き手が心をひとつにして、豪快に辻廻しを行います。

 

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