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大安とは?/ レイク

[ 375] 六曜(大安・仏滅・・)のはなし(No.0410)
[引用サイト]  http://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_0410.htm

六曜の吉凶については、土御門系、高島系の有名どころでも若干の違いがありますので、これと昔の暦注解説として「安政雑書万暦大成」の3つの解説を併記してみました。
六曜の計算は「新暦と旧暦」や「暦注計算」、「日付の検索」などのページで行えますので、六曜で日の吉凶を占いたいという方はそれらのページで六曜を計算して、意味については下の表をお読みください。
(その日が好い日か悪い日かの判断はご自分で。私は占い師ではありませんので、日の吉凶判断の問い合わせはご勘弁ください)
六曜は、「六曜星」「孔明六曜星」「六輝」などとも言われます。2番目の「孔明・・」は三国志で有名な蜀漢の丞相諸葛亮の字の孔明で、諸葛亮が考案したと言う言い伝えによりますが、これは六曜の権威付けに使われたもので「眉唾」の類でしょう。
六輝の方は、明治以後現在もなじみ深い「七曜」(月火・・土日)が有名になったので、間違わないように名前を変えたという感じで、比較的最近の使い方。
六曜のルーツは中国宋時代末の六壬時課(りくじんじか)と言う時刻の吉凶占いがもとといわれています。日の占いに用いられるようになったのは時代が下った清の時代で、このころの名称は小六壬(しょうりくじん)。現在の六曜のルーツではありますが、言葉も順番も時代によってだいぶ変化してきています。日本に入って、「日の占い」として使われるようになってからの変遷をざっとまとめたものが次の表です。
最初にあげた「和漢三才図絵」は、約300年前の本ですから、そのころまで遡ると、現在と同じものが一つもありません。言葉としても大安と赤口の2つしか生き残っていません。
現在の「大安」も昔々に遡ると「小吉」。こんなに変わってしまうものに基づいた「日の吉凶」を信じる価値ってどれくらいあるのでしょうね・・・。
現在では、旧暦とか暦注と言えば六曜。結婚式は大安に、友引の日は火葬場が休む・・、まさに暦注の王者という感のある六曜ですが、昔からそうだったのでしょうか?
旧暦が廃されるまで、暦と言えば「暦注の嵐」で、ほとんどの日に暦注が書き込まれていました。ところがそんな「暦注全盛期」にも、中国・日本のいずれでも正式な暦に「六曜」が記された事は「一度もない」のです。
現在の「六曜」の地位は、おそらく明治の改暦の際に「暦注みたいな迷信は、今後暦に書いちゃだめだぞ」という御上からのお達しが有ったため、それまでわが世の春を謳歌した由緒正しい暦注一族が絶滅してしまったためでしょう。
いくら偉い人に「だめ!」といわれても、昔からなじんだ暦注が一つも書いてない暦は味気ないと思う人が多かったのでしょう、でもあんまり露骨に暦注を書いては「官尊民卑」の甚だしかった明治時代のお役人の怒りを買うことになりますので、「こんなの、暦注じゃないですよね?」てな感じで暦にかかれるようになったのが「六曜」だったようです。
すでに、六曜の名称・順番の変遷を表にして示しましたが、その表をもう一度よく見ると最初の行に「正月・七月」などの記述が有るのに気づきませんか(気づいてね)。
そう、それが種明かし。たとえば、現在の先勝は「正月・七月」と書かれた列に有りますが、これは正月と七月の一日は必ず「先勝」になると決まっていたことを示しています(ただし、旧暦での月日の話)。
六曜の並ぶ順番は変化しません(現在の例で言えば、仏滅の次は大安)ので、正月の一日が先勝で有れば、あとは
自動的に決まります。この辺は、現在の「曜日」ににていますね。今風に言えば、「日曜日は大吉の日、結婚式に良」と言っているようなもの(六曜を自分で計算してみたい方は、旧暦と六曜を作りましょうを御覧下さい)。
こんな誰でも分かるようなものでは占いとしてはありがたみがなかったのでしょう。現在カレンダーに書かれている六曜がありがたいのは、「旧暦の日付が直ぐに分からない」ことで、「六曜は何か特殊な組み合わせで出来ているんじゃないかな?」と誤解してしまうからかな?
というわけで、世間一般に考えられるほど「ありがたい」ものではなさそうですので、「今日は仏滅だからデートはやめよう」なんて事は考えなくていいと思います。まあ、信じるのはかってですが、「こよみのページ」に日の吉凶を問い合わせるのはご勘弁(私は、占いが趣味では有りません)。
六曜の読み方はいろいあり、どれが正しいというのはないようです。一応最初に書いた読みが一般的な読みだと思ってください。
幕府の許可を得た正式な暦の出版部数は、幕末頃で毎年約450万部も有ったそうです。当時の印刷技術を考えればすごい量です。日本の暦の普及率ってすごかったんですね(暦を読む美人の浮世絵なんかがあったくらいだから)。

 

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