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東海銀行とは?/ セントラルファイナンス

[ 432] 上昇気流なごや: 旧東海銀行
[引用サイト]  http://www.maing.co.jp/maimai/isono/archives/2005/10/post_254.html

これも私が東京に出張していた4日の話。三菱UFJフィナンシャル・グループの首脳が名古屋証券取引所で記者会見した。
私が東京経済部で日銀記者クラブのキャップ(要するに金融担当記者の責任者)をしていた時に、三菱銀行と東京銀行の合併を日経新聞に抜かれた。このスクープは新聞協会賞を受賞した。
その後、関西を地盤とする三和銀行と、中部地方を地盤とする東海銀行が合併し、UFJ銀行が誕生した。当時は予想もしなかったことだが、今回はその二つが経営統合した。
10月1日に発足した三菱UFJの首脳が、日を置かずに名古屋に顔を見せたのは、旧東海銀行の地盤への配慮があったと思われる。堅実な土地柄で、資金需要はそれほど大きくはないのだが、バブルの深刻な痛手も受けていない。三井住友やみずほに付け入る隙を与えないためにも、「地元の銀行」であることを強調したほうがいいに決まっている。
ただ、旧東海色が薄まっているのは否定できない。旧東海銀行は名古屋の五摂家企業の一つだったが、今では「五摂家」という言葉はほとんど聞かれない。再び中部経済連合会の副会長職を手にしたいようだが、そのためには地元経済への貢献とそれなりの人物を用意しなければ、認められないのではないか。
ついこの間まで、私の住む小さな町にも、地銀や信金の他に都銀が2つもありました。三和銀行に太陽神戸銀行。三和はその後UFJ銀行になって、太陽神戸銀行はさくら銀行になってそして三井住友銀行になりました。来年の1月に三菱東京UFJ銀行が誕生したら、日本の都市銀行は結局いくつになるのでしょうか。さくら銀行はもう町から姿を消しました。UFJ銀行も合併を機に支店を撤退するのでしょうか。もう銀行の窓口に出かけて用事を済ませる時代ではなくなるのでしょう。
そうですね。昔は都銀が10ちょっとあったはず。大手は6行だったと思います。「6行会」という非公式な集まりがあったようです。今はメガバンクが三つ。柳沢金融担当相の時に「大手金融機関は四つに集約できたらハナマル(よくできました、という印)」と言っていましたが、それを超えてしまいました。
16年前の8月、大阪本社の経済部で金融担当をしていた時に、日経新聞に三井銀行と太陽神戸銀行の合併決定をスクープされました。抜かれた話ばかりだなぁ。翌年4月に「太陽神戸三井銀行」が誕生し、神戸市の神戸営業本部(旧太陽神戸の本店だったところ)で記念に口座を作りました。何年後だったか、それが「さくら銀行」になり、「三井」の名前が消えたと思ったら、「住友銀行」との合併で、先祖がえりして「三井住友銀行」に。経済部記者が長かったので、それぞれに思い出があります。
「太陽神戸三井」の取材をした時に、「合併後の組織や会議は、旧太陽、旧神戸が各1で計2、三井が2で、合わせて4の倍数で構成されることが多い」という話を聞き、合併会社は大変なんだなぁと思ったことがあります。
少し前まで「拓銀」(北海道拓殖銀行)があり、これも都銀でしたが、経営が行き詰まりました。「協和」と「埼玉」が一緒になって「あさひ」になり、その後「三和」「東洋信託」と一緒になるはずが破談になり、「大和」と一緒になって「りそな」になりました。証券会社や損害保険会社になると、何が何だか、もうわかりません。
しかし、同じ町に同じ銀行の支店はいくつも要らないし、昔ほど窓口に行く用事もなくなったから、さくらさんが書いておられるように、そう不便は感じないでしょうね。

 

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