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持たとは?/ セントラルファイナンス

[ 166] 持たない暮らし : akiyan.com
[引用サイト]  http://www.akiyan.com/blog/archives/2007/03/post_88.html

原則を教えてくれる本は、スゴ本率が高いです。この「持たない暮らし」もそのひとつで、示唆に溢れた原則を教えてくれる本でした。さあ、長文いきますよ。
でも、モノが溢れている現代においては、たくさんあることは、むしろ暮らしの貧しさを表現している、といってもいいように思えます。モノがありすぎることで、デメリットの方が多くなっているのです。
コンビニ・スーパー・デパート・レンタル業が発達した現代日本においては、必ずしもモノが手元にあることは豊かさをあらわしません。知識の習得もネットや書籍によって容易になったため、モノがなくても代用できることも増えています。
極端な例かもしれませんが、僕は最近、炊飯器を処分しました。炊飯は鍋ひとつあればできます。しかも炊飯器より早く炊けます。保温はできませんが、ごはんは冷凍できますし、冷凍のほうが電気代は節約できます。
よくいわれるのが「四季があるから」ですが、これってどうしようもありませんよね。この本では、四季に加えて以下の指摘がありました。
日本の家庭にモノが多い理由は色々ありますが、ひとつは、「和洋ダブルスタンダードの生活様式であること」。
本来は、和服を着て、和食を食べ、「紙と木でできている」と欧米人に驚かれた日本住宅に暮らしてきた日本人ですが、現在では、洋服を着て靴を履き、カレーやスパゲッティ、エスニック料理も作り、椅子とテーブル、ベッドを備えた家に住んでいます。
それでいて、やっぱり着物も持っているし、相変わらずご飯とみそ汁を食べているし、輸入住宅にさえ畳の部屋が一部屋は確保されているし・・・。
これにはなるほど、と思いました。特に食器なんかを見るとみそ汁用のお椀、スープ用のお皿、といったように和洋の食器が混在しています。あまり料理をしない人であれば、どちらかに統一してもいいのでは。
フリマに出すとか寄付するとかって、安易に考えてはいけないそうです。リサイクルショップも同様。フリマは売れ残るし、寄付するにしても、そもそも受け入れてくれるモノは限定されていたり、寄付金も同時に求められることもあるそうです。送料も自分持ちですしね。リサイクルショップはそれこそ二束三文。もう、10円とか50円とかいったレベルですよ。よっぽどのブランド品で人気があって状態がよければ別ですが。
なまじそういった受け皿があることで安心してしまい、それが安易な買い物をしてしまうことに繋がっていないでしょうか。
重要な原則です。使うために買ったモノを使わずにしまっておくのは、死蔵です。形あるものはいつか壊れるものですから、大事にどんどん使ったほうがいいですね。
しかし、生活コストの削減を目指す「節約生活」に対して、「持たない暮らし」は、必ずしもそうではありません。「節約生活」は、節約すればするほどお金がかからなくなりますが、「持たない暮らし」は、持たないことでかえってコストがかかることもあるのです。
持たない暮らしの目指すところは、持たないことで暮らしを豊かにすることです。基本的に無駄な買い物が減って結果的に節約になることもありますが、そうとも限らないのがミソ。
「節約生活」ならば、100円ショップのようなローコストのお店で、自分の好みの茶碗を探すでしょうが、「持たない暮らし」では、100円ショップには行きません。ここぞとばかり、以前から目をつけていた素敵な器の店に行き、心ゆくまで茶碗を選びます。少しぐらい高くても、毎日使うものにはお金を惜しみません。
毎日使うものはお金を惜しまない。これは風水整理術にも通ずるところがあります。毎日目にするものが気に入らないものだったら、それだけで気分が落ちてしまいます。ちょっとのことですが、ちりも積もれば山ですよ。
女性が好きな買い物のひとつに「食器」がありますが、食器は収納場所を取りますし、割れたり欠けたりしたかたわれも捨てにくいものです。私はなるべく買いたくないので、定番品の洋皿だけを使うようにしています。
でも、やっぱり器の店は魅力が一杯。「見るだけ」ではつまりません。そこで、場所を取らない「箸置き」や「豆皿」だけは買っても良いことにしています。
買い物ってそれ自体が楽しいですからね。買ったあとに邪魔にならない小物に限定しておけば、あとあとの管理や処分に困ることがありません。
掃除や片付けが苦手な人、おおざっぱな人ほど、持たない暮らしをオススメします。家事に割く時間が少なくて済みますし、いろいろなことに頭を悩ませなくて済むからです。
掃除や収納が苦手だから、片付けなんて...と思う人は、そもそもモノを持たないほうがよいのです。モノが少ないと、掃除や片付けが本当にやりやすいですよ!(経験者談)
床の上にモノがじか起きされていないことは、部屋をすっきり見せる上で何より大切なことです。床がたくさん見えるほど部屋も広々して見えますし、掃除機や雑巾もかけやすく、掃除がしやすいのです。
もし、今いる部屋の床の上に、モノがじか置きされているなら、それをカゴや箱に集めたり、どこかの上(ただし見えない場所)に乗せるか、何かの中にしまいましょう。グッと広く見えるようになるはずです。
食卓は、平面としては床の次に広い面積がありますが、家によっては、ここの半分近くの面積をモノが占領している場合があります。しかし、ここにものを置いていないことで、部屋のすがすがしさは倍増するのです。置くとしても、目に入って不愉快でない、美しいデザインのものにしましょう。
食卓の上にモノ溢れている...ありがちな光景です。ホテルや映画やテレビの中で紹介されるすっきりした部屋を思い出してみてください。食卓の上に、モノ、ありませんよね。あったとしても花瓶やフルーツなど美しいものです。僕はこれも実践していますが、効果は大きいですよ!
何でも収納してしまって外には何も出ていない部屋は、モデルルームのようでかっこいいですが、なかなか現実には難しいもの。「後でまた使うから」などと、出しっぱなしにしてしまうモノは少なくありません。
しかし、その場合でも、「揃えて置く」ことを心がければ、出しっぱなしでもそれほど見苦しくはならないものです。コツは、同じ種類のものをまとめて置くことと、細かいものはいったんトレイや箱などに集めること。その上で、例えば服なら畳んで重ねておく、本や書類なら角を揃えて積み重ねるなど、一手間かけておくように気をつけましょう。
「お稽古の後、使った花を持って帰ったんだけど、自分の部屋のドアを開けて愕然としたわ。”こんなに散らかった部屋に、お花を飾ったらもったいない”って」
彼女は急いで部屋を片づけ、お花を活けたそうです。花のある部屋はとても居心地がよく、彼女はすっかり優雅な気持ちになりました。
これ、わかりますよ!僕も誕生日で大きな花束をもらったとき、部屋に持って帰って飾ろうとして、何の気なしに部屋を掃除していたことがあります。
あと最近友だちから「一人暮らしの人は何か生き物を飼ったほうがいいよ。自分だけのために生きていると、心が荒みやすいんだって。植物でいいから、何かのために世話をするといいよ」と聞いたので、さっそくサボテンを買ってみました。見た目のかわいさも手伝って、よい感じです。
「持たない暮らし」だからといって、何でもかんでも持たずに済まそうというのではありません。あることで暮らしが豊かになるものであれば、毎日使うわけでなくても、多少かさばっても、持つべきだと思います。
「”使って便利”と感じる回数より、”邪魔だなあと感じる回数が多い”と感じるようなモノは処分してその場所を空けた方が、また、
と迷っているならとりあえず買わずに済まし、他の方法を考えた方が、いたずらにモノを増やすことにならず、かえって暮らしは豊かになるでしょう。
便利系のモノを買うときは、収納・メンテナンスコストに見合うだけの使用頻度があるかどうか?を、しっかり考えた方がよいですね。便利系グッズって、見栄えもあまりよくありませんから、目につくところにも置けませんし。
ポイントは自分で選ぶことです。タオルは贈答品として貰いやすいのですが、いろいろな人から貰ったモノでは統一感がとれなかったり、気に入ったモノとは限りません。石けんは使えば無くなりますが、自分の好きな香りや泡立ちとは限りません。なんでもいいと思って選んだモノに囲まれた暮らしは、何となく満たされません。しかし表面上の不便はないので自覚することができず、ストレスに変化してしまいます。こうなると節約どころではありません。
高価なモノでなくてもいいので、毎日使うものは自分で選んだモノを。ちなみに買い物の際は、「安いから」を理由に買わないこと!安さを理由にすると、つまらないモノを買ってしまいます。
”体重を減らし、ヤセること自体は簡単で、わりあいすぐに実現する。問題は、その状態をずっとキープすることなのだ。”
根本的な問題は太っていることではなく「太ってしまう生活習慣」にあるので、それを改善しないことには、すぐにリバウンドしてしまうのですね。
暮らしも同じです。テレビ番組で部屋のモノを一掃する企画がありますが、一時的にすっきりしても、モノをとりこんでしまう生活習慣を正さないことにはすぐ元に戻ってしまいます。暮らしのリバウンドですね。モノをため込まない暮らしを「習慣づける」ことが大事です。
「いつか時間ができたら、家中の収納をぜーんぶさらって、”これは要る、これは要らない”ってすっきりさせよう」と思い続けて、早何年も経ってしまった・・・という人は多いと思います。
いっぺんにやるためには、まとまった時間が必要です。現代日本人は忙しいですから、かんたんにそんな時間は作れません。やっと時間が作れたととしても、雨が降ったり、寒かったりしてやめてしまうことも。そこで忙しい人におすすめなのが、
ペットボトル入りのミネラルウォーターを買うのをやめて、ブリタなどの浄水器を使う。実践中ですが、これは本当におすすめです。
なんて、絵に描いた餅を指をくわえて眺めているよりも着実に身に付く習慣をゆっくり獲得していった方が、絶対お得なのですから。
「安いから」という理由でモノを買う習慣を改めるのによいのが、「ストックしなくてもわりあい平気」ということに気付くことです。
例えばラップフィルム。1日で使い切ってしまうようなことはめったにありませんが、スーパーで安売りされやすい品なので、ついつい買ってしまっていないでしょうか。「そうはいってもなくなると困るから、1つはストックしておきたい」という気持ちもわかります。ですが、無いならないで何かで代用できると思いませんか?ラップがなければ、お皿や茶碗をふせて蓋にするとか、ありあわせのポリ袋をかぶせてもよいです。
例えばティッシュ。鼻をかむのにティッシュではいけないなどと誰が決めたのでしょうか。古ハンカチやガーゼでも代用できますし、洗面台に行けば手鼻だってかめます。
使いようのないもの、飾りたくないモノを「おみやげ」や「プレゼント」で頂くことは、実は少なくありません。せっかく貰ったモノを捨てては失礼なのは確か。でも、そういうおみやげやプレゼントというのは、往々にして、あなたが嬉しそうに受け取った時点で相手の心は満足しているものなのです。決して相手に知られないのであれば、あなたのために、処分しましょう。
引き出物や御中元・お歳暮についても、おみやげやプレゼントと同様に頂いた時点で相手の顔は立っているので、心おきなく処分してよいですね。
どんなつまらないモノも、地球上の何らかの資源を使って、工場の機械を使ってとはいえ、確実に誰か人間の手を経て、作られているのです。
紙一枚にしても、木が必要です。種が木に成長し、誰かが切り倒し、工場に運ばれ、いつくもの工程を経て紙になります。それが売られて買われるまでにもたくさんの道のりがあります。どんなモノでも時間が凝縮されていると考えると、つまらないモノがストレスになる理由がわかった気がします。
食事を楽しむためにはグルメ情報が欠かせないと思われがちですが、グルメ情報は流動性が高く応用がききません。
グルメ情報や、専門的な栄養の知識は必要ありません。地場にある、季節のおいしいモノをたくさん知っていて、それをどう食べたらおいしいか、楽しいかをどれだけ思い浮かべることができるかが大切です。そしてそれをどう盛りつけ、誰とどこで食べるか。もちろん、自分で作れれば最高でしょう。
季節のおいしいものを知っておくのは、いいですね。知らないお店に行ったときでも、当たりを引きやすくなります。
巷にあふれる収納術本や、節約本、整理術本とは違ったさわやかさがある本でした。ここで紹介したこと以外にもたくさんいいことが書いてあります。この本は手に入れてもいいモノだと思いますので、気になった方はぜひ :-)
半年前引越しして、いまだにガレージに積みっぱなしのダンボールの山を見て、自分の生活に必要なものって、けっこう限定されてることを再認識。引越しの荷物は、3ヶ月開けなかったらそのまま処分しなさい!という話も聞いたことがありますw
テレビを思い切って処分してしまいましょう。一万円単位のモノを買う、買い換えることがほとんどなくなります。無意識化でささやきつづけるテレビくん。さようなら。
「ためしてガッテンのカレー」エントリを読み、良くない行為だと感じ、レスしようとしたのですがエントリが古すぎて止めました。
だからといって、その本の価値が下がったわけでもなく、むしろ完全な情報が欲しいと買う人の方が多いのでは?
2. 引用された文章が引用元においてどれくらいの割り合いを占めるのかは知らないが、掲載しすぎなのでは。
最近blogでの本の紹介で、ノウハウ本のいきすぎた内容紹介が多く見られるようになり、残念でならない。
それにこのエントリーってあきやんさんのフィルターを通した情報でしょ。やっぱり自分で読みたいですよ。
私は本をため込む癖があったので、最近、厳選して本を買うようにしました。法則は簡単で「これは絶対飽きずに再読する」または「どうしても即時に手元にないと困る」という本だけを買ってます。
素敵な情報をありがとうございます。最近暮らしについて、もっと豊かにするにはどうしたらよいか手がかりがほしかったので、良い本をお勧めして下さり、ありがとうございます。めんどくさがりで、仕事もあって、体力が無い私にも実践可能な感じで元気が出ました。忙しくても、病気でも、お家はキレイにしていたい。今は病気で収入が無いので、働けるようになったら、この本を買って、じっくりと読んで、私も家族も幸せな、豊かで持たない暮らしを少しずつはじめていきたいです。
はじめまして。拙ブログ『エルフィの清貧日誌』に『買わない暮らし、捨てない暮らし』という文章を載せる際に、この紹介文を参考にさせていただきましたが、トラックバックは失敗しました。エラーメッセージに「不正なURL」とか表示されていましたが、何が不正か不明です。
「リンクが無い場合はトラックバックを削除することがあります」と下段に書かれています。それと関係あるのかどうかもよくわかりません。この機会に、相互リンクをお願いしたいと思っています。
著作権に関しては、どちらともいえません。この紹介文を読んで買った人も有り、買うのをやめた人も有りで、著者の知的所有権を援護しているとも邪魔しているともいえないからです。因みに私は元より買う気が有りません。本が読みたければ図書館で借りれば済みます。そのために税金で図書館が経営されているのですから。本は図書館で、「持たない暮らし」の基本的一例です。
ついに本買いました。といっても、もう一ヶ月程前の話なのですが。ほかにも風水のお掃除本も三冊程買い、まずは、本を読んで、捨てる事からはじめました。家の中からいらない物がなくなると、毎日のお掃除が楽です。事が捨てる事に罪悪感があり、何でもしまいこんでしまう性格から一変、本に詳しく書かれていた事を参考に捨てまくり。二人暮らしの家から、45?ゴミ袋30袋以上。いらないものがなくなると、うそみたいに掃除が楽です。お風呂場もいらないものをなくしたら、三日おきにカビ取りだったのに、そこにはもうカビもはえません。台所もピカピカ。今年はゴキブリが出ません。収納が開いた分、部屋に出しっぱなしだった物がしまえるようになり、部屋が広くなりました。又出した物が取り出し易くなり、同じ物を又買ってしまう事も無くなりました。これからは、本当にお気に入りの物、大切な物とだけすっきり暮らしていこうと思います。実家の母にも送りたい一冊です。母も、何でも取っておくタイプですから。

 

[ 167] シロクマ日報 > 「大人に携帯電話を持たせるな」 : ITmedia オルタナティブ・ブログ
[引用サイト]  http://blogs.itmedia.co.jp/akihito/2008/05/post-946d.html

以前のエントリでも簡単に触れましたが、政府の教育再生懇談会が「子供を有害情報から守る」という観点から、小中学生に携帯電話を持たせないことを提言する方針を固めたそうです: ■ 「小中学生に携帯電話持たせるな」教育再生懇提言へ (asahi.com) 懇談会は16、17両日の会合で中間報告案を討議。携帯電話の有害情報対策としては、小中学生に携帯電話を持たせないことを原則としたうえで、業界に(1)通話と居場所確認機能に限定した小中学生向け携帯の開発を求める(2)閲覧制限の機能を付けることを法的に義務づける――との案を了承した。担当の山谷えり子首相補佐官は「持たせない、といっても強制はできない。懇談会からの教育的メッセージだ」と説明している。 ということで、「基本的に持たせない」「持たせるのなら機能が限定されたものを」と訴えています。提言には法的拘束力はないものの、今後議論を招くことは必至でしょう。 百歩譲って、小中学生は何の理性も判断力も持たない動物のような存在で、「危ない」と教えても有害情報にフラフラと近寄ってしまうものだとしましょう(そんな教育しかしてこなかった親や学校の責任は無いの?という点は置いておくとして)。そうだとすれば、確かに彼らに携帯電話を触らせるのは危険です。しかしハサミや包丁、ライターなどとは異なり、別に携帯電話自体に危険性が内包されているわけではありません。問題なのは、携帯電話を危険なものにしてしまう存在――危険情報の提供者がいるからです。 であれば、なぜ危険情報の提供者の方を取り締まろうとしないのでしょうか?仮に公園の遊具に刃物が仕掛けられるような事件が続発したとして、全国の公園に子供が立ち入ることを禁止するでしょうか?いや、携帯電話を通じて勉強を教え合うなどというケースもある現在では、「塾の先生が生徒に手を出す事件が多いので、全国の塾を閉鎖しましょう」と訴えているようなものではないでしょうか。 有害情報を理由に子供が携帯電話を持つことを禁止しましょうと言うのなら、僕はむしろ「大人は携帯電話の所持を原則禁止。持つなら通話機能と居場所確認機能に限定したものを」という案を考えるべきだと思います。そしてPCから携帯電話用のWEBサイトにアクセスすることも禁止。であれば、子供に有害情報が提供されることも無くなるはずです(どうやっても抜け道が出てくるだろ、と言われてしまうかもしれませんが、それは「子供に携帯電話を持たせることを禁止する」という案でも同じことでしょう)。 「携帯電話からWEBにアクセスできなくなったら困る」って?それは仕方ありません。ちょっと不便ですが、大人ならPCを買って、そこからネット接続しましょう。それに子供たちが事件に巻き込まれるのは子供の責任ではなく、大人たちの責任なのですから。
本文中でも述べた通り、僕は携帯電話自体には危険性は内包されていないと考えています。バイクや自動車はそれ自体で重大な事故を引き起こすことができますが、携帯電話が危険だと見なされているのは、それを通じて子供たちが有害な情報を手にしてしまうからですよね(いや別の問題もある、という議論もあると思いますが、少なくとも今回の教育再生懇談会は、有害情報を理由に小中学生の所持を禁止しようとしているというのが僕の理解です)。であれば、「危ないから」という理由で携帯電話を取り上げられるべきは、有害情報を提供している人々ではないでしょうか。本文ではその点をあえて過激にして、「大人の携帯電話所持を禁止しろ」と表現してみました。
またこれは楽観論だと批判されてしまうかもしれませんが、子供は親の世代が想像する以上に、新しいメディアとの正しい付き合い方を身につけていくものではないかと考えています。子供時代に自室にテレビや電話があった世代で、犯罪率が上昇しているといったデータはないですよね。親の世代が「自分たちの教育に自信がない」というのなら別ですが、もう少し子供たちを信じてあげても良いのではないでしょうか。
子供を持っていないので、お前には発言権はない、と言われればそれまでですが、子供には携帯も、ナイフも、マッチ(いまはライターか)も禁止、というのは、教育と躾を放棄しているように思えます。持たせて自分で制御させることを教えるべきなんじゃないかな、と思います。
自分たちのガキの時分でも、いろいろと冒険をして、親に隠れてそーっとやってみたじゃないですか。煙草はシケモク、吸殻を集めてきて、紙で巻いて、台所から掠めて来たマッチで火をつけて吸いませんでしたか。小学校のころ。
携帯を使った悪質な犯罪もあるので、一概に教育と躾だけで済むとは思えませんが、それは悪い奴らを野放しにせず、犯罪として、厳しく取り締まることの方が重要に思えます。
携帯電話は映画と同じメディアです。映画には制限がかかっていますね。ただ、それだけのことではありませんか?それと自動車は免許をもっていないと運転できません。ネットでも営業目的な方や会社は免許制度を取り入れた方がいいと思います。免許制度が個人の自由を阻害するとは思えません。
ということで、無法状態を良しとせず。ある特定の組織内での議論で立法化せずに、もっといろいろなミーティングを日本は持った方がいいと思います。今回の記事によると、懇談会だけで終わるのなら気になるところです。そして、ネットもどうも別の懇談会になりそうなところも危惧しております。
いえいえ、議論するのに資格などはいらないと思います(僕も子供がいるといっても、まだまだ小さいですし)。それに異論反論仰っていただけると嬉しいので、大歓迎ですよ。
僕も安易な禁止には、「教育と躾の放棄」という面を感じます。仮に犯罪者逮捕やフィルタリングなどの対策を尽くした上で、それでも何らかの危険が残るのだとすれば仕方ありませんが、そこまで議論がし尽くされているでしょうか。少なくとも禁止を打ち出すのならば、同時に犯罪者の側への対応も訴えて欲しかったと思います。
映画の例え、分かりやすいと思います。ただその場合、携帯電話は映画館と例えるべきではないでしょうか。であれば、規制されるべきはフィルム(=WEBを通じて得られるコンテンツ)の方で、「子供に良くない映画をやってるから子供は映画館に入れるな!」というのは暴論ではないかと思います(今年はポケモンの映画観に行けないの?と泣き出す子供たちが出てきそう)。
またせめて何らかの所持規制を、ということであれば、免許制も仕方ないでしょう。ただその場合には、子供だけでなく大人も「携帯電話免許制」にするべきだと思いますが(当然犯罪歴のある人物は免許を与えない方向で)。
仰る通りだと思います。ただでさえ様々な問題が山積している上に、福田政権があの状態ということで、これ以上の議論は難しい状況になりそうですが……。
そうですね、自分も含め、ネットで吠えてそれで終わり……というだけではいけないと感じています。何か両者が考えを分かち合える、そんな場があると良いのですが。
私にはまだ3歳の子供しかいませんので、こういう問題に直面はしていないわけですが、私が年頃の子の親なら、まずはインターネットリテラシーを身に着けていなければ、携帯に限らずインターネットは使わせません。
懇談会は有害情報を理由に規制を訴えているようですが、仰る通り、イジメで携帯電話が使われることがあるから規制が必要なのでは?とする議論もあると思います。ただその場合、携帯電話やネットはイジメが起きた「場」に過ぎないのですから、規制を行うよりもイジメを解決するのが本来の対応でしょう。「携帯電話でイジメが起きたのなら、携帯電話を禁止すればいい」と言うのは、「学校でイジメが起きたのなら、学校を禁止すればいい」と言うのと同じですよね。
僕の子供もまだ小さいですが、年頃になったら携帯電話やネットを使わせつつ、実践の中からリテラシーを学ぶように見守りたいと思います。
そうなんですよね。公園の例えを出したものの、現実に遊具が撤去されたり、キャッチボールなどの遊びが禁止されたりといった動きがあるわけで……「公園で中学生以下の子供が一人で遊ぶこと禁止」みたいな制度が本当に実現されてしまうかも、と感じています。
インターネットは不特定多数にたとえば個人情報をばらまいたりできるわけで、ある意味大きな「力」を持つわけです。
私はそれこそ車と同じように考えていて、免許が必要かどうかはともかくとして、リテラシーを持たない人に利用を制限するということの是非は検討に値すると考えています。
逆に言えば、それだけ新しいツールに慣れるのが早いのが子供たちなわけで、どうしても初動が遅い大人たちよりも彼らをターゲットにするサービスが増えても仕方ないのかなとは思います。
また、子供たち向けのエンターテイメントを用意すること自体は悪いことではないですよね(でないのなら、ディズニーランドやピューロランドも悪だということになってしまいます)。問題は子供たちの遊び場に入り込んで悪さをする、一部の大人たちではないかと思います。
情報リテラシーの不足を理由に所持を制限しようというのであれば、同時に情報リテラシー教育の強化も提言すべきではなかったでしょうか。例えばハサミであれば、「これで人を殺してしまうかもしれない、だから所持を禁止しよう」とはならず、使わせる一方でその危険性も教育しますよね。「危ないから禁止」では、教育放棄と非難されても仕方がないのでは、と思います。
また個人的には、リテラシーを理由とした免許制導入であれば、子供だけでなく大人も対象とすべきだと思います。大人だって誰かを攻撃するためにネットを使ったり、誤って情報流出させてしまったりしていますよね。学校のように一律で知識を与える場に属していないという点で、むしろ大人たちの方がリテラシーという側面からは危険な存在かもしれません。実際いくつかの調査では、子供たちの方がリテラシーを理解しているという結果も出ていますから、「子供=リテラシーがない」「大人=リテラシーがある」という見方は慎重に検討すべきでは、と思います。
携帯電話を持たせるかどうか以前に、なぜ「携帯電話」をそもそも持つ必要があるかの話をする必要があると思いますが・・・。
もし、防犯などであれば、GPS機能とブザー機能とボタンを押したらセコムにでも通報されるものを作るべきだと思います。
そういったものが無いので、携帯がその代わりをしている。で、機能(通話やWEB)を使う、wそれをコミュニケーションツールとして使っているので、仲間はずれになるから使う・楽しいから使うのスパイラルで今の状態になっています。
免許制はスピード違反と同じで免許制自体はある低殿の効果は期待するものの使う人は使うという結果になるでしょう。
個人情報保護の観点から会社が個人のWEBやメールの履歴を取っておいている様に、携帯を持たせるのであれば、親が子供の保護の為に子供の履歴を完全にトレースできて見れる状態にするか、規制をかけるかなんだと思います。あまり考えてない発言ですが、見れるWEBややり取りできるWEBのホワイトリスト化というのもまぁまぁありかな?
親が教育できないようであれば、簡単に良い知識も悪い知識も得られるWEBで、正しく善悪の判断が出来ない子供にこういったツールを渡すこと自体が問題なんじゃないでしょうか?
携帯会社も使わせたいのであれば、1か0では無く、より良い形で選択できるものを用意する必要があるのではないでしょうか?
(教育できないような親は、完全に遮断することになるでしょう。保護者なんだから自分の子供を保護しなさい。)
携帯を持たせる、持たせないに関しては、子供のリテラシー、必要性、親の管理・育成力、教育方針、経済力など様々な要素によるものだと思います。
子供(大人にも)にサービスを提供する側に関しては、ネット化、そうでないかに関わらず、子供を守るための規制が必要と思いますが。
こちらこそ、けんじろうさんの記事を楽しみに拝見しております。特に裏さいと(<-NGワードだったのでひらがなにしました)の件、この「携帯電話を持たせるか否か」という点にも深く関係しますし、興味深く読まさせていただきました。
僕の意見は本文で書いた通りですが、「規制をかけたい」という気持ちも親としてよく分かります。ただそれが「全面禁止!」というのはあまりにも安易な方法ではないか、という思いです。では禁止せずにどう子供たちを守るのか、というのは、今度は私たちの側が答えを出していかなければならない番ですよね。
しかし今現在、高校生が問題を起こさず携帯を使っているのかと言えばそんなことはないわけで、出会い系の利用や詐欺の被害はもとより、高校にも裏さいとがあって個人が特定できる中傷が流れていたりします。
そもそも大人の世界でだって、匿名掲示板で特定のお店にいわれのない中傷があったりするわけで、携帯やネットで問題を起こしているのは小中学生だけではないと言えます。
むしろ中学生の場合は表面化しやすい分対処もしやすいと思いますから、中学生には携帯を使わせて、その一方できちんとした対応を出来る体制を作ればいいのではないでしょうか。
先生方が裏さいとを監視するという試みはすでに行われているようですし、それが完璧には出来ないとしても、例えば学校側で、生徒がイジメや中傷を学校に匿名で通報できるHPを用意することも有効だと思います。
匿名であれば生徒側もイジメている生徒からの報復などを恐れることなく通報できて情報が集まりやすいはずです。
もはや携帯やネット無しでは生きていけないような世の中になってしまったのですから、教育でも発想を転換して携帯やネットを有効に使っていく方が建設的なのではないでしょうか。
(何度やっても投稿できずに困っていたのですが、裏さいとがNGワードだったのですね。思いも及びませんでした。遅くなってしまい乗り遅れた感じで申し訳ないのですが投稿させていただきます。)
そうなんですよ、僕もコメント投稿ができず、「もしやこれがNGワードなのでは?」と思ってみたら当たりでした。乗り遅れたなんてことはありませんので、コメントのご投稿、ありがとうございます。
仰る通り、小中学生に所持を禁止する「だけ」という話であれば、高校生になって問題が起きるということになって行くと思います。その時、所持を認めつつ事件を防ぐ手だてが講じられる可能性があるかというと、いま現在の状況を見ていれば期待薄ですよね。で、結局「有効な手だてがないな。じゃあ高校生も所持禁止!」という結果になるのではないでしょうか。
僕もこの意見に賛成です。なんだか性教育と似たような構図ですが、もはや「ダメだ」といってもそれに接してしまう時代なのですから、「臭いものに蓋」ではなく接し方を教えていくべきだと思います。
「情報リテラシー教育の強化も提言すべき」との意見にはまったく賛成ですし、「子供だけでなく大人も対象とすべきだと思います」というのもある意味では同感です。
アルコールやタバコ、結婚の議論ですが、どれも子供の身体的成長に関わる問題であり、今回の議論とは同列に上げられないと感じます。そちらの議論に行ってもいいのですが、話がすり替えられたり、誤った一般化が行われてしまう恐れはないでしょうか?
また仮にこれらの領域で「未成年者のみに禁止するのは妥当性がある」という結論になっても、「だから全ての領域で何でも禁止してよい」という議論にはなりませんよね。様々な事例を挙げて子供の未熟な点を論うのではなく、個々の事例を見て議論すべきではないでしょうか。
この個別の問題について年齢で規制が行われるという話になった時、免許制にするのか年齢で区切るのか、このあたりは議論の俎上に載せる価値があると主張しているだけです。
私の誤解であれば申し訳ありませんが、アルコールやタバコが禁止なのは未成年の身体に与えるダメージが成人より大きいため、結婚が禁止なのは結婚が性行為・妊娠・子育てという問題と必然的につながるため、と理解しています。だとすると、携帯電話を禁止するか否かという問題を考える際には、これらの分野は参考にならないのではないでしょうか。あーさんに責任を押しつけようというつもりは全く無いのですが、実際にアルコール・タバコ・結婚の禁止がどのような根拠に基づいているのか、参考になる資料があれば教えていただければと思います。
オルタナティブ・ブログは、専門スタッフにより、企画・構成されています。入力頂いた内容は、アイティメディアの他、オルタナティブ・ブログ、及び本記事執筆会社に提供されます。

 

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