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[ 500] 小豆島に集まれ!たくさんの笑顔たち - livedoor Blog(ブログ)
[引用サイト]  http://blog.livedoor.jp/dreamisland1/

下から見上げると、まるでペンギン。かわいいけど。。体は茶色のもんもんだし、こんな鳥、初めて見ました。
今年もテイカカズラの花が咲き始めました。私、名づけてプロペラジャスミン。プロペラのように回転している形の花から、ジャスミンによく似た芳香が漂ってくるからなんですけどね。この覚え方のお陰で、ついつい本当の名前を忘れ、え〜っと、え〜っとなんて悩まなけ
2人ともほんっとかわいくていい子たちで、しかもなぜか初めて会った気がしなくて、ついついリラックス(^^;)
中余島の右側を、海に落ちないようにゆっくりゆっくり。(潮が大きく引いてる時は普通に砂浜を歩いて通れます。)
海と空があるのは当たり前でも、何だか違う世界が開けたような気がして、すっごくすっごく楽しくなるんですよね♪
小豆島町安田、JAの敷地内にある「中世武将の居館跡」。説明看板には『ここから西北約300m、安田小学校の背後にある天王山は、五百年のむかしから、城山とも呼ばれ、中世の武将 〜伝承では、星ヶ城を砦とした佐々木信胤一党〜の城跡である。本農協周辺は、「城廻り」あるいは「城の藪」という小字名があって、この一帯が城山を中心としたその武将一党の居住地域であったことを証明している。この神社に奉祀される祭神竹成(たけなり)御前は、星ヶ城落城の折、非命にたおれた信胤の息女という伝承がある。』と書かれていました。
恥ずかしながら信胤の居城は星ヶ城…と思い込んでた私。天王山って何のこと?城山って??と、ちんぷんかんぷん。。さっそく小豆島の歴史に詳しい紅雲亭一葉さんにお聞きしてみました。
一葉さんによると、天王山というのは安田小学校の裏山のことで、佐々木信胤の居城は、星ヶ城ではなく天王山(城山)であり、星ヶ城は見張りを置いた砦だったらしいということでした。周辺には、「城廻り」や「城の藪」という小字名だけでなく、城さんや城上さんという姓のお家もたくさんあるんです。
お妻の局は、南北朝時代、京洛三美人の一人といわれるほどの美女で、菊亭中納言家の女房でした。しかし、備前国児島郡飽浦の城主、佐々木三郎左衛門信胤に恋われ、信胤の元に身を寄せて、延元四年(1339年)信胤とともに小豆島に渡りました。星ヶ城に本拠を築いた信胤は、有力な水軍をもって南朝のために功をあげたものの、正平2年(1347年)、北朝軍の細川師氏が大軍を率いて小豆島に攻め寄せ、激戦の末、1ヶ月後の6月3日に力尽きて降参。この地で皆、自刃したそうです。
毎年8月14日に踊り継がれる「安田踊り」や、今秋10月12日に演じられる中山農村歌舞伎の演目「小豆島」は、このお妻の局と信胤の悲恋の物語。ぜひご覧になってみてください。
コスモイン有機園に住むヤギのジューンコに、かわいい2匹の子ヤギが生まれました。ねっ!かわいいでしょ♪
子ヤギたちは、下でうろうろしてるんだけど、ジューンコは相変わらず高いところに上がってて、私が子ヤギたちと遊んでても知ら〜ん振り。
久々に見るジューンコのお腹は驚くほどほっそり。こんなに小さなブロックの上に上がってても、不安な気持ちはしなくなりました(^^;)
今日のお客様は、お友だちの菜々どんとご主人の千尋さん。彼女は、軽井沢を拠点にエコツーリズムを推進するピッキオでネイチャーツアーのインタープリターをしています。
菜々どんと知り合ったのは、去年の3月。三重県志摩市で行われた「志摩市観光講演会&パネルディスカッション」に、パネラーとして参加させていただいたのがきっかけでした。菜々どんも私も、1パネラーとして壇上に上がらせていただいたのですが、ガイドの大先輩、菜々どんのお話や心構えは、私にとって驚きと発見の連続。ずいぶんと多くのことを学ばせていただきました。
そして今日。初めてお会いした時には婚約中だったご主人と、今回一緒に小豆島にお越しくださったんですよね〜(*^-^*)
海のない県に暮らしている菜々どんたちは、海に対してとってもとっても憧れの気持ちを持っているそうなんです。ってことで、まずはエンジェルロードに向かいました。すると、カニやヤドカリが動く姿を見るだけで、不思議なくらい純粋にはしゃぐはしゃぐ。。海って楽し〜い♪
菜々どんの見ているもの。感じていること。一緒にいるとドキドキするくらい、彼女からもご主人からも、自然を愛しんでいる心が伝わってきます。
菜々どんってね、草笛を吹くのもすっごくうまいんです。菜々どんが上手に吹いたのを見て、千尋さんもチャレンジ。ピュ〜♪ 菜々どんには敵わないけど、いい音色が響きます。
ちょうど潮が引いてるので、最後の予定を繰り上げ、潮干狩りにもチャレンジ!!私の母が今日の先生です。採るのは、アサリとマテガイ。潮干狩りは、小学3年生以来の菜々どんと、全く初めての千尋さん。塩を片手に大奮闘して、たっくさんのアサリとマテガイが採れました(@^∇^@)
写真を撮ることを目的にされたお客様と一緒に、私もいっぱい写真を撮りました。何となく、いつもとちょっと違う撮り方をしているような気がするのは、お客様に感化されたのかもしれませんね。
カエルくんも何気に潜んでいたりします。田んぼの水の中では、ちっちゃなおたまじゃくしくんがたっくさん泳いでいましたよ〜。
今朝、太陽の丘から見た、夜明け前のお月様。雲が多いのか、霞んでるのか、段々薄くなって、姿が見えなくなりました。海の中に伸びる、半島や島影のレイヤーが何ともステキ。少しずつ少しずつ夜が明けていきます。
ようやく朝日が昇ってきました。この位置から見ると、山の少し上まで海が見えるはずなんだけど、雲が厚くて海と空の分かれ目がちっとも分かりません。でも、雲があるからこその光の輪が、太陽を明るく取り囲んでいます。
いっぱい歩いて、いっぱい写真を撮って、いっぱい喋って、いっぱい笑って、いっぱい学んで、とってもとっても楽しいガイドツアーでした。
あっちへこっちへ。いつもは行かないような場所にも立ち寄ってみたり、新しいビューポイントを見つけたり。こういうツアーも楽しいですね。私もお客様に影響されて、いっぱい写真を撮りました。明日は、日の出を撮りに行きます。なので、今日はもうおやすみなさ〜い
以前は5月25日だったのに、地球温暖化に伴い(たぶん)、開花がきっちり5日早くなったんですよね。オリーブの花たち、絶対カレンダー持ってます。
オリーブの花が楽しめるのは、6月上旬までの約2週間。花の終りの数日間、地面にはオリーブの花の星空がとってもかわいく広がります♪
お天気だけど昨日の雨の名残りか、強風だった今日の午前中。いつもは波静かな内海湾にも、大きな白波が立っていました。
今日は、小豆島オリーブ公園まで歩いていって、お弁当を食べるという遠足だったみたい。みんなにこにこ楽しそうでしたよ〜(o^0^o)
と言っても、この子はちょっとキモイ。。道路沿いに雑草のごとく生い茂っていて、このちょいキモの花をたくさん咲かせていました。ふと見ると、カナブンくんが全身を花粉だらけにしていいキブンに浸ってました。
ま、見つけた時は、「あ〜っ!かわいいアジサイ発見!」とか思ったんだけど(^^;) アジサイはアジサイ科、ガマズミはスイカズラ科だから、全然違うんだろうけど、葉っぱもパッと見た目もそっくり。かなり美しいです。
これはマルバウツギというらしい。名前の通り、葉っぱが丸いのが特徴だそうです。この花もかわいらしいでしょ。
実はヒソカに田勢康弘さんのファン。「がんばれよ」なんて、優しく背を押してくださっているような田勢さんの『愛しき日本』が掲載されると、ひとりニタニタ笑いながら、一生懸命に文章を読んでいます。
今日のタイトルは、『引き算の人生』。一年間の連載がネット上に紹介されているので、よかったらご覧になってみてください。
昨日の夕陽。これは、小豆島の真ん中に長く伸びた半島の先、神浦(こうのうら)からの夕陽です。海が、湖面のように静かで、島影が海に映っているのがとってもきれいでした。
でも、東に向いた海は台風の影響で大荒れでした。写真は、半島の東側、目見ヶ谷からの海。いつもは透き通っている海が茶色く濁り、遠くには白波が立っていました。同じ日の海でも、その表情は全く異なりますね。
ご近所のおばちゃんによると、向かって右から天神様、愛宕大権現、そして日露戦争の記念碑だそうです。今は、天神様と愛宕大権現のお祭りは、同じ日にここでお祭りが行われるそうです
が、昔は、中学生が後ろの山の上にある重ね岩まで登り、岩の上で夜、のろしを焚くようにして煙を上げていたそうです。しかし、火災の危険が大きいということで、今では麓の天神様と一緒にお祭りが行われるようになったそうです。中学生がお祭りの中心となり、山に登ってのろしを上げる。。中学生にとっては、大人の仲間入りみたいな行事だったのかも知れませんね。
すぐ後ろのお家の塀は、石と練り土を交互に積み上げ、上を瓦で葺いているので、恐らく練塀。安田大川周辺の練塀とは、使っている石が違うので、全く異なった印象です。 (MAP)
偶然、兵庫県西脇市から来られた、歩き遍路のおじいちゃんに出逢いました。気が向いた時に1日ずつ、歩き遍路をしているそうです。1日だけなら無理が利くけど、2日目、3日目となると疲れが取れなくなるから、1日頑張って歩いたら家に帰って疲れを癒し、また元気になったら続きを歩くんだそうです。1回のお遍路で目標としているのが5ヶ所。自分のペースで歩いているそうです。おじいちゃんの笑顔に会えて、何だか私まで幸せな気持ちになりました。どうかくれぐれも気をつけて結願してください。
鐘楼の下には、大黒様や恵比寿様がいくつか置かれていました。住職さんの奥様に伺うと、お寺の蔵にしまわれてたものや、お遍路さんが置いていったものだそう。この布袋様?は、昔、火鉢だったそうです。すっごくすっごく温まりそうですね(o^-^o) 困ったちゃんの私は、手で隠しきれなかったおへそが妙に気になります(^^;)
今日は日曜日。母と母の親友と私の3人でドライブに出かけました。どこに行くともなく、思いついたところに立ち寄る…という行き当たりばったりのドライブ。
最初に見つけたのがこれ!土庄町屋形崎、小豆島霊場第76番札所金剛寺近くにあった土庄町指定の文化財「宝篋印塔(ほうきょういんとう)と家形乱塔(いえがたらんとう)」。宝篋印塔は、室町時代末期の作(推定)で、屋形崎の宗金(そうきん)という大力が見目から担ぎ上げてきたという伝承があると書かれてあり、家形乱塔は江戸時代初期(寛永20年)のもので、妙徳禅尼と道源禅門の戒名が入ったお墓だそうです。
大辞泉によると、卵塔、蘭塔…台座上に卵形の塔身を乗せた墓石。禅僧の墓石に多く用いられる。無縫塔(むほうとう)。つまり、卵形のお墓を『らんとう』というはずですが、小豆島や豊島では、家形のお墓を『らんとうさん』と敬称をつけて呼びます。小豆島新聞社主・藤井豊氏発行「キリシタンと小豆島」によると、小豆島にある『らんとうさん』の数は、1m以上の大型が屋形崎を含め72基、50cm〜1mの中型が186基、50cm以下の小型が884基、石像だけが99基の合計1241基。大型の『らんとうさん』は、旧家、庄屋格のお墓に多く、寛永年間の在銘のものは大型で、屋根の反りも高く、側面から見れば十字形になっているのが多いそうです。藤井さんは、『らんとうさん』の分布は、キリシタン類族の伝承によく合っていると結ばれていました。
写真を撮りながら気になったのですが、こちらのらんとうさん、お地蔵様が3体、横向きに入っています。ちょっと窮屈そうですよね。しかも、禅僧のお墓の中に3体のお地蔵さんって??理解不能です。藤井さんに聞いてみなければ!!
「日本歴史大字典」によると、『やかた』というのは邸宅のことで、古くは『たち』と言い、館の字を当てたそうです。中世以降は『屋形』が尊称となり、屋形号を許されたものしか使うことができず、中でも守護大名には、『御屋形(御館)』の称号が許されたそうです。
小豆島に居住した『おやかたさま』は、中世の佐々木信胤、キリシタン大名の小西行長のいずれかと思われ、伝承や地形から判断すると、屋形崎こそが小西行長の屋形跡と考えられるそうです。キリスト教伝来の『門』は、屋形崎だったんですね。
サンポートホール高松で行われた、福武学術文化振興財団の「第2回瀬戸内海文化助成発表大会」に行ってきました。
平成18年度の助成を受けられた研究者や団体24名の皆様が研究成果を発表されたのですが、内容は違えど、俯瞰してみれば、共通点は瀬戸内海を通じて広がり、発展していった文化を追う研究であり、まさに、西田正憲先生の言葉、「海が文化を伝播する」その軌跡を、それぞれの視点で追跡しているんだなぁと思いました。
また、ご来賓としてお見えになっていた参議院議員の中山恭子さんも、講演されたアートディレクターの北川フラムさんも、講評を一言ずつ述べられていた活動支援委員の先生方も、瀬戸内海の可能性、果たしてきた役割、類まれな美しさを強調されていたのが印象的でした。
●大変でも、時間をかけて旅をする。できるだけ歩いてもらう。時間がかかるからこそ、その中で人はいろんなことを考える。
瀬戸内国際芸術祭は、「島、生活、アートを大きな柱に、海の復権を呼びかける」きっかけづくりだそうです。瀬戸内海や島々のよさが再認識される嬉しいきっかけです。島に住む人間のひとりとして、私も今まで以上に、小豆島のすばらしさを発信したいとの思いを強くしました。
千枚田の坂道を、背負子を背負ったおばちゃんが登ってきました。とっても絵になる風景に、思わず写真を撮っていると、ようやく上まで上がってきたおばちゃんが、「えーもん見せてあげるからおいで〜!」って叫ぶんです。
私と、犬の散歩から帰ってきたおじさんを誘い、おばちゃんがもと来た坂道を降りていきます。「こっちこっち。」
『一体、何があるんやろ??』不思議に思いながら、私も、おばちゃんとワンコを連れたおじさんの後ろをついていきます。
「大丈夫や。今は夕方や。夕方は寝る準備しとるから襲ってこんのや。危ないんは朝や!活動開始やからな。」
・・・横にいても刺されそうな気せんかったし、スズメバチとは違うような気がするけど、寝る準備してる夕方やから近くで写真も撮れたしな。よかった。
「あんた、カメラ持ってたやろ。こら、撮ってもらわにゃって思たんや。」とニッコリ笑うおばちゃん。またまたおばちゃんの案内で、もと来た道を帰ったのでした。
千枚田を歩くと、全然知らないおじさん、おばさんが、笑顔で声をかけてくれます。「写真撮りに来たんか。あの上から撮ると全体が入ってきれいやで。」なんて。。
一生懸命に作っている田んぼを、多くの人たちが見に来てくださることは、ある意味、しんどい作業を継続させることへの励みになっているのかもしれません。ホントにそうだと私も嬉しいんだけど。
でも、「畑や田んぼも続けなあかんのは解っとんやけどな、手間はかかるし、機械も高いし、買うた方がどんなけ安いか。」「若いもんが帰ってきて、遊んどる田んぼ、作ろかーと思てもな、機械揃えるだけで1千万円かかるんや。なかなか田んぼもできん。」・・・問題は山積みです。。
清水の地蔵さんにお水をいただきに行ったついでに、夕闇の千枚田を見に行ってみました。夕陽を入れて撮るにはちょっとばかり遅すぎ。でも、千枚田の水がずいぶん張られて、美しい風景が広がっていました。犬の散歩にやってきたおじさんによると、既に半分くらいが田植えを終えてるので、来週末には全部終了するだろうとのこと。あと半月ほどすると、稲がもう少し成長し、1番棚田らしい風景をご覧いただけますね〜(o^0^o)
実に5ヶ月ぶりに「小豆島だより」を作りました。書かなきゃ書かなきゃと思いつつも、なかなか手を付けられなくて、ごめんなさい。
今回は、これから夏にかけての小豆島のことを書きました。ちょっと読みにくいですが、よかったら1番大きくして読んでください。
ニッコリ愛らしく笑うカエルの下半身は、なんと魚!その名も「蛙の人魚」。つまりマーメイド。蛙魚でもなく、魚蛙でもなく、もちろんおたまじゃくしでもありません(^^;)
できればタイトルを、『蛙の人魚像』ではなく、『幸せのマーメイドちゃん』にして欲しかったと思うのは、私だけ?
'85年より社団法人小豆島観光協会に勤務、刺激的な22年を過ごす。'97年より事務局長就任。ずっこけながらも前進あるのみ!でいろんな企画に手を出し続ける。
繋ぐ、結ぶが、私の役目。たくさんの笑顔とハッピーを創造するため、ひたすら楽しみながら走る走る走る!で頑張りま〜す^^v

 

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